最終話 悲しい姉エーシルの姿


 白い灰が舞う崖の上。

 鎖に繋がれた哀れな女は、ドラゴンが氷の息を吐くたびに、乾いた高笑いをつづけた。


 人々は悲鳴をあげ、恐怖のなかで氷に閉じ込められていく。


 女は叫び、笑い、泣く。


「ドォ・ラァ・ゴォーーーン!!」


“これがおまえの姉の姿”

“お前の姉は復讐の巫女”


 声が静かに語りかける。

 小さくうずくまった娘が白い霧になり、大きく変形して私にかぶさる。


“殺せ、殺せ、殺せ!!!”


 煉獄から届く低く恐ろしい声、はじめて聞いた姉の声。怒りと恥辱ちじょくと恐怖に苛まれ、傷ついた心が永久に繰り返す同じ映像。


 美しい顔は歪み醜くく変貌して、

 顔が黒く垂れ下がり、悪夢となる。


“姉さん”


 私は姉に近づく。ゆがんだ恐怖に手を差しだす。姉の恐怖が映像となって私をえぐる。地下牢の飢えと乾き。ムチ打たれた日。全てを氷漬けにして殺した喜びと悔恨、快感と悲しみ。


 姉は復讐を果たし、その復讐によって自らをも傷つける。絶望の果てに沈む。


 かわいそうな姉さん……。


“もう、終わったの、姉さん。もう、いいのよ。終わったの。私がその苦しみを受け継ぐから。私がそばにいる”

“殺せ、ころせ、ころ……”

“さあ、休みなさい。私はここにいる”

“殺せ、ころせ、ころ……”

“姉さん、エーシル……”

“お前も、殺す”

“私の手をとって”

“お前は”

“サラレーンよ、もういいのよ、エーシル”


 私は姉の実態のない身体を抱きしめた。


“お前は……”


 私は子どものころ、母がよく歌っていた子守唄を口ずさんだ。


  ララバイ、眠りなさい、愛子よ、

  ララバイ、泣かないで、可愛い子。

  ララバイ、ララバイ……


“お前は…。誰…、母さん?”

“そうよ”と、嘘をついた。


 私は優しい嘘をついた。


“母さん”

“泣いて、エーシル。母さんはずっと側にいるから”

“母さん、母さん、母さん、母さん、母さん”

“もう、終わったの”


 胸からしぼり出すような声で姉は母を求めた。


“母さん、私、ひ、ひどいことを、ひどいことを”

“かわいそうに、エーシル、かわいそうに。もう終わったのよ”


 狂気のなかで母を求める姉は歪んだ顔で悲鳴をあげる。


“母さん、母さん”

“エーシル、遅くなって、ごめんね。本当に遅くなって、ごめんね”

“私、ひどいことをしたの、母さん”

“もう、許していいのよ”

“ごめんなさい、母さん”

“もういいの、もういいのよ”

“ほんとに、いいの?”

“私が正すから。もう、静かに眠りなさい”


 エーシルは息を深く、遠く、吐き出していく。


“なんだか眠い。ずっと眠れなかったのに、今はとても眠い……”

“眠りなさい”

“歌って、母さん”


  ララバイ、眠りなさい、愛子よ

  ララバイ、泣かないで、可愛い子。

 ……


 姉は穏やかに目を閉じると、身体がゆっくりと崩れはじめた。


 ほほに涙がつたう。

 これは、なんの涙だろうか。

 これは私のものではない。姉の流せなかった涙。


“こわかったね。姉さん、もう終わった。私の側で眠りなさい”

“母さん……、やっと、やっと眠れる”


———ポトゥ〜〜ン


 ポトゥ〜〜ン———


   トゥ〜〜ン———



“そなたは、炎の巫女を継承した”

“あなたは誰”

ことわりの意思”

“では、問おう。どうしたら、この地を救える”

“なぜに、救う”

“降灰に多くの人々が苦しむ。悲劇の連鎖を止めるのは私しかいない”


“見よ、炎の巫女を継いだものよ。世界を、世界のなりわいを、流れを”


———


 私は繁栄をきわめた世界に立っていた。

 美しく贅沢で、ものにあふれた豊かな世界。

 ここは、フレーヴァング王国ではない。貧しさに沈んだ世界ではなかった。


 人々は贅沢に過ごし、そして、幸福そうで、また、そうでもなかった。


“これは”

“霊峰山の力をゆがめて、そなたらが得たもの”

“ここは、シルフィン帝国……”

“そうだ”

“繁栄のなかにいる”

“それも長くはなかろうが。彼らの見たくないものが、これから起きる”

“この歪みを正したい”

“ドラゴン自ら身を捧げることによってのみ、それは成される”

“身を捧げるとは”

“そうだ、決めよ、そなたの意思で。赤髪の乙女、炎の継承者よ”


———ポトゥ〜〜ン


 トゥ〜〜ン———


    トゥ〜〜ン———



 身体がふっと宙に浮かぶ。


 バシャッ。

 ドラゴンは大きな水音を立て、暴れた。

 下を見ると、レヴァルの力つきそうだった。


“_haa ji’’m_ ta haa - garb d’aa haa!”


