Epi53 内心に変化を生じてた

 評価され褒められることの心地良さと言うか、肯定されたと言う事実は不思議な高揚感を得ると、初めて知ることになった。

 今まで一度足りとて無かったんじゃないかって、そのくらい褒められた記憶がないのだから。当然そうなるとなんだか気持ちが浮ついて、アンケートの感想を見てはにやにやする。傍から見たら気持ち悪いんだろうな。そう思うけどやっぱり嬉しいものは嬉しい。認められた。初めて。叫びたい程に感情が高ぶってくる。


「大貴」


 明穂が俺の顔を覗き込んでる。

 俺にとっての女神様だ。道を示し導いてくれて支えてくれる、神殿でも作って祀り上げたい存在だ。


「顔。壊れてる」


 顔?

 目の前に手鏡を差し出され自分の顔面が映った。で、それを見た瞬間正気に戻ったと思う。


「あれ?」

「ずっと旅してたんだね」

「えっと」

「でも、初めてなら仕方ないよね。これをいくつも積み重ねて、自分に自信が持てれば間違いなく、大貴は大物作家になれるんだよ」


 そうだった。

 文化祭が終わって数日経過して、今俺は明穂の家に居て。


「ちょっと気持ちがふわふわしてる感じがする」

「それはいいんだけど、大貴にはやらないといけないことがあるんだよ」


 えーっと、なんだっけ?


「持ち込み用の原稿」


 あ、そうだ。

 文化祭の準備やいろいろあって、持ち込み原稿は完全に放置してた。


「大貴にとっての大本命だから、少しずつでも書き進めた方がいいよ」


 そうだね。明穂の言う通り書いた方が良さそうだ。


「えっと、じゃあ書いちゃおうかな」

「今日大貴パソコン持ってきてないけど、家に帰る?」

「あ、うん。そうする」


 明穂が立ち上がると俺も立ち上がって帰る準備をする。

 また覗き込んでくる女神様だ。


「大貴。あのね、まだ褒められた余韻が残ってると思うけど」


 なんだろう? ちょっと表情が硬いっていうか、不安気なのは俺の思い違いだろうか。


「大丈夫。ちゃんと書くから」

「そう? 無理に書く必要は無いんだけど、表現したいと思ったんだったら、書いた方がいいからね」


 明穂の家を出る時も表情が浮かない感じだった。

 なんでかな?

 自信を持てってずっと言われてて、やっと俺も人に認められて、少しは自信が付いたと思うんだけど。この気持ちを忘れないようにして、自分の小説に思いの丈をぶつければいい。

 大丈夫だ。できる。明穂の太鼓判もある。必ず成功する。


 見送る明穂の顔がなんで? 眉尻が下がって心配そうなんだよね。


「明穂。大丈夫だから」

「うん。あ、あたしも一緒に行こうか?」

「それって泊りってこと?」

「うん。少し様子見たいし」


 まだ信用され切って無いよね。そりゃそうだ。明穂から見ればやっと一歩踏み出しただけで、まだまだこれからだって言いたいんだろうから。


「明穂の言いたいことはわかってる。まだ駆け出しなんだから、図に乗らず弁えろってことでしょ。それだったら問題無いよ」


 玄関前でハグしてキスして別れる。後ろを振り返ると明穂が手を振ってた。

 最後になんか言ってた気がするけど、よく聞き取れなかった。まあ気を付けて、とかだと思うんだけど。


 家に帰ると自分の部屋に篭って、早速パソコンを起動させて、編集画面を出す。

 一度全部読み返していくと、文章の至る所が気になって来た。

 あまりにも自信のないひ弱な自分がまだそこに居る。なにをしても後ろ向きで前に進めず、足踏みどころか後ろに下がり続ける自分だ。

 明穂はずっとこんな俺を見て来たんだね。これじゃあ不安にもなって当然だ。


 一旦全部消して新たに書き直すことに。


 暫くすると夕飯ができたと声が掛かり、ダイニングへ行くとまた陽和が居る。


「不愉快だな」


 陽和に向けて言い放つ自分が居た。

 俺の言葉を聞いた陽和の表情は窺い知れない。下を向いて無言のままだからだ。


「いつまでその辛気臭いつらを見せる気なんだよ。いい加減にしてくれよ」


 こんな言葉は言う気は無かった。でも、自然に口を衝いて出て来た。

 俺の言葉に震えてるのか、椅子から立ち上がって、そのままダイニングを去って行ったみたいだ。


「大貴。今のはちょっとひどいと思う」

「え? あ、なんかイラっとしたって言うか」

「だからって仕返しみたいなのは」


 仕返し。散々バカにされて蔑まれて、そんな気持ちが出ちゃったのかもしれない。仕返しなんてしても意味無いのはわかってる。それで相手が改まる訳も無いし。手段としては悪手だってことも。


