第3話 霊峰山の呪い


 そっと盾の上から顔をだすと、前方には3つの異なる旗が風に揺れていた。フレーヴァング王国にシルフィン帝国。その他に見たことのない旗がきらめいている。


「あれは」

「隣国のイオミア王国の兵を連れて来たんだ」と、レヴァルがほほえみ、力強く言った。「おっし、交渉はあいつらに任せて、このスキに俺たちは逃げる」


 フレーヴァング王国は小国であり、この国の西側を支配するシルフィン帝国は大国。軍事力では全く相手にならない。しかし、東側を支配するイオミア王国となれば、三大帝国のひとつ。


 両国のはざまで生き残るために重要なことは、このバランスを崩さないことだろう。ヴィトセルクはイオミア王国にかけ合い軍を連れて来たのか。


「前衛7名、盾を立てておいておけ」

「ここにですか」

「そうだ、まだいるように見せかけて、そっと退却だ」


 国同士が話し合いをしている間に、私たちは、こっそりとその場を抜けでた。

 背後を一度振り返ったが、誰も追いかけてこない。


 抜け駆けを知ったとき、シッゲイルは悔しがるだろう。その顔を見られないのは残念だが、今のうちに逃げるのは得策だった。


「よし、全力だ!! 走れ!」


 途中でレヴァルが命令した。それまで身体を沈め、こっそりと逃げ出した部隊は全力疾走にかえた。


 盾での攻防戦に力を使ったガルムも大汗をかきながら、舌を出して走っている。


 全員が必死だった。


 どのくらい走っただろう。

 斜面が急になった山裾で、レヴァルが手をあげた。


「エイクス。この崖を登って、偵察してこい」


 レヴァルは左側の切り立った崖をさした。


「隊長」と、彼は掠れた声で言った。

「ハアハア、もう人使いが荒いぜ」


 レヴァルが水筒を渡しながら、「戻ってきたら、おぶって運んでやるよ」

「女かよ」と、仲間がちゃかした。


 エイクスは、ちらっと私を見ると、水筒から水をがぶ飲みして、崖によじ登った。


「どうだ!」

「敵兵は見えねぇ」

「おっし、お前はそこで偵察だ。全員、休憩」


 その声を聞く前に、すでに全員がその場にへたりこんでいた。

 マセコは咳き込み、その場で吐いた。


「水を、飲める?」

「サ、サラ、あんたは」


 私は彼女の隣で背中をさすった。確かに息は切れたが、マセコほど疲れていなかった。


「ガルム」と、数分ほど休んでレヴァルが聞いた。

「行けるか」

「大丈夫でさ、隊長」

「では、荷物をよこせ。お前はマセコを背負え」


 私たちは再び出発した。

 マセコは青い顔でガルムに背負われた。もう文句をいう元気もないのだろう。ガルムに途中まで背負われ、そして、3回目の休憩くらいから、自分で歩けるようになった。


 3合目までの距離を登ったところで、そこに別の魔物がいるとは、この時は気づいていなかった。


 聖なる山シオノンは世界の最高峰。活火山であり、登頂には準備も必要な山だった。


 私たちもそれなりの準備はしたが、途中から立ってるだけで息苦しくなってきた。


 と、その時だった。


 先を歩いていた3人が、いきなり叫びだしたのだ。


「止まれ!」と、レヴァルが命じた。


 前方にいた男たちが、叫び、両手で何かを防ぐような格好で暴れている。怪物にでも出くわしたような怯えようだ。空中をやみくもに剣で刺している。しかし、その動きはにぶい。


