第8話 バスタブでムチを持つメイドと裸の私


 この世界にきて、はじめてのお風呂。

「お湯をわかしてありますから、お使いくださいませ」と、言われたときは嬉しかった。あとのことを知らずに、その時はただ嬉しくて、普通に風呂に入るつもりだったんだ。


 私はアール・デコ調のドレス数点から赤いドレスを手にとり、アトリが教えてくれたバスルームに入った。猫足のバスタブにはお湯がなみなみと入っていた。しかし、どこを探してもシャンプーや石鹸が見あたらない。


 湯だけにつかれってこと?

 わからないので、裸になって湯に入った。ほどよい暖かさに全身がほぐれ至福の時間と思ったとき、人の気配がした。


「お嬢さま、お流しいたします」

「あ、あの、いえ、わ、私は」


 アトリではなく、若い女の子がそこに立っている。短めの黒いメイド服を着たかわいい子だけど、お流しって身体を洗ってもらうことだよね。それ、ぜったい無理だから。


 猫足バスタブで、私、思わず水のなかに潜った。いや、潜っても裸が消えるわけじゃないけど、自分で見えなきゃ、相手も見えないって、あれで。


 私、バカ?


 水中で目を開けたら、水に揺れる女の子の困った顔が見える。

 ぎゃって、思わず飛びあがった。そこにはタオルを持った別の子がいて、なに、これ? 2段3段構えできたってわけ?


「お嬢さま」と、最初の女の子が言った。「どうか、もう一度、バスタブに入ってください。私たちが怒られます」


 前後をはばまれ、私は猫のようにふぅーーっと威嚇した。

 でも裸だから、なんて言うの? 裸って無防備むぼうびで、ものすごく間の抜けた姿なわけで。それから、なにが腹立つって、メイド服って胸が強調されるんだ。あのね、その服着れば、私だってFカップだからね。


 いえ、そうじゃないかも、えっと、ちょっと小さくなる……。


「なにをなさっているんです!」


 敵側にさらなる助っ人が来た。

 うわ、アトリだ。無表情に私を見ている。裸の私を上から下まで見てる。


「お嬢さま、どうかお風呂にお入りくださいませ」

「ひとりで大丈夫だから」

「そのように申されるなら、よろしゅうございます」と、アトリは白いエプロンの奥から細いむちを取り出した。


 え?

 驚いて立ち尽くしていると、例の可愛いメイド服の若い子たちがアトリの前にひざまずいて両手のひらを上に向けささげている。いや、可愛い女の子たち、ものすごく震えている。


「チアル、腕を、てのひらが傷つくと、お身体を洗えないでしょう」

「は、はい」


 チアルと呼ばれた女の子は両手をブルブルと震わせながら、袖をまくりあげて差し出した。アトリがムチを振り上げた。


 次の瞬間、ピシッと激しい音が。女の子は苦痛に、「ヒッ」と小さく悲鳴をあげた。アトリが再びムチを振り上げた。


 思わず私は走って、アトリの右手をつかんでいた。裸なんだけど。


「お嬢さま。このものが無礼を働いて申し訳ございませんでした」

「ちがう、アトリさん。ちがうから、私がひとりで入りたいのよ」

「そのようなことを身分のある方がなさるはずがございません。チアルの振る舞いのためにお嬢さまが混乱なさっているのです」

「いえ、待って。チアル? そう、チアルね。今、身体を洗ってもらうところだったの」

「そうなのですか?」

「そうです。だから、ムチはやめて、手が傷ついたら私に血がつくわ」

「大丈夫でございます、お嬢さま。血が出ないよう、痛みだけを感じる方法を会得えとくしております」


 なに、会得してんのよ、この女。


「でもね、痛くて洗えなくなったら、困るじゃない」

「それが罰というものです」


 微妙にずれて話が噛み合わない。どんな冷酷な世界に私はいるの。ハカセ、なぜ私をあっさり手放したの? とんでもない世界だよ、ここ。


「罰を受ける理由がない。チアルは何もしていません」

「では、お嬢さまがそこまでおっしゃるなら。チアル、お嬢さまにお礼を」

「ありがとうございます、お嬢さま」と、彼女は床に頭をつけると、その場でぬかずいた。


 いったいこの世界は……。

 私は風呂に入るとチアルが脇にサイドテーブルをおき、そこで石鹸を泡立てて、私の身体を洗った。


 それは非常に、なんちゅうか、ものすごく居心地が悪い。

 他人の手で腋の下とか、その、胸とか、あの部分とかを念入りに洗われるって。あのね、くすぐったくて笑い出しそうだし、とっても恥ずかしいし。


 でも、慣れないといけないのかもしれない。

 この世界は現代とは違い。おそらく、身分制度で、こり固まっているにちがいない。


 そういえば、ハカセと旅したインドもそうだった。カースト制度で身分が決まっているインド社会では、上位カーストは物が落ちても拾わない。下級カーストの者に拾わせる。だから、日本人の商社マンが落としたものを自分で拾うと下級カーストとして見下されると聞いた。


 ここは、そのインドより更に酷いカースト社会なのだろうか。


 ともかく、二人掛かりで身体を洗われ、髪を整えられ、化粧をほどこされ、アール・デコ調の赤いドレスを身につけた。私の髪は赤みがまして、肌は乳白色に輝いている。この土地は確かに私の身体や容姿によい影響を与えていた。


(つづく)

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