第3話 ボロ馬車で迎えに来た王子さま


「ひとつだけ、教えて」と、レヴァルに聞いた。

「これまで静かだったことに免じて、ひとつは許そう」


 コイツはぁ〜〜。

 あまりにも尊大だ。心がえる。


「私がこの世界の人間だとしたら」


 本当の母親って誰なのか? そう聞こうとして口もとで止まった。なにを期待しているのだろう。この世界に知り合いがいて、助けてくれると期待しているのだろうか。


 レヴァルは待っている。

 私は唇が震え、そして、なにも言えなくなった。


 その時だった。いきなり、汚物のようなものが飛んできて、足元に落ちた。


 え、何?


 橋を渡ると貧しい家が並んでいる。白い雪が屋根を押しつぶしそうに積もっており廃村かと思っていた。


 大声が聞こえた。


「あいつだ。あの一族だ! 赤髪だ!」

「死ね!」

「クソッ、まだ生きてやがった」


 怒り声とともに石が飛んできて、ヒュンっと頬をかすめた。

 別の石を避けようとしたときに痛みを感じた。手の甲に硬いものがあたり筋状にツゥーっと血がにじむ。


「チッ」と、レヴァルが舌打ちした。

「迎えが遅すぎる。見つかったか」


 彼は着ていた上着を脱ぐと、私の頭にかぶせた。


「髪を隠せ!」

「どういう……」


 どこからか湧いてきた一団は、手に手に棍棒や斧を持っていた。痩せこけ、汚れた服を身につけた下卑げびた男や女たち。彼らの顔はすさみ、その目は憎しみに満ちている。


「レヴァル、これは」

「突破するぞ、走れ!」


 しかし、どこに逃げる。私たちは、すでにかこまれ少しづつその輪が縮まっている。


 集団の貧相な男や女の目には、あきらかな殺意と憎悪が見えた。


 身体が緊張で縮こまり、心臓の動悸が聞こえそうなくらい高まった。こんな感覚ははじめてだ。私は自覚した。これまで本当の恐怖に対峙したことなどなかったんだ。

 真の恐怖の意味も知らずに、私はなんど「怖い」とか「死ぬ」とか、日常的に使ってきたことだろう。


「走れ!」


 レヴァルは北に向かって走り出した。


「逃すな!」

「殺せ!」


 憎悪に満ちた集団は、みな同じ顔に見えた。

 棍棒がレヴァルの頭部をおそう、それを彼は腕で抑える。ゴギっという不気味な音。骨が折れた? 彼は左右からくる攻撃に的確に腕で反応しながら、少しもひるまない。


 ガガガッと機械的な音が前方から聞こえる。なんの音か?


 音にひるんで立ち止まると、背後から殴られ痛みによろけた。気がつくと眼前に馬車が止まっている。ガガガッて音、あれは馬車の車輪の音だったのか。


 ドアが開いた。


「乗れ!」

「遅い!」と、レヴァルがどなった瞬間には、私の身体は宙を飛んでいた。


 レヴァルが私を担ぎ馬車の入り口めざして投げこんだのだ。

 これ、後で気づいたことで、その時は、なにが起きたのかまったく理解できなかった。


 私は馬車に頭から飛び込み、気づいたときには、暖かい膝に顔を押し付けていた。それは誰かの太ももだとわかったが、驚きで身動きできなかった。

 レヴァルが前の座席に転がりこんできた。


「行け!」


 私を膝で抱きかかえている男が屋根を叩いて叫んだ。

 馬車が走りはじめた。

 石やら、棍棒やら、馬車を叩く激しい音と、ぎゃーという人の悲鳴。


 ガタガタと車輪音は一定の速度を保って疾走している。


「遅いぞ。ウルザブ橋で待っているはずだったろう」

「ははは、ヒーローである王子は遅れてやってくるものだ」

「言ってろ」

「いや、すまない。馬車を調達するのに、手間取った」

「こんなボロ馬車で、なぜ迎えにきた」

「王家の紋章が入っていては、後が面倒だろうが。民衆は静まるが、赤毛をかくまっていると知られるのは、政治上、まずい」

「ほお、珍しく弱気だな」


 王家? 私は顔を上げた。


「おお、お姫さまが気づいた。起きられるかな?」


 柔らかいアルトの声が頭上からする。

 肩で息をしながら、私は立ち上がることも、すわることもできないで、いわゆる腰が抜けた状態だった。誰かの手が私を優しく抱き起こした。


「大変だったね」


 その声には暖かさがにじみ、ひときわ優しく聞こえた。


「あ、あの」

「もう大丈夫だ、怖い思いをしたね。レヴァルが悪いことをしなかったかい。愛想のない男だから、随分とひどい思いをしたろう」

「あ、いえ」

「僕はヴィトセルクと言う」

「ヴィトセルク……」

「そうだよ、ヴィトって呼んでくれたまえ」


 彼はとろけるような顔で微笑んだ。レヴァルと同じプラチナブロンドの髪と白い肌。この世界の住民は、みなこのように抜けるような白い肌なのだろうか。

 暗く陰鬱いんうつな厚い雲におおわれ、雪が降り続いているならば、肌を焼く紫外線は少ないにちがいない。


 ヴィトセルクにはレヴァルのような人間ばなれした凄絶せいぜつな美しさはない。目尻や口元に寄ったシワが端正な顔に味をつけ、優しげな微笑みが魅力的だ。ほっとして頼りたくなる雰囲気がある。


 だから、私は心からほっとした。

 初対面の男は氷のようなレヴァル、次は敵意むき出しの村人……。異世界に来て、これほど最悪な組み合わせもないだろうから。


 そして、安心すると震えがきた。カタカタと音を立てる歯を止めることができなくなった。もう、ここなら泣いていい場面だろうか? ハカセ。


(つづく)

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