「あとで謝っておくから」


 その気も無いのに謝る? いやだ。あんな奴さっさと家を出ればいい。

 母さんは俺の言葉を聞く前に陽和の部屋に行ったみたいだ。本音がバレてたのかもしれない。

 食卓で待っていると母さんが来て。


「大貴。あのね、陽和、今すごくナーバスになってるの。部屋で泣いてて食事も要らないって」


 そっか。

 でもさ、陽和は俺にそれ以上のことをしてきて、自分はいざ責められたら泣くの? それって都合良過ぎない?

 母さんにそれを言ったら、呆れた感じになって。


「数日前から変」

「なにが?」

「大貴。あなたが」

「なんで?」


 でもさ、変って言われても自覚無いし。やっと認められて少し浮かれてるのはわかる。高揚した気分が心地いいのも確かだし。それが母さんには変に見えるのかな。

 やっと自分に自信が持てて来て、前を向いて歩けそうなんだけどな。


 食事が済むとまたパソコンに向き合って、小説の続きを書き始める。

 まったく自信のない主人公から、少し自信を持った主人公。ちょうど今の俺みたいな感じだ。少しずつ距離を縮める相手は、校内でも指折りの美少女。互いに切磋琢磨して高みを目指す。

 三千文字ほど書いて違和感を持った。


 これじゃないな。自分が書きたいのは、こんな中途半端な自信を持った人間じゃない。もっと押しが強くて自信たっぷりな主人公もいいかも。

 純愛もいいんだけど、明穂と俺の関係は誰が見ても違う。

 だったらもっと弾けてもいいんじゃないかな。


 いろいろ考えて何度か書き換えていく。

 ドアが叩かれるけど、母さんの叩き方とは違う気もする。でも、声は母さんのものだ。


「大貴! 陽和が居ないの!」


 は?

 開けてと言うからドアを開けると、真っ青な感じの母さんが居て、すごく焦ってるみたいだ。


「どうしたのさ?」

「だから、陽和が居ないんだって」

「なんで?」


 俺の言葉に固まった感じがする。


「大貴……。ほんとにどうしちゃったの?」


 どうもしない。ただ、陽和が居ないってだけで、なんで大騒ぎするんだ? コンビニでも行ったかもしれないし、ちょっと外の空気を吸いに行っただけかもしれないし。慌てて騒ぐようなことじゃないと思うんだけど。

 俺の疑問をよそに母さんは俺を睨んだと思ったら、外に出て行ったみたいだ。


 もしかして家出したとか?

 放っておけばいいのに。要らないでしょ。雰囲気悪くするだけで自分は悲劇のヒロイン気取ってる、そんな奴。

 と思って時計を見たら午前零時?

 あれ?


 中学生がこんな時間にうろうろしてたら、警察に補導されるだろうに。

 じゃない。


 仕方ないから俺も陽和を探すことにした。

 先に陽和の部屋に行ってスマホを持っていないか確認してから。スマホを持っていれば位置情報を知ることができる。と思ったんだけど、机の上におきっぱだし。

 面倒な奴だ。


 外に出て行きそうな場所を探す。


 公園とか駅前とかコンビニ周辺も探すけど、全然見当たらないしどこに隠れたんだろう。手間かけさせやがって。バカにして見下してたくせに、俺のひと言で今度は母さんに心配掛けさせる。どうしようもない奴だな。

 散々探し回って一旦家に戻ると、母さんも戻っていて「警察に連絡する」とか言ってる。

 大袈裟な、とは思うけど探しても見つからないから仕方ない。


 もう午前一時半。いい加減寝ないと明日に差し支えるし、あとは母さんに任せればいいや。親なんだからあとは責任持って探すんだろう。

 そのままベッドに潜り込んで寝てしまった。


 翌日、目覚めると母さんが出掛ける準備をしてる。


「どこ行くの?」

「陽和を迎えに行く」


 母さんは慌ててるみたいで少しだけ会話したけど、どうやら終電で終点まで行き、そこで駅員に不審に思われ保護されたと。今は警察に居るらしい。

 バカな奴だ。

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