第8話 王族と奴隷のような庶民
ヴィトセルクが一般兵の間にくることは珍しい。
「あら」と、私は彼にむかって愛想よくほほえんだ。
「この世界の料理を学んでいるところなの」
「サラちゃんに料理などさせるとは、なんということだ。それは、皆にまかせておけば良い」
「お言葉ですけど、別の世界では料理のできない男は無能と思われております」
この言葉に周囲の男たちが、ひやっとして首をすくめたことに気づいた。彼らは王族ではない。ヴィトセルクからすれば、自由にムチを使える奴隷に近い庶民なのだ。
「それはまずいな。では私にも教えてもらおうか」
かしこまってひざまずいている男たち、とくにルフの顔が青ざめた。
「ヴィトセルク王子さま」と、私はほほえんだ。
「ちょっとお話がありますの、向こうで。ルフ、かわってね」
彼がここにいては邪魔なばかりか、おそらく夕食に食事がまに合わない。ぐつぐつと煮詰まりだした鍋から木ベラをだして、料理担当の若者ルフに手渡した。
ルフはあきらかに、ほっとした表情を浮かべている。王子に木ベラを渡すと考えると身体が震えたのだろう。
ヴィトセルクは私に腕を差し出した。
軽く右手を入れ、仲間を振り返りウインクした。彼らは顔を伏せて上目遣いに、こちらを見てニッと笑った。
「サラ。兵士たちを一夜でトリコにしたね。魔法でも使ったのかい」
「私にそんな魔法あったら、うれしいわ、ヴィトセルク王子」
彼はチラッと私を見て、意外そうな表情を浮かべた。
「君は謎だな。美しいだけでなく、会うたびに印象がかわる」
「褒め言葉じゃないわね」
「いや、僕は嘘をいわないよ。それにしても、どうして
「あなたは船のなかにこもっているから、彼らの面白さを知らないのね」
「知る必要があるのかな」
「あなたの優しさは自分の階級だけの限定品なの? でも、私は彼らと同じ階級よ」
「炎の巫女は特別な存在なんだよ」
まったく嫌味が通じてないな、この男。根っからの王族なのだろう。
テントの外で洗濯ものを干しているマセコが、こちらをみて心配気な表情を浮かべている。
私は知りたいことあった。ヴィトセルクが表に出たならいい機会だ。
「ヴィトセルク王子。聞きたいことがあるわ」
「さて、なにかな。サラ、そんな目で見つめられると、怖いな」と、ちっとも怖がってない様子で彼は笑った。
こういうとき、彼は憎いほどの余裕があって魅力的だ。
「レヴァル侯爵の父親が失脚したのは、なぜかしら? レヴァルは名誉を回復する必要があった理由が知りたいの」
「おやおや、僕よりレヴァルに興味があるのか」
「王子」と、私は185センチを超える身長の彼を下から見上げた。レヴァルより2センチほど高い。
「はいはい、知りたいのだね」
「真面目に聞いております」
「君はこの世界のことを何も知らないか。よかろう。教えよう。あの頃……、フロジ宰相は国の権力者だった。僕の父王は高齢でね、もともと病弱でもあり政治に関心がない。国内の問題はすべて宰相に任せっきりだった。そこで彼はその地位を利用して、いつのまにか国は彼の意向で動いていた。僕はまだ10代だったから、そんな彼の
「不幸とは?」
「炎の巫女の怒りをかってしまったのだ。その結果、彼の一族もフロジ派の一派もドラゴンにより氷に閉じ込められた」
そう、宮廷内で権力闘争にドラゴンと姉は加担してしまったわけだ。
「なぜ、炎の巫女はそんなことを?」
「詳しいことは知らない。僕は儀式に行かなかった」
「大事な儀式だったのに?」
「それはそうだがね。彼のやり方には反発するものがあってね。宰相フロジは僕を遠ざけておきたかった。僕が成人すれば父の摂政として権力を握る。それを恐れて、おそらく先走った結果だ。まあ、結果として彼の一派は一掃された」
「今の宰相は」
「グリングか。あれは子どもの頃から僕の後ろ盾だ」
姉の純粋な怒りは、政争の道具になったことが悲しく思える。
「フロジ一族が儀式に参列したなら、レヴァルは、なぜ儀式に行ってないの?」
「おや、知らないのかな。彼は庶子だ。フロジ家に入ることなど無理だったが、あの厄災で家名を継ぐものはいなくなった。しかし、誰かが罰を受けねばならぬ。結果としてレヴァルしかいなかった」
「家名じゃなくて、罰で必要だったなんて。いったいどんな罰を」
「公開ムチ打ちの刑、100回だ。普通なら皮膚が破れ、骨が砕け、内臓までいたり苦しみ抜いて死ぬむごい運命だったよ」
あの高貴なオレさま男が公開でムチ打ち?
「サラ、そんな怖い顔は似合わない」
「そんな、死んでしまう」
「そうだね。生き残れた者など過去にはいなかった。レヴァルは、あれで雄々しい男でね。本来なら、公開ムチ打ち100回のところを10回で終わったのは、ある条件を提示したからだ。まあ、その許可が僕も限界だった。君たちを探しだすという約束。エルフの血をもつ彼は時空間を曲げる特殊な魔術を操れる」
彼は犯してもいない罪で、10回も公の場でムチ打たれたのか。さぞかし悔しかっただろう。私がこの世界の人々に憎まれる理由と似て、理不尽な話だ。
そして、ヴィトセルクは、そのことに気づかない。おそらく、それがこの男の常識であり、限界であり、世界の常識なのだろう。現代に住んだレヴァルだけが、この世界の限界を知っている。
「レヴァルは白い森に住むエルフの魔力を使った」
「エルフ」
「ああ、国の南に下がった場所にエルフたちが住む森がある。エルフの操る魔術をレヴァルは使いこなせる」
「レヴァルはそれを誰に習ったのかしら?」
「あれの母親はエルフと人間のハーフで非常に美しかったと聞く。フロジが権力にあかして抱いたひとりだよ」
レヴァルの憂いは深いのだろう。私は彼のことをほとんど知らない。そして、胸をかきむしるほど、知りたいと思った。ヴィトセルクが「レヴァル」と呼ぶたびに、胸が締め付けられた。
(つづく)
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