第2話 白い雪の世界はたそがれの場所

 

 ここが私の生まれ故郷?

 そうは思っても馴染みがなくて、雪が降っているのに夏用のスーツでもそれほど寒くないし、たぶん、氷点下ではないと思う。


 レヴァルが進む先は白いもやがかかり視界がわるい。彼の歩幅は大きい。すぐに靄のなかに消えてしまいそうだった。私を待とうなんて気持ち、これぽっちもないみたい。

 

 それでも、この時、私は誰かに甘えたかった。芽衣がいつも私にしてくれたように、ヨシヨシして欲しい。でも、その相手は先を進む冷たい男しかなかった。


 だから、もう来て秒で後悔してる。たとえ身体の調子がよくなっても、前の世界で1年の命だったとしても……、なぜ、ここに来てしまった。


 ダメダメダメ、ダメだ。私はハカセの娘だ。誇り高く歩け!


 このままじゃあ方向を見失い、一人で取り残されることになる。奴は私を助ける気持ちがないって背中で語っている。だから、あわてて後ろを追いかけた。


 そう、ここで、大いに言っておこう。パンプスは新雪の柔らかい雪のなかを歩くよう作られてない。

 いや、気づいたときは遅かった。あわてたために靴が脱げ、あっという間に頭から雪のなかに、ズボっと転んでいた。


 簡単には立ち上がれない。

 泣きたい。

 なぜ、こんなことに。もしかしたら、だまされているんじゃないかって疑った。


 え? 今頃って。


 私は、いつもそうなんだ。いつも後悔するのは、たいていの場合、遅いんだ。それも致命的に遅い。


 なぜ、はじめて会った男の言葉を簡単に信じたんだろう。

 なぜ、あの時、逆らわずに手を取ってしまったんだろう。

 なぜ、なぜ、なぜ……。


 なんども、なぜを繰り返した。


「お前は自分で立ち上がることができないのか」


 上から声がした。奴が戻ってきたんだ。

 昔の私なら泣いただろう。だが、我慢した。この男は甘えを嫌うと本能的に感じたからだし、不思議と思考がクリアになったからだ。


「立ち上がれるわ」

「では、立て」

「言われなくても」


 起き上がると全身が雪で白くなっていた。不思議な感覚だった。夏の海で溺れて水からあがったみたいな感覚。顔に雪がついているが冷たくはない。

 私は雪を払った。空気が乾燥しすぎているのか、雪は全く溶けずにパラパラと落ちていく。


「では、行くぞ」

「レヴァル!」

「なんだね」

「説明して。あなたは少なくとも私に説明する義務があると思う」


 彼はぷいっと横を向くと、再び歩きだした。


「レヴァル!」

「行くぞ」


 そういうと、彼は左手をさし出した。

 この手を取ったために、こんな状態になっている。しかし、今は苛立っても取るしか道はない。そう、今はおとなしく観察しよう。


 ハカセが言っていた。

 あれは、私が理由も忘れた、どうでもいい事で泣いたときだ。


『今は思う存分に泣きなさい。しかし、沙薇、本当に困った状況になったときには泣いてはいけません』

『なぜ』

『たいていの場合、真の危機のときに、泣いても解決ができないからです。逆に状況を悪化させるだけです』

『じゃあ、そういう、その真の危機の時はどうしたらいいの』

『黙って周囲を観察するのです。そして、どういう手段を取れば最善なのか自分のできる最善を探るのです』


 ハカセ……、お母さん。

 私は泣かない。そして、ハカセの言うとおり、これが真の危機ならまず観察する。目尻に浮かんだ涙を拭って、私は男の手を取った。こころなしか、その手は暖かかった。

 

 私たちはそれから無言で歩いた。

 真っ白な雪の世界にはふたりしかおらず、この世界には人がいないのかと疑いはじめた頃、遠くの小高い丘に城が見えた。


 すぐ目の前には川が流れている。川幅は5メートルくらい。

 その先、あれは、町? 掘っ建て小屋のような家々が道路の左右に並んでいた。町にしては、あまりに貧しくさびれてみえた。


 川にかかる木造橋は隙間が多く、下を流れる川水がみえる。雪解け水なのだろうか? 流れは早く、ゴゥーゴゥーと激しい雨のような音が響いてくる。橋はボロくて、今にもくずれ落ちそうで、怖くなって男の手を強く握った。


「もう、いいだろう。手を離せ」

「え?」

「目的地はあそこの城だ。もう迷うことはない」


 いやになるほど素っ気ない言い方で心がえる。

 私に敵意でも持っているのか? なら、なぜ迎えに来たんだ。しかし、私は何も聞かずに口を閉じた。


 観察するんだ。ハカセを思い出せと、ここまで何度も呪文のように繰り返した言葉を頭のなかで唱えていた。


(つづく)

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