12:地獄の住処の居心地は

 翌日、いつものようにファミレスで食事を取る璃亜夢りあむ

 昨晩のつけ麺もそうだが、目の前に永延ながのぶがいるだけで、どんなに美味は食事ももう味がしない。ただ歯で噛み切れるものを口に入れて飲み込みその栄養摂取して腹を満たすだけの行為。何の感動もない。

 それはこいつとの性行為に似ている。……いや、不快感と嫌悪感が少ない分、食事の方が救いがある。

 永延の指が身体を這い、舌の生温い感触に襲われ、足を開かされ身体の中に入り込まれる気持ち悪さは絶望的だ。前世でどんな悪行を積めば、こんな目に遭うのだろうかと佛に問いただしたくなるような苦行だと言っても差し支えない。

 ただでさえ、身体には異物が巣食っているのに。こんな男の相手までしなくてはならない。毎回数枚渡される一万円札はこの上なく有り難いけれど、対価としての精神的肉体的苦痛と釣り合わない。


 ここは地獄か。

 救いなぞない。


 璃亜夢はそう自分に言い聞かせながら、クラブサラダサンドとサラダを口に押し込んでいった。

 ふと窓の外を歩く学生の姿が璃亜夢の視界を掠める。

 それと同時に、璃亜夢は昨日永延が見せてきた中学校のクラス写真のことを思い出しながらちらりと向かいに座る永延を見る。

 本当にこいつが何を考えているのかわからない。

 璃亜夢のことを調べてきて、璃亜夢の素性を暴き出した。それをネタに脅してくるのかと思えば、そういうことは今のところされていない。何が目的なのか全く読めなくて本当に不気味な男だ。

 だけどその男に助けられて生きている自分がいることもわかっていて、璃亜夢は気分が重くなった。


 少しして、璃亜夢も永延も食事を終えて、璃亜夢はやっとこいつの顔を見る時間が終わると内心ほっとする。いつもどおりなら、永延がテーブルに一万円札を置いて終わる。そのお金があればまた暫く生きていける。

 璃亜夢はそんなことを考えるが、永延はテーブルに一万円札を置くことなくゆっくりと立ち上がる。そして伝票を持つと「じゃあ行こうか」と璃亜夢に微笑む。


 行くって何処へ。


 永延の言動に璃亜夢はぽかんと永延を見上げる。

 すると永延は怪訝そうに「あれ、来ないの?」と首を傾げる。璃亜夢が全くわからないという様子で永延を眺めているので、永延は「昨日いい場所教えてあげるって言ったじゃん」と返す。

 あの言葉は本気だったのか。

 勿論璃亜夢は本気でそういう場所を探しているが、永延は璃亜夢を揶揄うための冗談のつもりかもしれないと何処かで思っていた。だからまさか昨日の今日で、そんな場所を紹介してくれるとは思っておらず璃亜夢は心底驚く。


「止めとく?」

 永延が薄笑いを浮かべて璃亜夢に問う。

「……いく」

 璃亜夢はそう答えて席を立つ。

 まるで白痴だ。馬鹿じゃないかと璃亜夢は自分自身に思う。

 だけどそれ以外、もう自分には何もできないんじゃないかとも思えてしょうがないのだ。

 泥の中へと足を進めるとように璃亜夢は永延の後に続いてファミレスを出た。


 ***


 ファミレスを出て三十分程タクシーに乗って辿り着いたのは、まだ新しい感じがする二階建てのアパートだった。

 まさかアパートとは。

 もしかしたら売春宿にでも突っ込まれるかもしれないと覚悟してきたが、まさかのアパートとは。いやしかし、もしかしたらこのアパートを拠点に客を取らされるという可能性も……。