「ゲル、サレン、スヴェン、戻れ!」

「う、う、うわぁぁあああ」と、レヴァルの声にまったく反応しない。


 それぞれに、叫び、わめき、槍や剣をふりまわした。

 お互いに殺し合いになりそうな殺気だった雰囲気だ。


 私は後ろを振り返った。

 ガルムたちが気味悪そうに眺めている。そのうちの数人は乾いた咳をしていた。


「なんなんだ」と、エイクスが怒鳴った。


 そういうエイクスの鼻腔から、ツーっと鼻血がおちていく。

 背後の仲間たちも顔が奇妙に赤い。


 その間も前の3人は、まるで酔っ払ったか、ドラッグでもやっているかのように暴れている。


 彼らは突然、そうなったのだろうか……。


 レヴァルは他のものたちに比べれば顔色は普通だ。レヴァルが3人に近づこうとした。


「待って」と、私は止めた。


 嗅覚がするどくなっていた。


「どうした」

「これ、覚えがあるわ、レヴァル」

「なにがだ」

「空気よ。空気が変わった」


 彼はくんくんと空気を吸った。


「そうか、確かに、そうだ」

「あの、3人、たぶん妄想と戦っている。あれよ、高山病と同じ。この空気、酸素が多い。二酸化炭素が減っている。追ってをまくために、急激に高い山に登りすぎたわ」


 幻覚をみて暴れていた3人は倒れたまま、その場でもがいている。

 仲間が助けに行こうとするのを私は止めた。過去にハカセとエベレスト登山の途中にある山小屋まで登った注意を思いだしたのだ。


「だめよ」

「だけどよ」と言った、ガルムも顔が赤みを増して息があがっている。

「同じことになるから。私は大丈夫だから、ここで待っていて」

「俺も行こう」と、レヴァルが言った。

「でも」

「俺は大丈夫だ。みな、そこで待っていろ、動くな」


 背後の仲間たちは恐ろしげな表情で私たちを見ている。


 倒れた彼らに近づくと、さらに空気が変化している、あきらかに酸素が増えている。

 私とレヴァルそしてマセコには馴染み深い空気だ。

 レヴァルが一人を担ぎあげ、私はもう一人を引きずった。残りの一人を戻すと、最初に運んだ男の意識が戻り、その場で胃にあったものすべて吐いて咳き込んだ。


「ま、魔物が、あそこに、魔物が」と、うわ言のようにわめいている。

「間違いないわ。顔が赤いし空咳をする人も多い、幻覚をみてる。これは高山病よ」


 私はハカセと世界中を旅した。エベレストでは高山病はいたって普通のことだ。だから人々はゆっくりと空気に身体を鳴らして何週間もかけて登山する。頂上付近では酸素ボンベを使う。


 私は上を見つめた。白く峻厳な山の頂きははるか上であり、頂上まで登ったわけではない。まだ3合目も来てないが、追っ手をくために急ぎすぎた。


「魔物、魔物だ」


 この世界の人々は迷信深い。じっさいにドラゴンやらエルフがいる世界だから、自分の幻覚を本物の魔物と思うのだろう。


「お前たちは、彼らを連れて下山しろ。これは命令だ」と、レヴァルが指示した。

「隊長」

「ここから先は俺たちだけで向かう」

「大丈夫ですかい」と、ガルムが不安そうだ。


 そういう彼の顔も頬が赤く、妙な汗が流れている。彼らは我慢強い。おそらく、体調が悪くても無理して登ってきたのだろう。


「2日待って、我らが戻ってこなければ。ヴィトセルク殿下と合流する道を探せ」

「しかし」

「命令だ」

「レヴァル隊長。かならずお帰りください」と、副隊長が言った。

「ああ、大丈夫だよ」と、レヴァルは笑った。

「お前らの汚い顔を見に、また戻ってくるさ」

「隊長。これをもっていってください」

「なんだ、ガルム」

「母ちゃんがくれた、魔除けで」

「ああ、わかった。では、帰れ、レヴァル小隊」

「は!」

「では、われらが隊長のために」


 その言葉に全員が一斉に直立、少しフラフラしながら背筋を伸した。カチっと靴を鳴らし、剣を顔の中央にたて、そして、彼らは唱和した。


「フレーヴァング王国のために、レヴァル隊長のために、そして、炎の巫女のために」

「ハッ!!」

「敬礼!!」


 全員が右手を平にして額に当て、私たちをグッと凝視した。


(つづく)

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