Epi60 まさかの下級生から

 風向きってのは時間とともに変わるもの。

 ほんの少し前まではあり得ない現象も、なにかを切っ掛けに変わることがあるんだと、少しは思えてくる出来事って。

 だから、無いんだってば。俺に限って言えば。


 俺を見つめるその瞳はかつて見たことのあるものだった。

 瞳にね、きらきらお星さまが煌めいて、口角は少しだけ上がって、ほんのり染まる頬の色が桃のようでいて、指先は頻繁に組み替えられて落ち着きがない。

 足もなんだか微妙に動いていて、こっちもまた落ち着きがない。つまり、全身で落ち着きのない状態を表しているのがわかる。


「先輩」

「なんでしょう?」


 聞いてはいけない魔法の言葉。

 初めて聞いたのはわりと最近。その後はもう怒涛の攻めで押し切られたけど。


「三菅先輩と仲いいんですよね」

「まあ、そうだけど」


 そろそろなにが来るかは想定できる。

 明穂をちらっと見るとなにやらにやにやしてる。いいのかそれで。


「どこまで行ったんですか?」

「えっと、それって?」

「体の接触」


 それを公言する気にはなれません。

 それを気にするってことは、そこに立ちたい。そう考えて間違いないのでしょうか。

 俺を見つめる目は、わかる人にはわかるんだろう。


「見てればなんとなくわかります。だから」


 言わないで欲しい。

 俺にとって過分なものでしかないのだから。


「お」

「お?」

「お付き合いして、とは言いません」


 あれ?

 明穂を押し退けて「あたしと付き合ってください」じゃないの?


「でも、気に掛けてくれると嬉しいです。ほんの少し、あたしの方を見て気にして、少しだけ寄り添ってもらえれば」


 二股掛けろとおっしゃるのでしょうか。

 それは絶対に無いしあり得ないし、明穂がそれを許すはずも無いし。


「えっと、状況理解できてるよね?」

「もちろんです。でも、燃え上がる乙女心は抑えきれません」


 明穂さん。助けてください。

 こんなの俺には対処しようが無いんです。経験皆無なんですよ? まさかの二股でもいいとか言う気なの? でも正解はきっと丁重にお断りなんだろう。


「む」

「む?」

「無理。だと思う」


 傷付ける気はないし、これで失恋とか言われても困るし。そもそも彼女の居る相手に告白って、普通は無いんじゃないの。経験無いからわかんないけど。

 でだよ。部室内に軽く視線を移すと。

 部員の目が全部集まってるし! こんな場所で告白するこの子って、人目を気にしないのかって。


「半分分けて、とは言いません。ほんの少しあたしにも時間と体を」

「あ、いやいや、あのね、時間とか、その、体? なにそれ?」

「体は口とか手とか」


 股間まで言及しないのは、明穂ほどに壊れて無いってことか。


「あとはですね、その、あの、先輩の猛々しい部分も少し」


 じゃなかった!

 まだ一年生でしょ? なんでこんなにませてるの?

 怖くなって明穂を見ると口元緩んで痙攣起こしてるみたいな、体が上下に小刻みに揺れてるんですが。もしかして面白がってるの?


「ああああのね、そ、それ、むむ無理だから」


 部室内にぼそぼそ響く声は「行かねーのかよ」とか「応えないんだ」とか「根性無いぞー」とか、なにそれなものばっかり。だって、みなさん。明穂と付き合って深い仲だって認識してるんじゃないの?

 明穂を見ると俯きながらぶるぶる震えて噴き出しそうだ。


「三菅先輩から許可もらったらいいんですか?」


 えーっと。その許可を出すとは到底思えないんだけど。でも笑い堪えてるし。単に面白がってるだけじゃないのかって。まさか許可出したりしないよね。


「あの、出すとは思えないけど」

「じゃあ、確認してみますね」


 視線を俺から明穂に向けると。


「そこまでだよ。許可なんて出す訳無いじゃん。大貴のすべて、血の一滴、精子の一滴まで全部あたしのものだから」


 いやあの、精子って。


「でも、精子なら常に生産されてます。だから減らないですよ。もらっても問題無いと思います」


 なんの話?