 その可能性を考えていると、永延は璃亜夢を置いて先に外階段を上がって二階へ上がるので、璃亜夢も恐る恐る階段を上がってついていく。


「此処だよ」

 永延はそう言うと幾つもの鍵がついたキーホルダーを取り出して、鍵を探す。そして目的の鍵を見つけると扉をあげる。表札には『永延』と書かれていることに璃亜夢は驚く。

 永延は、来ているものも身につけているものも、恐らくブランド品の類だろう。

 金の羽振りも良いことは、毎回の夕食や次の日の朝に置いていく一万円札から知っていた。この男の家は、きっと高級マンションなのだろうと信じて疑っていなかった。

 そんな男がアパート住まいとは。これが驚かずにいられるか。

 そんなことを思っていると、永延はさっさとアパートの一室に入る。

 璃亜夢は躊躇しつつも部屋に入る。


 アパートはワンルームになっているが、その室内に璃亜夢は驚く。

 その家具の少なさに。

 目に入ったのはベッドとソファー、そして小さめの冷蔵庫だけだった。

 テレビは勿論、物を収納するための棚が全くない。そのために物が乱雑にあるかと思うが、そもそも物がないのだ。

 人が住んでいるようには到底思えない。

 璃亜夢は玄関に佇みながら玄関も見るが、他に靴も、傘も、玄関にありそうなものが全くない。

 不審に思っていると、永延はさっさと部屋にあがり正面の大きな窓を開ける。すると途端に風が入ってきて、部屋に滞留していた埃が一気に舞い出す。

 やっぱり暫く人がいなかったような部屋にしか思えない。


「ごめんね、この部屋に暫く使ってなかったから」

 永延はそう言って笑う。

 璃亜夢は恐る恐る部屋に上がり「この部屋に住んでないの?」と訊く。


「ここは昼寝用に借りてるだけ。家は別にあるよ。たまに仕事の合間とかに寝たくなるからそういう時のために借りてるの。でもちょっと遠いからあんまり使ってなくてさ」

 永延はそう言いながら、宙を舞う埃を手で払うような仕草をする。

「暫く使って良いよ此処」

 そう言って微笑む永延。

 正直璃亜夢は驚く。永延に頼みごとをするなんて早まったかと思ったけれど、こんな部屋を貸してくれるのならもっと早くに話せば良かったと不覚にも考えてしまう。

 素直に喜んでいいのだろうか。

 そう思いながらも璃亜夢は「ありがとう」と呟くが、永延は怪訝そうに璃亜夢を見る。


「『ありがとう』? 何か間違ってない?」

「えっ」

「ありがとう、ございます、は?」

 薄笑いを浮かべながら、永延はそう言い放つ。

 璃亜夢はぎょっとしながらも慌てて「ありがとうございます」と言い直す。その様子に永延は笑みを深くする。


「そうだよね、俺と君は別に友達でも何でもない。目上の人間に対しての口の利き方くらい気を付けないとね。そんなことばからお母さんに捨てられちゃうんだよ?」

 そう言われて璃亜夢は血の気が引く。

 捨てられた。その言葉が璃亜夢の精神を圧迫する。

 永延は顔を真っ青にして俯く璃亜夢の顎を掴むと無理矢理自分の方を向かせる。

 そして鼻で笑いながら「可哀想なコ」と呟くのだ。

 璃亜夢は、何かしら言い返したい衝動に駆られるが、この男の機嫌を損ねて折角借りれそうな部屋を追い出されたくなくって歯を食い縛る。

 そんな璃亜夢の様子に永延は満足そうに彼女の顎から手を離して解放する。


「基本的に何使っても良いけど、ベッドは使わないでね。自分のベッドに他人が寝てるのは好きじゃないんだ。寝たいならソファーを使ってね」

「……はい」

「あと綺麗に使ってね。たまに様子見に来るけど散らかってたらすぐさま追い出すから」

「はい」

 璃亜夢は俯きつつ返事をする。

 永延は璃亜夢の青白くなった表情を見て満足そうに笑って「璃亜夢ちゃんはいい子だね」と言い放つ。


 それはまるでペットにでも言うような様子だ。

 璃亜夢は感じる。

 私はこいつに飼われているだけのかもしれない。

 この男にとって私は人ですらないのだろう。

 では一体何なのだろう。

 璃亜夢はそう思いながら、それでも与えられた部屋に安心してしまったのだ。

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