第4章 異世界での船出

第1話 ウルザブ川の船出


 帽子で赤髪を隠し、少年のような姿で私は城の堀からガレー船で出発した。ヴィトセルクは王宮で待つという話だったが同行するという。


「父王が病にせって長い。実質的には僕が王であるが、シルフィン帝国とのやり取りは宰相に任せたほうが都合いいだろう。だから、一緒に隠れるよ」

「王子さまぁ、あたしぃ、うれしいぃ♡」ってのが、マセコの感想。


 マセコ、この世界でさらにギアアップしてくるとは、まったく予想外だった。


 そんな訳で、レヴァルと私、マセコに50人の兵士がガレー船に同乗した。兵のうち一部は漕ぎ手でもあるようだ。


「この川の名はウルザブ川といってね。民間伝承では聖なる乙女という異名がついている」と、ヴィトセルクが説明した。


 城へくる前に渡った川は、ウルザブ川の支流で本流は城の裏側に面していた。


「聖なる乙女の川」

「ああ、そうだ、沙薇。遠い昔に、この大陸は20ほどの部族に分かれていた。その中には滅亡した国もある。その一つにウルザブという国があった。そこは実り豊かな天国のような国だったと伝わっている。隣国のシルフィン帝国に併合されると、ウルザブ人は忽然こつぜんと姿を消した。その生き残りが赤髪の竜一族という伝説だ。彼らの多くは消え、残った一部の人々は他国とは一切関わらず自分たちの村で暮らしていた」

「それが私の一族だと」

「そうだ。ウルザブ川の由来は、聖なる山シオノンのふもとにあるウルザブ国から流れてくる川という意味なのだ」

「この船でそこまで行くのね」


 ヴィトセルクはそれには答えず、船の切り端を剣で削ると、その薄い一片を川にむかって投げ入れ、「聖なる乙女に守られんことを」と呟いた。


「これは、古くからのまじないだよ、沙薇。川に船の一部を投げて航海の無事を祈る」


 船は白夜の薄明かりのなかを上流に向かって出航した。

 甲板の下では屈強な男たちが太鼓たいこのリズムに合わせて漕いでいる。


 四角いあかり取りの窓から、下部でかいを漕ぐ男たちが見えた。

 太鼓に合わせてかいを前にだし、ひくときに彼らの太い二の腕に血管が浮かびあがり、顔が天井をむく。なんとも男ぽい汗臭い空間だ。


 ガレー船は順調に進んでいく。

 ドンドンドンドンという太鼓のリズムは時に早く、時に遅く。

 それに男たちの声が合わさる。


「エイ、ホウ、エイ、ホウ」


 水面に浮かぶ薄く白い粉は櫂の動きで壊され、川の青さを滲ませる。


 甲板にレヴァルがいないことに気づいた。ヴィトセルクと舵をとる船長と航海士、それから数名の歴戦の兵士と思われる男たちがいるだけだ。


「風が変わったぞ〜〜、帆をあげよ〜〜!」


 航海士が叫ぶ。漕ぐ手の男たちは手を休め、甲板にあがり、手際よく帆をあげる手伝いをする。その仲間にレヴァルが混じっていた。

 彼は船を漕いでいたのだ。


 帆は、風をうけ大きくふくらみ、前へ前へと爽快に進む。


 兵たちは甲板でくつろぐ者、下で寝るものなどそれぞれになった。


 岸辺は雪に埋もれたように、どこも白かった。川の先は霧になり厚い雲がおおっている。


 シンシンと雪が降るように降灰がふり続く。


 それは、まるで、おとぎの国のように美しい。

 この雪に見える灰によって人々が飢えているとは、外側だけでは思いもよらない……。



「面白いのか」と、レヴァルが横にいた。


 ハッとして、振り向き、私はほほえんだ。彼が隣にいるというだけで、私はドキドキしてしまう自分を持て余した。


「ええ」

「船はいいな」

「漕ぎ手になっていたのね」

「ああ」

「隊長なのに?」

「新しい兵たちをまとめるためにね。仲間に入ったほうが、ひとりひとりを掌握しやすい」


 半裸の彼は繊細な顔つきには似合わないほど筋肉質だった。激しい運動で汗が蒸発し身体を霧のようにおおっている。

 私は背中の古いムチあとや無数の傷痕に気がついた。


「この傷は」

「戦いの傷か、ムチの傷もあるな」と、彼は無造作に言う。

「そんな酷いことが」

「あの世界とは徹底的にちがうのだ」

「それはわかるわ」

「いや、わかってないだろう。まず月がふたつあるからな」と、レヴァルが柔らかくほほえんだ。

「ここには二つの月、一つの太陽がある。あの世界からすれば日々がずれている。とくに違うのが、うるう年だ」

「私の誕生日?」

「ここでは三年に一度、うるう日がくる」

「四年に一度じゃない」

「そうだよ」


 今日のレヴァルは優しかった。たぶん、彼は舞踏会よりも、身体を使って働くほうが性に合っている。


 甲板の手すりに身体をあずけ、私たちは同じ空気を吸い、同じ風景を見ていた。


 強い風に私の帽子がさらわれ、レヴァルがそれを右手で受け止めた。それから、笑いながら私の頭にかぶせた。なにげない、そうした動作すべてが完璧だった。


「あなたは」と、私が言ったとき、彼が同時に「あの時」と言った。声が掠れ、私たちはお互いにゆずりあい、それから、どちらともなく、「どうぞ」と照れた。


「俺は5年の間、お前をずっと見ていた」


 この男は私を5年の間、見守ってくれた。どういう思いでいたのだろう。私が彼を知るより、ずっと彼は私を知っている。そう思うと、胸の奥がざわつく。


「私を、5年も」

「ああ、いつも見ていたんだよ」

「なぜ、声をかけなかったの」


 レヴァルの瞳が不思議な色に変化した。先ほどからの打ち解けた様子が変わり、以前の冷たい態度にもどる。


 しかし、それは彼の照れなのだと気がついた。成長した大人として彼を見たとき、レヴァルの奥にある深い愛情に気がついた。


 そのまなざしの奥に潜むもの。かつてハカセが同じような、切ないような視線で、私を見ていた。


 レヴァルは私を愛しているのかもしれない。そう感じると、強烈な欲望におそわれ身体がふるえた。


 彼はひじを船のへりにかけて、ゆったりと身体をあずけている。その骨ばった美しく完璧な指に触れたいと思った。私は船体の外に手を出して船腹をなぞった。彼は肘をかけたまま身体の位置を変え、同じように船の縁をなぞる。ふたつの指が外側で、軽く、そっと触れる。


 甲板にいる誰も気づいていない。私たちは指を絡ませ、それから、言葉もなく風景を見た。


 風が吹き、帆がはためき、周囲の視線がはずれた瞬間、彼は指を伸ばして、手首の内側を泣きたくなるような優しさで愛撫あいぶした。


 私は息をのみ、あごを少し上にあげ、誘うように笑っていた。



(つづく)

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