 明穂が腕組みして指先を左右に振ってる。ちっちっちって言いながら。


「そこに愛情が詰まって無いとね、ただの物質扱いでしょ。それは愛の形とは言えないんだよ」

「愛ならあります! 浅尾先輩なら全部あげたいんです。ハートにズバッと刺さったんです」

「刺さってもねえ。その後、大貴を支え切れるかどうか、そこが一番大切な部分。そしてそれは下級生じゃ不可能だから」


 上級生でも母の如く見守れる、すべてを包み込む存在じゃないと不可能だ、とかなんとか言ってるし。そして明穂はその母をも凌駕するほどに、俺に対して愛を注ぎ込み、生涯俺を支えると胸を張って言えるんだとか。胸張ると揺れるんだけどね。


「いち早く大貴の才能を見抜いたあたしだから、その才能を開花させることができた。これは他の子には絶対にできないこと」


 明穂の自信の拠り所なんだろうな。

 一人も読まない小説を読んで感動して、俺を探し出して告白までしてきた。その執念は誰もなし得ないって。


 こうして茶番劇は終わった。

 名残惜しそうな後輩女子だけど、俺でもわかる。明穂みたいに見抜く目を持たない子に、俺の相手は務まらないって。支えるのだって、絶対的な忍耐強さが必要だし。家のことまで解決するほどの頭脳と対話力に説得力。ひとつでも欠けてたら今の俺は居ないんだろう。


 で、後輩女子が傍に来て「飽きたらあたしと」なんて言ってる。

 明穂に飽きるなんてあり得ないんだけどね。俺にとってすごく大切で、離れることのできない存在だから。存在が大き過ぎるから今は負担もあるけど。


「大貴の経験値が少し上がったね」

「わざと告白させたの?」

「経験に勝るものは無いでしょ? だからとりあえず見てた」


 俺が今後実績を示していけば、今回のようなことは再びあるって言ってる。

 文芸部の子はもともと小説の才がある人を尊敬する。だから効果が早かった。これで仮に持ち込みで採用とかなって、プロ作家としてデビューすれば、校内の女子に限らず光に群がる虫の如く集まるんだよと。

 すごく要らない。

 明穂が居なかったらわかんないけど、でも明穂じゃなきゃ、こんな状況に至らない。やっぱり明穂だ。


「それで、プレゼントは?」


 だー!

 完全に忘れてた。


「あの、今回は急だったんで花束でも?」

「そんなの要らない。大貴盛りがいい」


 逃れられない運命ってあるんだよね。

 これもきっとそうなんだ。


 明穂に腕を引かれ部室を後にすると、期待値が限界まで高まってるようで「大貴盛り! 大貴盛り! 大貴盛り!」とか、勝手に大盛り上がりの状態だった。


「あ、そうだ。大貴のお母さんにデコレーション手伝ってもらおう」


 それだけは絶対嫌だ。

 恥ずかしいとかじゃなくて、気まずさが半端ないんだってば。親子だよ? 赤の他人ならまだしも母親だし。

 と言ったら。


「じゃあ、妹」


 同率で嫌だ。

 血縁は無し。気色悪いなんてもんじゃ無いし、そんなの頼んだらど変態の烙印を一生押される。

 と言ってみた。


「仕方ないなあ。じゃあお祝いはあたしの家でやって、あたしのお母さんにデコレーション頼む」


 勘弁してください。

 他人ではあっても、そこはさすがに羞恥心が爆発します。


「お父さんは?」


 男に体をまさぐられて喜ぶ趣味は無いです。


「サプライズが無くなるけど、あたしがやるしかないね。あ、毛も剃るんだよ」


 命運尽きた感じで、明穂に引き摺られ家に連れ込まれてしまった。


 明穂の部屋ではさっさと着替えを済ませて、一旦部屋から出て行くと、すぐ戻ってきて「お風呂入って毛を剃るんだよ」と言いながら俺の腕を掴み、部屋から引きずり出された。


「あの、どこでデコレーションを?」

「キッチン、って思ったけど、大貴が寝転ぶ場所無いから、あたしの部屋で」


 なんで明穂ってこんなに変態なんだろう。

 すべてにおいて非の打ち所がないはずなのに、なんか一部だけものすごく残念なんだよね。やっぱあれかなあ、完璧に見える人でも、どこかしら変な部分はあって、それが人間を人間足らしめるのかも。

 きっと明穂は変態であることで人としてバランスをー!


 風呂場に連れ込まれ、瞬時にマッパにされました。


「風呂場で毛も剃り落とすからね」


 手にしてるのは髭剃りだよね? それお義父さんの? ねえ、拙いでしょ。

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