第4話 覚 醒(前編)


 運命が刻々と時を刻み、昨日と今日と明日の接点を告げる。頭のなかの白い霧が消えるにつれ、鮮明に記憶が流れてくる。


 白い霧の中心から現れたのは、8歳を過ぎたばかりの女の子と、その手を引く母親。


 生まれてから私は辺境の地にあるウルザブ村で、母と父と年齢の離れた姉とともに静かに暮らしていた。


 森奥の洞窟どうくつ近くで助け合って生きる小村には150人ほどの住民がいた。

 人びとは長命だった。おさは150歳を過ぎる神官で、私の母はその末娘。将来の長でもあった。母が、その力を持つのは祖母の娘であるよりも、に女の子を産んだからだ。



 姉のエーシルは『炎の巫女』と約束された運命の娘だった。


 私の記憶は告げる。私たちが森のなかで遊んでいたときだった。

 兵士が11歳の姉をさらったのは不意の出来事で、誰も予想はできなかった。彼らは聖なる山シオノンのふもとに広がるフレーヴァング王国の者たちだった。


 18歳になったときに姉が授かる能力を彼らは欲したのだ。


 炎の巫女、別名、選ばれしドラゴンの娘は数十年も生まれていなかった。その間に聖なる山シオノンは噴火を繰り返し世界は白く埋もれた。その被害を最も受けたのが貧しいフレーヴァング王国で、民衆は飢餓きがあえいでいた。


 大事な巫女をさらわれたウルザブの村人は姉を救うための術をもっていない。

 おさたちは相談した。


「エーシルは美しく利発な娘、フレーヴァング王国も無下にはすまい。大事に育てドラゴンの力で霊峰の噴火を止めたいのだろう」

「それは我らも同じ。噴火の灰で作物は育たなくなっている。炎の巫女こそ唯一の救いだ。ドラゴンの力を得、霊峰の怒りをしずめるために生まれた娘だ」

「それまで待つしか方法はあるまい」

「あと、7年ですな」

「われらの命は長い。7年などすぐに来ようぞ」


 人は見たいと思う事実しか見ない。


 父母は怒った。しかし、小国とはいえフレーヴァングは数千の訓練された兵士を抱える国家である。百人ほどの村からすれば、戦いを挑むなど不可能な話だ。


 ウルザブの歴史は迫害はくがいの歴史しかない。

 謎の多い一族であることも確かで数千年前、一族のほとんどは忽然こつぜんと消え、この世界に残った者は少なかった。


 一日が過ぎ一月が過ぎ、そうして、エーシルのことは話題にのぼらなくなった。

 事件が起きたのは彼女の誘拐から七年。エーシルが18歳になった翌々日だった。


 絶望したエーシルがのドラゴンとの契約に自らの身体を捧げ、貴人から庶民に至るまで多くのフレーヴァング人を氷漬けにして殺害した。

 被害にあったフレーヴァングの国民は怒り復讐に燃えた。


 フレーヴァングの民衆が棍棒やオノをもって村を襲った。その数は町や村に呼応して数千人以上。もともと偏見を持たれ、嫌われていた一族だ。一度、民衆の心に火がつくと燃えるのも早い。


 村人が恐怖に震えながらも、逃げずに必死に抵抗したのは理由がある。選ばれし、もう一人の巫女である私のためだった。

 数において圧倒的に少ないが彼らの必死の抵抗は続いた。


「奴らが来るぞ!」

「お前たち、もう少し時間を!」


 長老たちが叫んだ。


「最後の光、炎の巫女を守れ!」


 怯えた声で口々に叫ぶ人びとの間をぬって、私は母に連れられて村の奥にある洞窟どうくつに向かった。


 血に飢えた民衆は、怒りのために我を忘れ村に火をつけた。訓練された兵でなかっただけに、その復讐は凄惨せいさんなものになった。


 洞窟の手前で、人びとの悲鳴と人を叩き殺す音が響いて木霊するのを、今も私は覚えている。私は小さく、おびえた子どもでしかなかった。


 村人は私を守るために抵抗して、逃げることなく、自らの身を犠牲にしていく。


 そう、私は思い出した。

 私を生かすために死んでいった150人の村人たちを。私は8歳で、なにが起きたのか正確にはわかっていなかった。


「最後の乙女を、われらの希望を」

「守れ!」

「守れ!」


 屈強な男だけでなく、老人も女も子どもも武器を取り抵抗しつづけた。

 悲鳴が聞こえ、泣き叫ぶ声に、怒りの声。


 ドラゴンに氷漬けにされた村人の親や兄弟、息子たちは怒りに身をふるわせていた。

 この争いはもう誰にも止めることはできなかった。


 私は母の胸のなかで震えた。


 洞窟内は松明で明るく照らされ中心に老女がいる。

 あれは私の祖母。この村の神官。父もいた。父が悲痛な声で祖母に叫ぶ。


「神官。魔法陣は」

「まだだ。時間を稼いでくれ」

「わかった」と、決意した表情で父は母に向かう。

「サラレーンを」

「わかっています。あなた」

「さらばだ。わが妻よ。私は先にエーシルの元へ行くだろう」

「私もすぐに」

「さらばだ」


 父は棍棒をもって駆け出そうとして、私を振り返った。


「いつでも、お前を守っているよ。愛しい娘、神のご加護をな」

「お父さま!」


 母は私の手を握っていた。その手は緊張で汗ばみ震えている。


「あなたのお姉さまは」と、母は言った。

「白銀のドラゴンのにえとして自らを葬りました」

「お母さま。なんのこと?」

「私たちの犠牲になったのです。お前は最後の希望。生きなさい。そして、一族の再興をいつの日か」


 魔法陣を描き、中心に塩を撒くと祖母は呪文を唱えた。


「よし、準備ができた。あと、数分、数分の時間を稼げ。サラレーンをここに。他の子たちは」

 その時、バタバタという音が聞こえて、新たにふたりの女の子たちが母親たちによって運び込まれた。


「額を」

「はい」と、母たちは言った。


 神官はなにかの呪文を唱える。私は、その声に導かれるように眠りにはいる。白い闇のなかへ落ちて行く。最後に母を見た。母の顔は不安げに震えていた。


(つづく)

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