第13話 魔性の女とムチ


「入ってもいいかな」と、もう入っているのにヴィトセルクは礼儀上から言った。

「着替えの途中です」

「完璧だと思うがね」


 彼は例の余裕の微笑みを見せながら、手を差し出した。


「さあ、立ち上がってごらん。僕にその全体像をみせてくれないか。もう我慢ができないよ」


 私は彼の手を無視して、支えなしに椅子から立ち上がった。女って、どんな状況であっても自分が美しくなるのには貪欲どんよくなものだ。とくに、私のように容姿に自信がなかった女は、さなぎが蝶になるような変身には心が踊る。


 チアルが椅子を移動する。


 私の背後に立った王子は控えていた従者に合図した。従者が手にもつ華美な箱のふたを開けて、ヴィトセルクに捧げる。


「さて、あなたに宝石を選びにきたのだが、その必要もないようだ。実に美しい。さて、どうするか」


 彼は宝石箱のなかから、2カラットほどのダイヤをあしらったプラチナの首飾りを選んだ。私の首を飾る、それはうっとりするほど華麗でコルセットで強調された胸が鏡のなかで大きく上下する。


 ふぅっと耳元に王子の息がかかり、ダイヤの首飾りが胸の谷間でキラキラと輝きをました。彼は満足気に微笑んだ。


「今日は君以上の主役はいないだろうな。舞踏会ですべての男や女をとりこにしてくれ。君に敵意をもつ奴らを屈服くっぷくさせるんだ」

「私に敵意を持つ人が多いってこと」

「残念ながらね、多いんじゃない。全員がもっているだろう」

「あなたも?」


 ふっと彼は鼻で笑った。


「どうしてかな、僕ももっていたはずなんだが」

「ヴィトセルク」


 私の言葉にチアルが持っていたブラシを落とした。それではっと気づいた。私が王子を呼び捨てにしたからだ。


「も、申し訳ございません」


 チアルの顔はさっと青ざめ、ひざまずいて謝罪した。


「チアル、何をしているの、立ちなさい」


 彼女は平頭したまま、頭を上げない。


「沙薇、君は外の世界で生きすぎたようだね。使用人の使い方を知ったほうがよい。こういう場合、ムチを使わなければ彼女も安心できない」

「ムチで打たれると安心するのですか」

「それで罪が許されるからだ」

「たかが、ブラシを落としたくらいで」


 彼はチアルに近づき、「差し出せ」と命じた。

 チアルはふるえながら手のひらを出す。止める前に、彼はムチを腰から抜くとチアルを打ちのめした。


 ヒッと声をあげたが、彼女はそのままの姿勢を崩さない。


「申せ」と、ヴィトセルク。

「ま、まだ足りません。私の罪を罰してくださいませ、ヴィトセルク王子さま」


 再び、彼はムチを振り上げた。


「やめなさい!」


 私は叫んだ。


「ヴィトセルク王子。私は私の方法で彼女たちを使います。これは私の小間使いとしていただいた女、使いかたに口出しはなさらないで」

「ほお」と、彼は出会って以来、はじめて本心から驚いた表情をした。

「最初の印象とは随分と変わったものだ。女性は確かに魔物だ。よかろう。罪はつぐなわれた」


 私は自分に驚いていた。自然とあふれでた自信に満ちた声。現世ではハカセや芽衣に頼り、誰かに怒りを見せることがなかった。怒ったときの反撃が怖いし、相手にどう思われるかと常に怯えていたからだ。


 それは優しさからではない、自信のなさのあらわれだった。


 いったい、私はどうしたのだろう。

 自分のなかに潜む別の自分が息を吹き替えして、おどおどした普通であることに満足する沙薇という女を乗っ取ろうとしている。


 でも、それは不快ではなかった。


 本来の自分を取り戻している。そんな確信に満ちた気持ちで、婉然えんぜんと私は微笑んでいた。


「舞踏会に、ぜひともエスコートさせてもらえるだろうか」

「ええ、他にエスコートしてくれる方もいないでしょうから」

「君は、本当に、なんていうか、自分の評価がとても低いようだな」


 私は吹き出した。この王子は、あのオレさまレヴァルとはまるで違う。女をうれしい気分にさせる手管にこと欠かない。


 ヴィトセルクが左腕をさしだしたので、軽く、そこに手をおいた。


「いってらっしゃいませ」と、チアルたちが同時にひざまずいた。

「行ってくるわ」


 私は微笑みながら、廊下に出た。

 ヴィトセルクに導かれて、衛兵の隣を抜け舞踏会場に向かった。


 一階の大広間の奥に舞踏会の大広間があるとヴィトセルクはささやいてから、「緊張しているかい」と、私の手の甲をたたいた。


「ええ、まあ、かなり」

「おや、正直だね」

「私は向こうの世界では普通の大学生でした。舞踏会に出席するなんて想像もしなかったわ」

「大学生。なんだね、それは」

「学校で専門的なことを学ぶ場所よ」

「聖シルフィン学術院のようなものかな」

「それは、よくわからないけど。ともかく難しい勉強をするところ。例えば、数位方程式とかね」と、私はからかった。


 私の専門は文学部で、そうした数学の難しい知識など必要なかったけれど。


「ふむ、やはり聖シルフィン学術院のようだ」

「それは、どこにあるの?」

「わが国にはない。となりのシルフィン帝国にある、大きな図書館を持つ大学術院校だよ。賢者たちがそこで勉学に励んでいる。人々はその数学やら、いろいろな学問を学ぶ」

「シルフィン帝国というのは、マグマからエネルギーを作っている超大国ね」

「そうだ。そのために聖なる山シオノンの噴火がはじまり、わが国は作物が育つ地域が減った」

「この国より進んだ国なのね」

「わが国はまったく及ばない。残念だが属国のような扱いだ」と言ったヴィトセルクの顔が曇った。


 薄暗い廊下はどこまでも続いているように思えた。衛兵が等間隔に立つ廊下の先から、徐々に音楽と人々のざわめきが高まってきた。

 ヴィトセルクが私をエスコートしながら、「皆、君を見たくて集まっているのだ」とささやく。


(つづく)

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