 レヴァルのマナが色としてはっきりと見えた。

 彼は自らのマナを消費して呪文を唱えていた。命を削っているのだ。


「ドラゴン!」

『炎ノ巫女ヨ』

「私の願いを聞け」

『ソノ対価ハ』

「ない」


 私がドラゴンを制御すると同時に、レヴァルが崩れ落ちるのが見えた。私はドラゴンの背のうえから、マセコに叫んだ。


「マセコ」

「サラ」

「レヴァルを頼んだわ」

「あんたはどうするの」

「ドラゴンとともに火口へいく」


 マセコは立ち上がると、叫んだ。


「戻ってくるわよね!」

「レヴァルを頼んだわよ」

「サラ!」

「山の火口へ行け、ドラゴンよ。炎の巫女の命令だ」

『ヨカロウ』


 ドラゴンが水面から、その全身をあらわにした。

 蛇のような長い体躯に4本の足。前足は短く後ろ足は太く長い。その尾はながい。大きな羽を広げ、身体を水平にして池から飛び出した。


 巨大な波がマセコと倒れたレヴァルを水浸しにする。

 ずぶ濡れになったマセコが叫ぶ。声は聞こえなかった。

 私は笑って手を振った。


 風が吹きつけ、巻き上げ、気づいたときには、私とドラゴンは、ぶ厚い雲のなかにいた。


 ひんやりとした雲のなかを峰に沿って上昇する。


 ドラゴンは飛翔ひしょうする。

 白いもやのなか、どこまでもどこまでも上にあがっていく。


 冷たい粉が頬にあたる。火口では白い灰が天にむかって吹き出していた。


『火口ダ』

「なにが起きてる」

『愚カナル人間ドモガ、地下ヲ塞ギ、まぐまヲ吸イ上ゲ流レヲトメタ。行キ場ヲ失ッタまぐまガ吹キダシテイル』

「どうすればいい」

『火口下ノ壁ヲ壊セバ流レガ正シク戻ル』

「そう、ドラゴン。では、私とともに死ね」

『ソレハ、割ノアワナイ要望ダナ。巫女ヨ』

「そうだ、ドラゴン。私たちははじめて会った日が、最後の日になった」

『イサギヨイコトダ。何ノタメニソウスル』

「わからないか。私のためだよ」


 もし、ドラゴンが笑えるなら、そうしたのかもしれない。


『壮絶ナ痛ミダゾ』

「それは気の毒なことだ」

『オマエニ言ッテイルノダヨ。コノ地ニ、ソノ価値ハアルト思ウカ。あらごんノめだるヲ火口ニ投ゲ捨テヨ、ソウシテ逃ゲルコトモデキヨウ』

「それで、どうするのだ」

『世界ガ滅ビルマデ、シバシ時ヲ楽シム』

「ドラゴン、一息に死ぬのと、ジリジリ死ぬ。どちらを選びたい」

『ソノ、イサギヨサ。嫌イデハナイ』

「では、行こうか」


 ドラゴンが笑った。


 ふいに、身体が下降した。

 おそろしい勢いで火口がせまり、真っ白な灰と白く冷たい蒸気に包まれる。


「なあ、ドラゴン。この噴火が止まれば、青い空が見えるのか」

『アア、美シイ空ダ。カツテ見タコトガアル』

「見たいものだ」

『オマエハ無理ダロウ』


 私は目を閉じた。


「行け!」


 するどい痛みがおそった。

 この痛み、記憶にある。ドライアイスに触れたときのジンジンする痛みだ。全身の皮が剥けるような、生皮を薄く削がれるような恐ろしい激痛。


 私は悲鳴をあげたかったが口が開かない、ただ痛みに耐えるしかできなかった。


(いぃっっっ、痛い)

『悲鳴ヲ、アゲテモヨイゾ』

(くっ、くち、口が、…開かない)

『心デサケベ!』


(ぎゃああああああああ!!!)

『ソウダ、泣ケ。炎ノ巫女ヨ』


 身体の生皮がかれいく。

 痛い、痛くて長い。終わりがない。

 もう、耐えられない。


(わ、私を殺せぇえ!)

『耐エヨ。オマエガ望ンダノダ』

(殺せっ! も、もたない)

『マダダ』


(ぎゃああああああああ……)


 ハカセ、母さん!

 力を!


『行クゾ、巫女ヨ!』


 もう悲鳴を出すこともできなかった。うすれゆく意識をたもち、壮絶な痛みに耐え、ドラゴンへと全てのマナを送る。身体の全エネルギーをドラゴンの血流へと流す。


(急げ、も、もう……)

『今ダ!』


 ドラゴンの口から炎がほとばしる。

 冷気をつんざき、すべてを破壊し、炎はマグマの奥へ向かって放たれる。


 ドラゴンとの意識が完全な形で重なる。



『ネムレ。モウ苦シムナ……。我ガ巫女ヨ』


(つづく)

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