11:辛いや悲しいよりも屈辱が勝った
食事を終えると、案の定、
そもそも知識が乏しい璃亜夢だが、以前永延に璃亜夢がこんな身体になっているが性交は許されるのか尋ねると、永延は笑みを浮かべたまま「別に禁止じゃないんだよ」と言っていた。
禁止じゃないって、それは誰の発言なんだと、璃亜夢はただただ呆れたのを覚えている。つまるところ、この男はどれだけ璃亜夢の腹が大きくなろうが止める気が全くないということを悟った。
だから今日だって、何の躊躇もなく璃亜夢をホテルに連れてきたのだ。
軽蔑しかない。
とはいえ、今夜は身体を横にして眠れることは有り難かった。この男がセットじゃなければ泣いて喜ぶところだ。
璃亜夢は諦めたようにシャワールームに足を向ける。最近はシャワーばかりだったから、久しぶりお湯に浸かれるのも有り難い。本当この男がいなければ……。そんなことを考えていると、唐突に永延は「ねえ、璃亜夢ちゃん」と彼女を呼び止める。
璃亜夢が振り返ると、永延はベッドに座り璃亜夢に笑いかけていた。その笑みに璃亜夢は不快感と妙な胸騒ぎを覚えた。それは先程夕食を済ませた店で、永延が『話がある』と言っていたときに見せた笑みによく似ていた。
「何」
璃亜夢が答えると同時に、永延はベッドに置いていた彼のカバンから何か取り出して彼自身の足元に落とすように投げる。
それは写真だった。
普通の写真のサイズよりも横に大きな写真。
大勢の統一された服装の男女が、均等に列を成して皆の顔がわかるように雛壇に乗っている。
所謂集合写真、それも学校のクラス写真だった。
そのクラス写真に璃亜夢は見覚えがあった。
なんだったら、同じものを璃亜夢も持っていた。というか、そこに写っているのだから。
璃亜夢は自分が列の中にいるクラス写真を見て、一気に血の気が引くのを感じた。
何故、この男がこんなものを持っているのか。
写真は去年の春、まだ中学校に真面目に通っていた璃亜夢が、集合写真の撮影に少し照れたような笑みを浮かべて写っていた。この写真に写る自分は、たった一年で人生がこんなにも変わってしまうことを知らないのだろうと自分のことなのに同情してしまう。
璃亜夢は思わず床に膝をついて爆弾にでも触れるような危なっかしい手付きで写真に手を伸ばす。
あからさまに動揺する璃亜夢を、永延は緩やかに微笑みを浮かべる。
「璃亜夢ちゃんさあ、十八歳って言ってたけど本当はまだ十五歳だったんだね」
そんな永延の言葉に、璃亜夢は血の気の引いた顔をゆっくりとあげてベッドに座ったままの永延を見上げる。
「どうして」
どうして知っている。
いや、聞かなくてもわかる。この男はわざわざ璃亜夢の素性を調べてきたのだ。一体どういうつもりで……。
そう考えたとき、先日の焼肉店での彼の台詞を思い出す。
だから言ったでしょ? 『俺が育ててあげようか』って。
これもその延長戦なのか。彼の考えが、目的が、全くわからない。
この男は一体何がしたいんだ。
底知れない恐ろしさに、璃亜夢はただ永延を見上げる。
自分のことを、恐怖で濁った暗い瞳で見つめてくる璃亜夢に、永延は優しい声で呟く。
「そんなに吃驚しないでよ。一緒に遊んでいる女の子がどんなの子なのか知りたくなっただけだって。未成年な上、家出少女だから尚更? 万が一、警察沙汰になったとき、困るから身辺調査させてもらったんだ。そしたらまさかの十五歳だったんだから、俺の方が驚いたよ」
永延はそう言いながら更にカバンから別の写真を取り出して、床に座り込んだまま動けずにいた璃亜夢の方へ投げ落とす。
その写真は、璃亜夢の家の前で撮られたもので、璃亜夢の母が隣の家の夫人と談笑している様子だった。璃亜夢の母と隣りの家の夫人は仲が良く、こうして話をしていることが多かった。
