18:痛くて苦しくて悲しくて

 璃亜夢は多目的トイレで声を殺して泣き続けていたがどれくらいの時間が経った頃か、徐々に腹部に痛みを感じ始める。

 この世の終わりが来たのかと璃亜夢は感じた。

 暫くは一定間隔で痛みがやってきては引いていく感じを繰り返す。

 璃亜夢は腹の痛みに恐怖を感じながら祈るような気分で便座に座っていた。

 だけど時間が進むにつれ、痛みは増し、いよいよ座っていられなくなりタイルに転がった。普段なら衛生面とか気になって絶対にできないが、今は腹の痛みにもうそれどころじゃあなかった。

 のたうち回るように床を転がる。

 叫びそうになるのを、コインランドリーで洗ったばかりのタオルハンカチを口に詰めて堪える。

 痛すぎて只管辛い。

 世の母親たちはこんな苦行に耐えて子供を産むのか。

 望んで子供を産む母親たちでも大変なことなのに、望んでもないのにこの瞬間を迎える璃亜夢に耐えられるのか。

 このまま無残に死んでしまうんじゃないのか。


 璃亜夢は何度も何度も体勢を変えながら痛みに耐える。

 最終的に仰向けの体勢に落ち着く。

 出る、もう何か出る!

 股の方へ途轍もない力で圧迫される感覚に目が回る。

 見れないからわからないが、腹の中のこいつの頭が子宮口から出てこようとしているのかもしれない。

 痛くてもうよくわからなくて。

 こういうとき、ドラマとかでどういう呼吸方法をしていたか。思い出そうとするが、痛いとか苦しいとか、そういうことが璃亜夢の思考を埋めてしまう。

 本当に痛くて苦しい。

 助けて欲しい。

 この痛みから誰か助けて。

 璃亜夢は口の中のタオルハンカチを噛み締めて何度も力む。

 何度力んだかわからない。

 だけどその瞬間は来てしまう。

 それまで苦しい程の圧迫感が不意にするりと抜ける。


 んやああああああ。

 ふぎゃあああああ。


 多目的トイレに鳴き声が響く。璃亜夢を苦しめ続けた獣の鳴き声だ。

 璃亜夢は腹部を襲う圧迫感に解放されゆっくりと身体を起こしタオルハンカチを吐き出して漸く十分に呼吸をする。

 視線を下ろすと、そこには小さな猿のエイリアンのような生き物がいた。

 こんな小さな生き物に、璃亜夢は死にたくなるような気持ちになっていたことに複雑な気持ちだった。

 ちょっと高いところから落とせば、簡単に殺せるに違いない。

 こんなちっぽけな存在に……。

 璃亜夢は血まみれのくしゃくしゃな小猿のようなものを見て嘲笑する。


「お前のせいで、散々な目にあったわよ」

 璃亜夢はふがふがと呼吸をして鳴き声をあげる生き物に手を伸ばす。

 妊娠してから随分体力が損なわれてきた璃亜夢であっても、生まれたばかりのこいつを絞め殺すくらいはできるだろう。

 抵抗もできないはずだ。

 璃亜夢は恐る恐るそれに触れる。


 温かい。

 血の気の引いた璃亜夢よりも温かい。

 その温かさに、当たり前の話だが、こいつも生きているのだと璃亜夢は思う。

 自分は今から生き物を殺すのだ。

 そう思っていると、璃亜夢の手に何かが触れる。

 生まれたばかりの生き物の小さな手が、首を絞めようと伸ばしていた璃亜夢の手に触れる。

 小さくふにゃふにゃな手で璃亜夢の手に触れた。


「……触るなよ、気持ち悪い」

 璃亜夢は掠れた声で言い放つ。

 だけどそいつは璃亜夢の手を握って、一瞬だけ、笑ったかのように表情を変える。

 それを見て、璃亜夢は無性に泣きたくなった。

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