第4話 優しい王子とオレさま男


 ヴィトセルクは包容力があって優しい。その砂漠のオアシスのような包容力に甘えて、広い肩に顏をうずめて泣きたいって強烈な衝動を感じたけど。でも、だめ、だめだ。きっと、ハカセならダメだって言うだろう。


「申し訳ない。怖い思いをしたんだろう。もう大丈夫だよ、沙薇ちゃん。こんな思いを僕がさせないからね」と、彼が言った。

「よくもまあ」と、レヴァルが目を細めた。「しらじらしい言葉を口にのせられるものだ」

「黙りなさい、レヴァル。僕は君に彼女を怯えさせていいなどと言った覚えはない」


 レヴァルは、ふんっという表情で窓外に視線を向けた。先ほど、怒り狂った人々に腕を殴られたはずで、痛みはないのだろうか? 平然として顏には出さない。

 私といえば、まだ震えが止まらなかったんだ。


『困ったときは、大きく息を吸って数字を数えなさい。切羽詰せっぱつまったときこそ冷静さが必要です』と、ハカセが言っていた。


 そうだ、ハカセ、数字ね、うん、1から数えよう。

 身体の震えは止まらなかったが、30くらいで落ちついてきた。今は観察だと自分に言い聞かせた。それに、このヴィトセルクなら疑問に答えてくれるかもしれない。


「すこし落ちついたようだね、お嬢さん」

「ええ、大丈夫です」


 レヴァルは鼻で笑っていた。その態度は腹がたつほど魅力的だ。この男は、女に対する自分の力を知っており、その適切な使い方も知っているにちがいない。


「レヴァル、疲れたか。魔力を使って体力が消耗しょうもうしたろう」

「まあ」

「それにしても長かった、やっと戻ってきたな。嬉しいぞ」

「心にもないことを」

「いや、心はあるぞ。だが、状況は最悪だ。もう国は限界を超えている」

「では殿下。ここで帰還の報告を」


 殿下? ヴィトセルクとは、いったい何者なのだ。

 馬車に貧しい寂れた村。この世界は文明的には中世ぽい。

 私は子どもの頃から向こう見ずなところがあるが、それにしても、ここがどんな世界なのか知りもせずに、よく来てしまったものだ。


「そうだな。随分と長かったな。もっと早く帰るものと思っていた」

「あちらの世界は広い」

「まあ、よい。よく戻った」


 レヴァルは私と話していた時より、くつろいだ表情をしている。この二人の間には主従というより、友人といった親しげな空気を感じる。


「……悪かった」と、レヴァルはいきなり私をみつめた。

「え、あの、いえ」

「突然のことで驚いたのはわかっている。俺にも事情があった」

「では、教えてください。ここはどこですか?」

「おんやおんや」と、ヴィトセルクが間に入った。

「なんの説明もなく来てしまったのか」

「はい」

「これは勇敢なお嬢さんだ」

沙薇さら」と、私は名前を伝えた。


 それには答えず、ヴィトセルクは視線をレヴァルに向けた。


「レヴァル。彼女なのか」

「おそらく」

「先に送ってきた子は」

「彼女も間違いなく、この世界の人間だ。俺の術に反応した」

「では、ふたりの炎の巫女がいるというわけか」

「いや、それは違う、どちらかだ」


 このふたりは、私がここにいることをすぐに忘れる。


「それで、ここはどこですか」

「ここはフレーヴァング王国という。そして、私の父が国王だ。病に伏せっており、国政には出てこないがね」


 王子。やはりそうなのだ。


 馬車は一定の速度で走り、どこまでも代わり映えしない白い世界がつづく。城は丘の上にあり、この速度なら30分くらいで到着するだろう。

 つい、それで焦ってしまい、声が妙に裏返ってしまった。


「なぜ、あ、あのっ」と、言って口ごもった。

「いいよ、ゆっくり話しなさい、沙薇ちゃん」


 ヴィトセルクは優しい。


「なぜ、あの、村の人たちは私を殺そうと」


 ヴィトセルクは、にっこりと微笑み、いい子だというように頭をポンポンと叩いてからレヴァルをにらんだ。


「レヴァル。お前は何も教えてないのかね」

「必要なことは言った」

「そうか、その必要なこととは、ちなみに、どんな話だ」

「あの世界は冥界で、こっちの空気がうまい」

「ガキか」と、彼は言うと、「そういうわけか、紗薇ちゃん。説明にもなっていないね。でも、村人をうらまないでくれないかな。あの人たちもかわいそうなのだ。君の髪、その赤い髪はタブー色なんだよ」


 私の髪? しかし、私の髪は赤くはない。黒系のはずだけど……、肩に伸びた毛をみて、私自身が驚いた。


「髪が、あ、赤くなってる」

「そうだよ。こちらの世界では色が変わる。あちらではもっと黒かったのかな? それは光のスペクトルの違いだ。この世界で君の髪は赤い。そして、十年前にね、その赤い髪をもつ竜一族の娘によって多くの人が死んだ」

「竜一族」

「そう竜一族だ。彼らはドラゴンと意識をつなぐことができる。いや、全員じゃないよ。2月29日に生まれた乙女だけだがね。この世界では3年に1度、うるう日がくる。その日に生まれた女の子を竜一族は“選ばれし巫女”と呼んでいる」

「では、間違いです。私の誕生日は2月28日ですから」


 私の誕生日は2月28日。学校時代に4年に一度しか正式な誕生日が来ないうるう日にあと1日って、ジョークだった。ああ、あの世界の悩みは、今から思えば、なんて普通で平和だったのだろう。


「レヴァル。どういうことだ」

「彼女の育ての親から聞いている。間違いない。あの世界で29日では年齢が合わないから1日前で登録したと」

「わ、わたしは」

「沙薇。君の育ての親と話したのだ。これは真実なんだ」と、レヴァルが言った。

「なぜ、ハカセを知っているの」

「彼女に頼まれた。実際は、もっと早くに呼び寄せることもできたんだが、ギリギリまで待って欲しいと言われ。俺は待ったのだ」


 待った? 待っただと?

 いや、あの世界に多くの思い出があるけど。彼はそれをプレゼントとして、私に与えたというのか。


「いつから待っていたの」

「おまえを探し出したのは5年前だ。それからずっと待っていた」

「レヴァル、なんて男だ。私にまで黙っていたのか」

「問題はなかろう。彼女の誕生日まで、こちらに来ても意味がない。なら、あの世界で」と言って、レヴァルは寂しげに目を閉じた。


 彼から次の言葉が出ることはなかった。

 私はレヴァルの横顔をみて、ハカセとどういう話をしたか聞きだしたかった。しかし、彼はすべてを拒絶するような表情をしており、声をかけるには、その横顔はあまりに美しく寂しげだった。


(つづく)

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