でもこれはいつ頃撮られた写真なのか。
久しく見る母の顔は、璃亜夢が家を出て行く前と何一つ変わらない美しさが貼り付いており、璃亜夢はこの顔で母が言い放った『可愛くない』という呪い地味た言葉を思い出していた。
写真を黙って見つめる璃亜夢に、永延は「それ十日前の写真だよ」と嘲笑する。
「十五歳の一人娘が家出してるのに探しに来ないだけでも、どうかと思うけど、笑顔で近所の人と話しているって相当凄いよね」
「……」
「知ってる? 璃亜夢ちゃんって近所じゃあ、進みたい分野の高校が近くにないからおばあちゃんの家に引っ越して高校に通ってるってことになってるんだよ」
「……元から世間体とか、周囲の目とか、気にする人だったから……。寧ろ家出をするような『可愛くない』娘が、あの人の中でまだ生きてることになってるのに笑っちゃうわ」
璃亜夢はそう言いながら、母の写真を握り締め、ぐしゃぐしゃに丸めて壁の方に投げる。ゴミのように丸められた母の写真は壁にぶつかってそのまま落下する。一度ぐしゃぐしゃにされた写真は、もう折り目がなかったものには戻らない。それは璃亜夢と母の関係そのものだった。
でも。
璃亜夢は心の何処かで思っていた。
もしかしたら、母はあの発言を撤回し、私を心配してくれているのではないか。
まだ私のことを『可愛い』と思ってくれているのではないか。
でも写真と、永延の話を聞いてその角砂糖の甘くて脆い願いが崩れる。
母はこれまで璃亜夢を探していないし、心配もしていない。
そしてこれからも。
わかっていたことだった。
だけど璃亜夢を悲しみが襲う。
顔を伏せて泣きそうな顔を隠す璃亜夢を見ながら、永延は静かに、笑い堪えて歪む口元を隠して璃亜夢を眺める。
「可哀想に。璃亜夢ちゃんは、本当に可哀想だ」
永延は努めて、笑わないようにそう呟く。顔を伏せている璃亜夢にはそんな永延の表情を知る由もない。
「一人で、そんな大きなお腹を抱えて。可哀想だよね。本当に可哀想。……だから色々助けてあげたくなるんだ」
永延が不意に呟いた言葉に、璃亜夢はゆっくりと顔を上げて「助ける?」と呟きながら永延を見る。すると永延は人の良さそうな笑みを浮かべる。
「さっき言ってたでしょ。『何処か格安で、横になって寝れるような場所知らないか』って。良い場所を教えてあげようか?」
そう言って笑う永延の言葉は、強烈に不安感を煽った。
だけど、璃亜夢は一人なのだ。こいつが言う通り、可哀想なのだ。
行く宛も、お金もない。
他に頼れる人もいない。
こんなヤツに縋らないといけない可哀想な子。
「教えて……」
璃亜夢が声を搾り出すように呟く。
すると永延は相変わらずベッドに座って璃亜夢を見下ろしながら一言こう返す。
「人に何かを頼むときはどうするか、知らないの?」
永延は、朗らかに、穏やかに、そして何より言葉とは裏腹に人の良さそうな笑みを貼り付けて言い放つ。
その言葉に璃亜夢は、心なのか精神状態なのかわからないが、自分の内側にある何かにヒビが入るような気持ちになる。
璃亜夢は唇を噛みながら、床に頭を擦りつけるようにゆっくりと頭を下げる。
途中で膨れた腹部が邪魔でそれ以上身体を曲げられなくなりながらも、それでも頭を低くする。
「お願いします、私を助けてください」
そう血反吐を吐くような気分でそんな苦い言葉を口にする。
璃亜夢がそう言うと永延は漸くベッドから立ち上がり床に座って頭を下げる璃亜夢の前までやってくる。
「偉いね璃亜夢ちゃん、ちゃんと出来たね」
永延はそう言いながら璃亜夢の頭を撫でると、璃亜夢の顎を掴んで顔を強引に上げさせると彼女の少し血の滲んだ唇に舌を這わせるようにキスをした。
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