47:二人の行先は見えない

 時間は璃亜夢と母が数ヶ月ぶりの対面を果たした時から遡る。


 大黒は発見してくれた警察に助けられて病院に担ぎ込まれた。

 出血が酷かったが、幸い軽傷だった。恐らく殴られる瞬間、璃亜夢が大黒を引き寄せてくれたおかげで大事には至らなかったのだろう。あれがなかったら、恐らく即死もあったかもしれない。

 警察は茉莉花も保護してくれており、はじめは大黒の子供と思い同じ病院に連れてきてくれていた。

 大黒は病院に処置を終えて数時間して意識を取り戻し、自分が殴られた後に何が起こったのか警察に教えられた。

 璃亜夢が永延を殺害した。

 大黒の傷も璃亜夢によるものか確認されたが、大黒はそれを否定し自分があの部屋に入ってから殴られるまでの間のこと、璃亜夢との関係など洗いざらい話した。

 そして茉莉花がこの病院で保護されていることを聞いて、自分がこの病室で面倒することを申し出た。


 璃亜夢は自分と茉莉花を助けるために彼を殺害したのだろうか。


 大黒は怪我一つない茉莉花の顔を覗き込みながら思いを馳せる。

 何かできることはないのか。

 茉莉花を怪しながら大黒は璃亜夢のことを心配した。


 ***


「相変わらず難しく考えすぎだろう」

 悩む大黒にそう言い放ったのは、見舞いにきた宮だった。

 宮は、大黒の家族から報せを聞きやってきたのだ。友人として頼りになる彼なら、璃亜夢と茉莉花にできることを何か示してくれると思い相談したのだが、宮の言葉は寂しいものだった。


「警察沙汰になった時点で、今回の件は赤ん坊のことも含めてあいつの親にも連絡行ってるだろ。なら、あいつの今後も、赤ん坊のことも警察と家族の問題だ。他人のお前が首突っ込む領分じゃあない」

 正論が大黒に突き刺さる。

 わかっている。これ以上はただのお節介であることは。だけど、知らない振りはできない。

「それでも……何かしたいんだ。僕がもっと気にかけていたら璃亜夢さんは人を殺すなんてしなかったのに」

 大黒はまるで自分が大罪を犯したかのように苦しそうに呟く。

 宮はそんな大黒を見ながら、それは今更考えてもどうしようもないことだ、と思ったがそう説明してもどうしようもないと口を噤む。

 大黒に抱えられた茉莉花は、何が起こったかわからないのだろう、穏やかに寝息を立てている。

 この子の未来はどちらにあるのだろう。

 宮ですら、他人事ではあるが、茉莉花の今後に同情してしまう。


 そんなとき、大黒の病室の扉が叩かれる。

 看護師か、警察か。

 大黒は「どうぞ」と答えると、扉はゆっくりと開き看護師でも検察でもない様子の女性が入ってくる。

 化粧をしてフォーマルな服に身を包んだ女性は深々と二人にお辞儀する。

 大黒や宮よりも歳を重ねた女性だが、誰かに面差しが似ている。

 二人が顔を見合わせると、女性は頭を下げたまま「酒栄です。この度は娘が大変ご迷惑をお掛け致しまして申し訳ございません」と呟く。

 その言葉に大黒と宮はただただ驚く。

 璃亜夢の母。確かに面影がある。

 しかしながら彼女が現れたことに、大黒も宮も驚く。

 二人は璃亜夢から、母は璃亜夢のことを嫌いもう娘として見ていない、というニュアンスの話を聞いていたからだ。

 まさか彼女の母がやってくるとは思わなかったし、何より今回のことで謝罪を受けるなんて思ってもみなかったのだ。

 狼狽する大黒と宮を余所に、璃亜夢の母はゆっくりと頭を上げて悲痛な面持ちでゆっくりと大黒が座るベッドに歩み寄る。


「これまでのこと、警察と弁護士から説明を受けております。娘の身勝手な行動から大黒さんには何とお詫びをして良いか」

「いえ、寧ろ璃亜夢さんのおかげでこの程度の怪我で済みました。璃亜夢さんは僕の命の恩人です」

「それは違います。貴方に怪我を負わせた男性はあの子が家出して遊び歩いている時に知り合った人と聞いています。今回の事態はあの子が招いたことなのです。あの子と関わったばかりに貴方はそんな怪我を負ってしまったのです」

 何処か淡々と告げる璃亜夢の母の言葉に、宮は「確かに」と呟くので思わず大黒は顔をしかめる。


「私は……あの子が家を出たとき、探しはしませんでした。何かやりたいことを見つけて、家にいてはできないことなのだと思い、あの子の自由にさせました。きっとそれが間違いだったのでしょう」

