第6話 人とは悲しいものだ


 簡易テントのなかで目が覚めたとき、記憶を戻したばかりで、まだ、ぼぅーっとしていた。自分がどこにいるのかわからず、目覚まし時計をさがした。ベッドの横においていたタヌキの顔の桃色時計を……。あの平和な部屋。いつまで子どもでも問題のない穏やかな時間がすぎていた、あの世界。


 私はなんと遠くまで来てしまったのだろう。


「お気づきになりましたか、サラレーンさま」

「マセコ、あなたは」


 そこにいるのは私の知っているマセコではなかった。

 片膝をついた彼女は落ちついており、あの女優になると妄言を吐いていた子どもとは思えない。


「私は、あなた様が覚醒したときにと遣わされたものです」


 マセコはそう言って、大人びた笑みを浮かべた。


「変わったわね」

「ええ、あなたさまと同じように」

「では、現代にいるときは演技だったの」

「いえ、あれも私です」と、マセコは静かに微笑んだ。


 マセコはこんなふうに自分を客観視などしない。どうにも調子が狂う。


「実際」と、マセコが続けた。「あれが本来の私なのかもしれません。私の年齢は、サラさまよりも1歳年上になります。神官さまが同じ年齢で同じ誕生日にして異世界である地球に送ったのです。そして、私は、あの世界で子どもを失った夫婦に預けられ、溺愛されました」

「覚えているわ。あの母親は本当になんでも口出しをして、あなたを抱きしめるように育てていた」

「寂しかったのでしょう。また、寂しい思いをさせることになりましたが」


 マセコの豹変ひょうへんは、おそらく私の変化と同じものなのだろうが、自分よりも他人の変化に驚きが大きい。


「私は、船のなかで記憶が戻りました。この世界の空気に触れて数日すると記憶が戻って……、神官様の意図だと思います。真美子という、幸せな、ある意味、不幸な女の子は消えました。ですから、そろそろサラレーンさまも覚醒なさるとわかっていたのです」


 そう話すマセコは、かつて見たことがないような寂しげな目をしている。


「あの世界に戻りたいの?」

「それは……。真美子という女の子は、あの母親をうっとおしくも感じていたようですが。そうですね。自覚を持って生きるのと、なにも知らずに守られるのと、どちらが良いのでしょうか? 今の自分を知ったからには、昔に戻ろうとは思いません」

「では、私はどうすれば、よい」

「私の考えですか?」

「そう」

「逃げましょう」

「逃げる?」

「フレーヴァング王国の人間は私たちに真実を話していません」

「真実とは?」

「エーシルさまのことです」

「姉は大事に育てられたのではないの?」


 マセコは顔を伏せた。


「私は船長室で、船酔いを理由にこもっておりました。そこで、記録を見つけたのです。エーシルさまの悲劇的な結末を知りました」


 姉がさらわれたとき、私はまだ2歳だった。姉について、ほとんど記憶がない。ただ、美しく頭の良い子だったと母に聞いただけだ。


「真相を教えて」

「フロジ公爵。レヴァルの父親ですが。エーシルさまを牢に閉じ込め飼育するように育てたと書いてありました」

「飼育?」

「あの記録で私は吐き気がしました。選ばれし巫女に対してなんと酷い。船に酔ったわけではなく吐いたのです。あのレヴァルの父親は最低の男でした。エーシルさまの心を執拗しつように破壊したのです。食事を与えず。暗い地下牢で心をじっくり壊しました」

「そんな」

「エーシルさまを真っ暗な地下牢に1週間というあいだ閉じ込め、鎖につなぎ、何も与えず飢えさせたとありました。まだ、11歳の子です。そして、1週間後、エーシルさまは食事と水を少し与えられ、ふたたび、数日。それをなんども繰り返し、気力を失って、はじめて解放されたそうです。それでも理由もなく、気まぐれで地下牢に閉じ込めることもあったようで、エーシルさまは泣き叫んでいたと」

「ひどい」

「ヘドが出ます。ヴィトセルクから聞いた話は嘘ではない。ですが、真実を隠して再び利用しようとしているのです」

「姉は7年を耐えつづけ、そして、白銀のドラゴンに復讐させた」

「はい、おそらく、それだけを支えに耐え生きてらしたのでしょう。自らの身体を与えることで、かのドラゴンと契約したのです」


 その結果、私たちの村は怒り狂ったフレーヴァングの民衆に虐殺された。いったい誰が悪いのか。

 大国シルフィンの犠牲になって苦しむこの国は、生きるためにドラゴンの力を欲した。


 いにしえの伝説では、選ばれし巫女は必要な時代にしか生まれないという。それが真実かどうかわからない。ただ、一族のなかで2月29日生まれの娘は長い間いなかった。


 聖なる山シオノンの噴火が続くようになって、姉が生まれ、そして、私が生まれた。


「ここから、彼らが目指している目的地まで、どのくらい」

「おそらく、歩いて半日くらい」

「出発したのが予定より早かったのは、シルフィン帝国の口出しが邪魔だったと聞いたけど、それはあると思う?」

「彼らの目的と大国のエゴは一致していると思われます」

「つまり、マグマを抽出することで自然を崩した彼らも、やはり困っているというわけね」

「この白い灰はすべての土地をおおっていきます。遠い地でも影響はあなどれませんが、もちろんフレーヴァングの被害がもっとも大きいのも確かです」

「山が自分を取り戻そうとしている」

「そうです」

「マセコ、あなたの本当の名前は? 確か、あの時、3人の女の子がいた」

「マセリンと申します」と言って、彼女は微笑んだ。

「ですが、サラレーンさま、私はマセコのままで」

「このあだ名、嫌っているとばかり思っていた」

「いえ、真美子のときも嫌いじゃなかったようです。親しみを覚えていましたから」

「バカね」

「そう、バカな女の子ですが、憎めないところがありました」

「そうね」と、私たちは乾いた声で笑った。

「昨日は、では演技していたの。船から降りるときとか」

「誰も、あのマセコなら警戒はしませんから」


 テントの外からは焚き火の明かりが漏れてくる。男たちがまだ飲んだくれているのだろう。彼らは、この旅で命を落とすかもと覚悟している。だからこそ、今の、この刹那せつなを楽しんでいる。


 人というのは、どの世界であろうと、悲しいものだ。


(つづく)

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