[エピローグ]レヴァルとマセコの想い


 人生で経験したことは結果としてすべて活きてくる。一見、無駄な時間であってもそれは必ず自分の糧になるだろう。が、しかし逆に、人というものは経験したことしか活かせない、それも事実なんだ。


 かつて、レヴァルが納得した言葉だ。誰が言ったのだろうか、レヴァルは弱った身体に苛立ちながら、サラが向かう東の空を見上げた。



 昨夜。

 もう一つの選択肢もあったのだ。


 大国の援助を求めるために、ヴィトセルクが隣国のイオミア王国に向かったとき、ガレー船を降りた川辺でサラと二人きりだった。


 彼は迷い、苛立ちのなかにいた。


 雪のような白い灰が降り続け、夜はどこまでも幻想的で美しく、レヴァルは泣きたいのか怒りたいのか、それさえも理解できずに胸のなかが泡立っていた。


 サラに答えを求めることができない。

 そもそもレヴァルは愛という感情を知らない。女たちが彼に寄せる思い、時にあけすけな誘惑。彼にとって恋愛とは、そうした即物的な感情でしかなかった。


 サラが彼のうちに引きおこす不確かな、なんとも捉えどころのない感情がなにかを知る経験がなかった。


 昨夜……。


 サラの横顔は崇高すうこうな高みで輝いていた。この女を失うことなど不可能だ。ドラゴンへのイケニエとして差し出せるはずがない。

 このか弱い、なにも知らない女にそんな重荷をおわせるなどと、なぜ考えたのだろうか。


 彼女の育ての母は彼に託すときにこう言った。

『この子をよろしく。私のすべてをかけて育てた子ですから』


(そうだ、ハカセ。俺は自分の経験でしかモノが見れない)


 世界か、サラか、その選択肢には答えがなかった。


「レヴァル」と、サラは川辺でささやいた。

「今更、この世界に私をつれてきたことを後悔しているの」

「ああ、サラ……。俺は後悔している」


 ふたりは前にも後ろにも進むことができなかった。絞りだすような声でレヴァルが告げた。


「逃げないか」

「レヴァル、逃げた私を連れ戻したのは、あなたよ」

「ああ」

「あのキャンプファイヤーで騒いでいる仲間すべてを捨てるつもりなの」

「ああ」

「そもそも、私の世界から連れ戻したのも、あなた」

「ああ、ああ、そうだ。そうなんだ」


 彼は、それ以上答えることができなかった。自分の気持ちに流されるのは容易い。そして、容易い結果ほど彼の嫌いなものもなかった。


「あの世界にもどりたいか」

「そう……、ね」

「酸素を吸う世界だ。おまえを愛する母がいる世界だ」

「あの世界では長く生きられないと言ったのも、あなたよ」

「そうだな」

「私のほうが早く死ぬところを、ハカセに見せたくない。それは残酷よ」

「ハカセにとってか」

「ええ、私の大切な母よ。そう、無理なのよ。はじめから、そんな夢のようなことは無理なの、レヴァル」


 そう言ったサラの顔は泣きそうに見えた。


「なぜ、一つしか道はないと思いこむ」

「私の身体が時間単位で強くなるのを感じているの。私は2月29日に生まれてしまった。それが選ばれた者の意味、私の宿命っていうのでしょう、こういうのを」

「……」

「言葉で説明できないわ、レヴァル。これはドラゴンとの絆。生まれた瞬間から決められた道よ。その先に向かって真っ直ぐに生きるしかないみたい」


 自分の言葉を裏切るようにサラの細く壊れそうな肩がふるえていた。まだ、18歳なのだ。世界をこの細い肩に背負うと決めた宿命の女は、なんという悲しい覚悟で立っているのだろう。