「家を出た理由を知らなかったんですか?」

「ちっとも。何にせよいつか帰ってくるだろうと重くは考えていませんでした」

「璃亜夢さんは、自分はもう要らなくなったと言っていましたがそれは」

「まさか。それは璃亜夢の思い違いです」

「そんな……」

 璃亜夢の母の言葉に大黒はそれ以上言葉が出なかった。

 もし、もっとちゃんと二人で話をしていたら違う未来があったのではないか。

 大黒は胸が酷く痛んだ。


「あの、この子についてはご存知ですか?」

 黙って話を聞いていた宮が不意に璃亜夢の母に声をかけて大黒が抱える茉莉花を指差す。

 その声に彼女は悲痛な表情で、初めて相対する孫を見つめる。


「その子が、璃亜夢が産んだ子ですか」

「茉莉花ちゃんです」

「茉莉花……」

 彼女はまるで化物を見るかのように、恐る恐るベッドに近づき茉莉花の顔を覗き込む。穏やかに寝息を立てる茉莉花の表情を見て、彼女は痛々しく顔を歪めた。


「抱いてあげてください」

 大黒は茉莉花を彼女にゆっくりと差し出す。だけど彼女は顔を大きく横に振ってそれを拒む。

「駄目です、私には無理です。何より、きっと璃亜夢がそれを望みません。妊娠だって大事なのに、出産しても連絡を寄越さなかったのは、私にこの子を会わせたくなかったからです。私は抱けません」

 そう言いながら彼女は後退る。

 そんなことはない、きっと璃亜夢は茉莉花を会わせたなかったはずだ。

 大黒はそう考えるが、でもそれは大黒の『願望』でしかないのだ。結局のところ、本心は聞けないままこんなことになってしまったのだ。

 大黒は突き出していた手を引っ込めて茉莉花を見つめる。


「お嬢さんはどうなりそうですか」

 宮が問いかけると彼女は視線を下げる。

「大黒さんのことがあったとしても、過剰防衛になるそうです。実刑も覚悟するように弁護士から既に言われております」

「じゃあこの子はどうなりますか? 貴方がお孫さんを育てますか?」

 宮が更に問う。

 まるで詰問のようだ。

 璃亜夢の母は「それは……」と言葉を濁す。


「……私には育てられません」


 そうか細いながらもはっきりと告げる彼女の言葉に大黒は衝撃を受ける。

「どうしてですか?! 父親が誰かわからないからですか?!」

 思わず大黒は声を荒げるが、璃亜夢の母は「違います」とあっさりと否定する。


「それならどうして」

「私は璃亜夢の母として、あの子をちゃんと育てることができませんでした。そんな私が子供を育てるなんて……無理です」

 そう悲痛な表情で断言する璃亜夢の母。

 彼女の言葉に大黒はショックを受ける。

 まさかそんな。

 これから璃亜夢が刑に服することになる。そうなったら誰が茉莉花のそばにいるのか。大黒は彼女の母が茉莉花と共に璃亜夢が戻ってくるのを待ってくれればと思っていたが、その願いが崩れるのを感じた。

 青ざめる大黒を横目に宮は「じゃあどうするんですか?」と更に問う。


「養子に出そうかと考えております。その方がこの子にも良いでしょう。母親が人殺しだなんて可哀想です。それに璃亜夢が戻ってきたとき、あの子が子供を育てられるだなんて到底思えません。あの子はまだ子供です、人の親になんてとても」

 そう呟く彼女に大黒は首を横に振った。

「そんなことはありません、璃亜夢さんはまだ未成年ですが、それでも茉莉花さんと向き合おうとしていました。どうか、璃亜夢さんのことも茉莉花さんのことも、諦めたないでくれませんか」

 大黒がそう懇願するも、璃亜夢の母の顔色は良くない。

 そんな彼女の顔を見て、遂に大黒は言ってしまう。


「じゃあ僕が茉莉花さんを育てます」


 その言葉に、宮も璃亜夢の母も驚く。

 宮は思わず大黒の胸倉を掴む。

「何言ってんだ、お前! 犬や猫の世話するのとワケが違うんだぞ!?」

「わかってる」

「わかってねえ!」

 宮はそう叫びながら、大黒の額に頭突きする。後頭部の怪我とか抱えている茉莉花のこととか、普段の宮なら絶対にわかっていることを忘れてしまうほど、大黒の発言は宮を動揺させた。その結果の頭突きだった。

 大黒は勿論、宮も額を押さえて悶絶するが、宮はすぐに顔を上げて大黒を睨む。


「お前には無理だ。今回のことで責任を感じてるのはよくわかる。だけど、それはもうお前の責任の外のことだ。できないこと抱えたって、困るのはお前と茉莉花だろが!」

 あまりに正論。

 だけどもう大黒も踏み止まらなかった。

「それでも俺は、璃亜夢さんにも茉莉花さんを諦めてほしくないんだ。それに璃亜夢さんをお母さんとして見るか見ないかは、茉莉花さんが決めることだと思う。周囲がとやかく言う筋合いじゃないし、それは璃亜夢さんだって同じ。璃亜夢さんがどうしたいかに関係なく、茉莉花さんのお母さんは璃亜夢さんなのは、変えられない事実だから。……それで、もし、璃亜夢さんと茉莉花さんの縁が繋がったままなら、僕は二人にちゃんと親子になって欲しい。これは僕の我儘なんだよ、宮」

 そう言ってのける大黒に宮は諦めたかのように項垂れる。

 璃亜夢の母は、娘を諦めることしかできなかった自分とは違い、璃亜夢も茉莉花も諦めない大黒の言葉に少し目元を手で隠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る