46:対面は想像以上の静けさが漂う

「貴方は一体何をしているの」

 そう璃亜夢に言い放ったのは、数ヶ月ぶりに再会した母だった。


 璃亜夢が永延を刺殺した直後、騒ぎを目撃した近隣住民が警察に通報し、璃亜夢は殺人の現行犯で逮捕された。

 あの夜の茹だるような熱が引くと、手や服をじっとりと濡らしているのが汗だけではないことに気がついたのはパトカーの中だった。

 血の匂いが甚だ不快だった。それも永延の血であれば尚の事。

 あの時、もう動かなくなった永延を見て、璃亜夢は自分がしでかしたことを思い知ったが、薄ら笑いを浮かべたまま死んでいる永延の顔を見てしまい罪悪感なんてこれっぽちも沸かなかった。

 寧ろ死んだ後でも、璃亜夢をあざ笑うかのようなあの男に怒りが込み上げた。


 あれだけ警察と関わることを避けようとしていたのに、逮捕されたときは驚く程抵抗する気がなかった。

 家出娘であることなんて簡単にバレて、あらゆる事を聞かれた。

 殺した永延との関係。

 血痕が続いていた部屋で倒れていた大黒との関係と、彼も璃亜夢が殺そうとしたのか。

 その部屋にいた茉莉花のこと。

 それらの事柄に答えながらも、璃亜夢は警察が大黒や茉莉花のことを見つめてくれていたことに安心した。

 璃亜夢は聞かれたことに答え、書くように指示された書類を記載していく。

 そうして慌しく何日も過ぎていった。

 一人でいるとき、大黒がどうなったか、茉莉花は誰が見てくれているか、そんなことばかり考えてしまっていたけれど、今の璃亜夢にはもうどうにもできないことだった。


 それからどれくらいの時間が過ぎた頃か、璃亜夢は警官に呼ばれ来たこともない部屋へ連れて行かれる。

 その部屋は取調室よりも広い部屋だったけれど、部屋の中央には透明なプラスチック板で仕切られていて、プラスチック板の向こうには、数ヶ月ぶりにまみえる母の姿があった。

 母は綺麗に化粧を施し髪を整え、とてもきちんと姿でそこにいた。

 髪はぼさぼさで、顔にはまだ殴られた赤みがいくつも残っている璃亜夢とは大違いだった。


 璃亜夢は久しく見る母にあからさまに狼狽して、言葉が何も出てこない。母の向かいに座ることもできず、扉の前に立ち尽くす。

 母はそんな璃亜夢の姿を一瞥すると「貴方は一体何をしているの」の淡々と言い放つ。その言葉に璃亜夢は返す言葉もない。

 俯き気味に立ち尽くす璃亜夢に対して、母はお構いなしに話を続ける。


「娼婦の真似事をして日銭を稼いで、その上妊娠出産? 挙げ句の果て殺人? 家出してしたかったことがそれなの?」

「……」

 母の言葉を聞きながら璃亜夢は唇を噛む。

 本当に何をしているんだ。そう璃亜夢に問いたいのは他ならぬ璃亜夢自身だ。

 俯く璃亜夢を余所に、母は「家を出て何かしたいことがあるのかと思ってたのに」とぼやく。

 その言葉に璃亜夢は顔を上げてよろよろとプラスチック板に歩み寄る。


「私が要らないから探さなかったんじゃないの?」

「璃亜夢が何かしたいことを見つけたから家を飛び出したと思ったのよ。だから警察にも通報はしなかったし、スマートフォンの契約も支払いもそのままにしてたでしょ」

 母の言葉に璃亜夢は衝撃を受ける。

 もう要らないから探さないのだと思っていたし、永延もそう言っていたから疑うことはしなかった。

 だけどそうではなかったことを知って璃亜夢は動揺する。

 まるで全てが裏目にでているような感覚に頭が痛くなる。


 家を出て行く前に、ちゃんと話をするべきだったのか。

 でも、既に遅いのだ。

 そんなことを考えても今更どうにもならない。


 璃亜夢は諦めたように母の対面に座る。

 その様子に母も何か璃亜夢との間に明確な食い違いがあったことを察して表情を険しくする。


「弁護士と話はしたけど、正当防衛は難しい、過剰防衛になるそうよ」

「そう、だろうね。わかってる」

 璃亜夢はあの夜のことを思い出す。

 何度も何度も何度も、璃亜夢は永延を突き刺した。

 過剰、と言われて当然。璃亜夢も確実に永延を殺すために刺したのだから。万が一、病院に担ぎ込まれて一命を取り留めたなんてことにはしたくなかった。

 実刑も致し方ない。


 自分の犯した罪に対して既に覚悟を決めている様子の璃亜夢に母は遂にあのことを口にする。


「貴方が刑務所でも少年院でも行くのは勝手だけど、茉莉花はどうするつもりなの」


 母の言葉に璃亜夢は肩を震わせる。

 逮捕されたときから今この瞬間まで、どうしているのか、気になっていた。だけど母がそのことを話すなんて思っていなかった。

『要らなくなった娘』が産んだ子供なんて、問うこともせず何処か他所へやってしまうと思っていたから。

 心の中でもう会うことはないのだろうと諦めていたのに、まさか、どうする、なんて問われるとは思ってもみなかった。

 というか、今母は茉莉花の名を呼んだのか。

 何処で名前を知ったのか。警察や弁護士から教えられたのか。

 そんなことを考えながら璃亜夢は喉がカラカラに乾くような感覚に襲われながら、自分の結論を述べる。


「一度はあの子の『お母さん』になるのも良いかなって思った。だけど、今は、もう駄目。まだあいつを刺した時の感覚が手に残ってる。血の匂いがしてる。徐々に体温がなくなっていくのを覚えてる。覚えてるの。それが私をずっと追いかけてくる。これからもずっとずっと。それはきっと、私が形式的に許された後もきっと追いかけてくるの。その時、私は私があの子と一緒にいる未来が想像できない。笑ってる顔が見えない。見えないの。……私は、あの子の『お母さん』になっている自分が許せないし、茉莉花にも許さないで欲しい。私は茉莉花の『お母さん』にはならない」


 璃亜夢はぽつりぽつりと呟く。

 言葉が進むにつれて、璃亜夢は涙を零す。

 母は璃亜夢の言葉を渋い表情で聞いていたが、璃亜夢の声が途切れると溜息を漏らした。


「わかったわ、茉莉花は貴方の籍から抜く」

「養子に出してくれるの?」

「貴方がどう考えているか確認したけれど、実はもう茉莉花の今後のことは決まってるの」

「……そう」

「今から茉莉花の今後について話すわ」

 母はそう言うと、カバンから数枚の書類を取り出して璃亜夢に見せた。

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