 俺はなにをした。レヴァルは考えた。

 この美しく気高い顔を守ることもできずに、ただ見守るだけなのか、と。


 頬に手を伸ばすと彼女の肌は熱く燃えていた。手に伝わるこの熱を手放すことができない。心臓が引きちぎられ血を流すにちがいない。


「お前を見つけなければよかった」


 顔が近づき、サラの吐く息を頬に感じる。


「見つけなければ……、

 俺は9年の間……、あの世界を経験してわかった。どれほど、フレーヴァング王国がいびつかということだ。力が欲しいと思ったよ。この世界を変える必要があるとな」

「では、私たちに、もう答えは出ているじゃない」


 やわらかく甘やかな唇を感じたとき、その言葉は虚しく宙に漂った。

 泣きたいのに泣けなかった。

 ふたりはむさぼるように、互いの唇にふれ抱き合った。


 運命を受け入れ、それをなすことを決意した彼女の顔はせつないほど美しく気高かった。



 ********



 炎の巫女はドラゴンの上で燃えている。

 痛くないのか、サラ。


 あの白い夜が遙かかなたに感じる。

 今、空には青空がひろがり、部下たちは歓喜の声をあげている。そして、自分の命よりも愛した女が去っていく。


 レヴァルは経験から、ひとつの結論を導き出した。


 あるいは、それは彼の経験した以上のものかもしれないが。

 あるいは、彼女を犠牲にして得たものに納得できないだけかもしれないが。


 彼はありえない事実を信じることにした。愚かであるかもしれないが、彼は、ただ信じた。

 サラは生きている、と。



 炎の乙女である彼女はドラゴンに守られ生きつづけている。


「旅に出る」と、告げたとき、誰もが驚いた。


 王国で要職につき、国のために働くと思われていたからだ。


「フロジ侯爵、それは困る。そなたは英雄だ」と、ヴィトセルクが困った。

「そういう、こそばゆい地位は俺には向かないとわかったんだよ」

「どうするのだ」

「放浪するよ」


 彼の決意にマセコは笑った。


「サラを探すのね」


 レヴァルは何も言わなかった。


「私ね、一族の人間として、思い出したことがあるのよ」

「なんだ」

「ほら、必死になった。やっぱり、そのつもりなのね」

「いいから、話せ」

「もう、そんな綺麗な顔で必死になられると、私としては教えたくないわね。あ、そんな怖い顔をしても、サラは私のライバルだからね」

「頼む」

「いいわよ、教えてあげる。ただ、ひとつ条件があるけど」

「のんだ」

「条件を聞いてなくても」

「話せ」

「昔からの言い伝えよ。炎の乙女は、生まれるべくして生まれる。この大地が、それを望むのよ。あの古歌の意味。一族以外には本当の意味を知らない。天地はあがないの唄を奏で、赤き乙女はその地に伏せる」

「それがなんだ」

「天地が贖うと歌っているのよ」

「どういうことだ」

「ドラゴンを探しなさい、レヴァル」

「サラは」

「きっと蘇る」


 レヴァルは微笑むと旅支度を整えた。


「レヴァル」

「俺は、あの見知らぬ世界で、サラを4年で見つけた。この世界は俺の世界だ。もっと早い」

「さあ、条件をのんでもらうわよ」

「なんだ」

「いじめる相手がいないと寂しいから。私も共にいく」


 これはあらかじめ知っていた条件だと思った。この女とサラの繋がりは時に彼よりも強い。


「苦しい旅になるぞ」

「ええ。大丈夫よ、私は感じてるのよ。子どもの頃から、いつもサラが気になって気になって仕方がなかった。そして、いまだに気になる。あのバカ、生きてるわ。間違いなく、早く見つけろと言ってる。それにね、あんたみたいないい男、女たちが放っておかない。だから、私が側にいて蹴散らしてやる」


 レヴァルはおおらかに笑った。


「行くぞ!」


 彼らは大地に最初の一歩を刻み、そして、大きく両手を広げ、空気を読んだ。



 − 了 −


********


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