前回に引き続き明穂さんの純愛感に同意です。
あとは個人的には例えば恋愛関係に愛情以外介在又は優先されないのが純愛かと思ってます。
やれ家が、家族が、会社が、容姿が、周囲の評価が、知識が、etc
愛情以外にそれと並びかねない様々な理由を忖度するような恋愛は純愛では無く、取り敢えず愛してるそれ以外はその時々で優先順位を間違わずに愛情を優先して対応していくのが純愛かと思ってます。
逆に肉体関係が何かしら愛情以外(よくわからん倫理観っぽいもの等)の理由によって阻害されるようなのは純愛なんかでは無い。だってそれは愛情よりも他のことの優先順位順位が上だということだから・・・
正直それらがなされているので有ればポリアモリーですら純愛だと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
相手の門地才覚容姿など一切無関係に愛を注げれば、きっとそれが純愛なのでしょう。
一途さと全てに優先して愛を持って接するのであれば、それも純愛だと思います。
世の中には倫理観で縛り付けて、肉体関係を持つとそれは純愛ではない、などと言う自称文化人がたくさん居るので、それに対するアンチテーゼでもあります。
ポリアモリーも全てにおいて誠実であれば、それもひとつの純愛かもしれませんね。
どのように相手に向き合っているか、が問われるのかもしれません。
編集済
更新ありがとうございます。
プラトニックラブは確かに純愛ですが、それが純愛の全てか、と言われるとそれだけではないと思います。
明穂が言っていた「見返りを求めない愛」も、「自分の命を投げ出しても相手を守る」のも純愛だと思います。
愚考するに、愛情に対しての不純は打算であり、一途な愛は全て純愛ではないかと。
行為があっても、打算がなければ純愛でよいのでは?
(あくまで個人の意見であり、他の意見を否定するものではありません)
作者からの返信
コメントありがとうございます!
純愛の定義は解説する人によって様々ですね。
「見返り」や「命を投げ出す」や「プラトニック」も所詮はひとつの形でしかなく、打算や計算が無く、例え肉体的な繋がりがあろうとも仰るように「一途」であれば、それもまた純愛の形なのでしょう。
ゆえに明穂は自らを純愛の姿だと言っています。
ただ、定義をしたい自称文化人はプラトニックや見返りの無い愛こそ至上と思っているのでしょう。
そういう面倒臭い人も居るので。
愛があれば純愛です(極論)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
根底に愛情があっての純愛でしょう。