第5話 逃された巫女と残酷な現実


 馬車のそうぞうしい車輪音を聞きながら、ヴィトセルクは柔らかい声で説明した。


「わが国は貧しい。となりの大国にあらがうこともできずにいる」

「大国があるのですか」

「そうだよ、沙薇さら。この世界は3つの大国といくつかの小国からなっていてね。我がフレーヴァング王国は小さく貧しいのだ」という言葉に隠しようもないうれいがあらわれた。「細心の注意をしなければ、となりのシルフィン帝国に併合されてしまうだろう。歴史的な話をすれば、数百年前には20ほどの民族国家があったが、今では三つの王国で覇権はけんを競っている時代だ」


 大国に左右される国。米国や中国、ロシアという大国の間にいる日本。それと同じかもしれないけど、でも、この国はもっと弱そうだ。

 私を襲った住民はやせ細り、いかにも貧しい。


「この粉灰のせいで、地上が汚染され作物も育たず国民は飢えている」

「粉灰?」

「馬車の窓から見えるだろう、ずっと降り続けて止むことがない」

「雪じゃないのですか?」

「雪とはなにかね?」

「あの、雪って、雪を知らないのですか?」

「かの国では寒くなると雪という水の結晶のようなものがふる」と、レヴァルが口を挟み、それから、また目を閉じた。


 レヴァルは、ずっと目を閉じ馬車の揺れに身を任せていた。眠っていると思ったが話は聞いているようだ。


「ほお。面白いね。これは、そなたの言う雪ではなく火山灰だ。聖なる山シオノンの噴火による灰なのだ。もう何十年も続いている」

「噴火の灰? でも、景色も見た感じも雪に似ているので」

「おそらく君の世界と色の見え方が違うためであろうな。空気も違う。これが疑問かね」

「最初の、まだ、あの、なぜ私が」

「ああ、そうか。大事なことだった」と、ヴィトセルクは柔らかく微笑んだ。

「これは辛い話なのだが。みな、竜一族に恨みを持っているからね。まあ、話すよりその証拠をみたほうが早いだろう」


 彼はそう言うと、持っていた杖で屋根を叩き、窓を下ろした。


「嘆きの森へ寄ってから、その後、王宮へ」と、御者に声をかけた。

「さあ、見せてあげよう。君の一族がしたことを」

「一族とはなんですか」

「その赤髪、まさに君はあの一族の末裔まつえいだ。それも2月29日生まれの、彼らの言う選ばれし巫女候補だと思われる」

「私の誕生日……」

「そう、君の誕生日が重要なのだ。先にお悔やみを述べておくが、君の一族は滅んだ。しかし、再起をかけて巫女を別世界に逃したという伝承が残っていたのだ。レヴァルはそれに賭けて、9年前に冥界に旅立った」


 この優しげな王子は何を言っているのだろう。そして、なんの間違いで、私はこの場所にいるのだろうか。


 彼らのかんちがいには同情するが、だって、そのなんとかの巫女が私のはずはないのだから、この手違いをどう正したらいいのか途方にくれる。昔から、人の期待にはすぐ心が折れ、無駄にあがいて結果として落胆させるのが私なのだ。それを知るハカセも芽衣もここにはいない。


「その」

「まあ、聞きなさい。そもそもこの問題は隣国のエゴがはじまりだったんだ」

「王子」と、レヴァルが呟いた。「不穏なことを言っても良いのか」

「この馬車のなかで、誰が聞いているのだね、レヴァル」と、彼は笑った。


 彼の説明によれば……。


 国境を接する大国シルフィン帝国が聖なる山シオノンのマグマを抽出して自然エネルギーとして利用した。その結果、山が怒り噴火が絶えず、この環境汚染になったという。


 つまり、シルフィン帝国は、その力で周辺諸国を支配する超大国だってことだ。

 そもそも胎内に太陽エネルギーを抱える山を、いくら大国とはいえ触れてはいけなかった。


 山は噴火を止めず白い降灰は続き作物は枯れた。もっとも大きな被害を受けているのが、山に近接するこの国だった。


「それでも私に敵意を見せる理由がわからない」


 ヴィトセルクはふっと微笑み、うつむいた。細い指で右の鼻をかき視線をあげた。


「この話は君に言ってよいものか、迷う。冷静に聞いて欲しいのだが」


 私はうなづいた。


「昔からの言い伝えでね、聖なる山シオノンの守り神は炎のドラゴンだ。我らは炎のドラゴンの加護をたよった。炎の巫女に頼ることでね」

「炎の巫女みこ

「名をエーシルという。君の一族の人だよ。3年に1度くる2月29日生まれの“選ばれし巫女”だった。彼女はね……」


 馬車が止まった。御者ぎょしゃが降りてきて扉を開けた。


「到着したようだ。降りなさい」


 ヴィトセルクに手を取られて馬車からおりると、そこには多くの氷柱が乱立していた。昔、ハカセと旅行で行った山形県の蔵王山、あの山にできる樹氷にそっくりな代物が立ち並び……、


 それは、とても美しい光景だった。


「さあ、見てごらん。これがあの女のしたことだ!」


 ヴィトセルクは芝居かかった声でいうと、樹氷につもった白い雪のような降灰を手でさすった。パラパラと落ちて行く粉は途中から固形物になってかたまっている。彼は剣を使い削ぎ落とす。


 最後にコソリという音がして、カサブタが剥がれるように粉板が下にすべり落ちた。


 そ、そこには、顔が、人間の顔が、恐怖が、氷漬けのまま、まるで生きてるかのようだった。

 叫ぶように口を大きく開き、目は充血し、恐怖に歪んだ顔のまま、氷のなかに閉じ込められた女。


「こ、これは」

「ここに立っている、氷の柱はみな人間だ」


 ヴィトセルクの顔が苦痛にゆがんだ。


「これも見なさい」


 見たくなかった。しかし、ヴィトセルクは有無うむを言わせない。その氷柱は男で、顔には苦痛のシワが寄り、歯がむきだしになった断末魔だんまつまの表情のまま氷漬けになっている。


 風が強かった。風は先にある崖方面から強く吹いていた。


 私は風におされ腰をぬかした。震えが止まらない私に、彼は非情に言葉をつづける。


「これが、エーシルのしたことだ」


 その女がなんであろうが、私は知らない。喉もとに酸っぱい匂いがすると同時に恐怖のあまり、その場で吐いた。

 地面に突っ伏して吐き終わると、二の腕を取られた。強引に私は起き上がらせたのはレヴァルだった。


「行くぞ。もういいだろう」

「ああ、沙薇、すまない。怖かったね。城に行こう」


 レヴァルに抱きかかえられるように馬車に乗った。すぐに御者が馬にムチを入れる。


「君に理解してもらうには、見るのが一番だと思って。大丈夫かな」と、ヴィトセルクが言った。


 私は震えていた。


「わかるかい。あの中にはこの国の高官も庶民もいた。炎の巫女エーシルが裏切って惨劇が起きた。国民の誰もが犠牲になった。だから、この国の人々は赤毛の巫女みこを憎んでいる」

「わ、私の母はハカセです」

「ハカセ? ハカセとは誰なんだ。レヴァル」

「彼女の育ての親だ」と、面倒臭そうにレヴァルが言った。


 ハカセは確かに育ての親だ。だからと言って、私の母であることに間違いない。


 ハカセは私の実の両親は死んだと言った。ハカセはどこまで、この世界について知っているのだろう。いったい誰から私を頼まれたのだろう。

 混乱しているうちに馬車が再び止まった。


「城に到着した」と、ヴィトセルクが告げた。


(つづく)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る