第六話 生き残り

「――きて」


 体が揺さぶられる。


「――くおきて」

「うぅ……」


 揺れが激しくなる。


「いっしょくおきて!」


 一瞬にして意識が覚醒し、体を起こす。


「どうした?」


 ノアの顔にあるのは不安。

 もしかしてと壱織いっしょくは室内を見渡すが、何も変わったとこはない。ちゃんと鍵も閉まったままだ。


「さっきから……」


 そう言ってノアは扉を指で示す。

 壱織の意識が扉の方へと向かうと、その先から音が聞こえてくる。


「いっしょ――」

「しっ」


 ノアの声を指を立てて止めると、音を出さぬように扉へ近づいていき、耳を当てる。

 扉の向こうから聞こえる音は、自分と同じように飯を漁っている人のものなのか、モンスターのものなのかわからない。

 しばらく聞いていると人の話し声らしきものが聞こえてきた。内容まではさすがにわからなかったが、話していたことは確かだ。

 壱織が満を持して扉を開けると、そこには眼鏡をかけた気の弱そうな男性が立っており――


「うわああぁぁ!」


 ――叫びながら尻餅をついた。


「大丈夫ですか!」


 男の悲鳴を聞いた者達がすぐ集まってくる。

 驚いて少し固まってしまっていた壱織だったが、彼らと目が合ったことで急いで言葉を考える。こっちが男に何かしたのだと誤解されるのは避けたい。

 そうしている間に男が立ち上がりながら彼らに説明した。


「ああ、大丈夫です。すみません。まさかこんなところに人がいるなんて思わなくて、幽霊かと思ってしまって」


 それで驚いたのだと男は説明する。


「驚かせてしまってすみません」


 頭を下げる男に壱織もまたぺこりと頭を下げた。

 その横では「しっかりしてくださいよ佐藤さとうさん」などといった声が上がっている。どうやら男は佐藤というらしい。


「私がこの方と話しますので皆さんはそのまま作業を続けてください」


 佐藤がそう言うと皆散らばっていく。

 そして部屋には佐藤、壱織、ノアの三人が残った。


「改めまして私佐藤矢須さとうやす申します。佐藤とお呼びください」

「志木野壱織です。壱織で頼みます。で、この子はノアです。佐藤さんらはどうしてここに?」


 後ろに隠れて縮こまっているノアの頭を撫でながら言う。


「私たちは近くにある地下鉄の駅に立て籠もってまして、食料を集める為こちらに……」


 佐藤は駅でのお偉いさんだったらしく、今は駅内に形成されたコロニーのまとめ役をしているそうだ。


「そうなんですか」

「もしよろしければ志木野さんもいらっしゃいますか?」


 意外な提案に壱織は頭を悩ます。

 学校が安全とは限らないため、一時的にノアだけ預かってもらうという選択肢もあるが、この様子じゃ嫌と言うのは明白。

 行くかは保留にしておき、先に聞きたいことを尋ねる。


「そこに女子高生っていますか?」


 少し間が空いた後で佐藤が気まずそうに言った。


「……あの、一体それはどういう……」


 壱織はそこで自身の失敗に気づく。

 言い方を間違えた。

 視線が痛い。完全に変態を見る目だ。


「え、あ、いや、あの、違います。今のは言い方が悪かったです。妹と会えてなくてそれで……」


 壱織の必死の言い訳に佐藤も納得したようだ。なるほどと頷いている。

 佐藤の様子に壱織は安堵する。危うく変態認定されるところだった。


「茶色の長い髪で、身長は高め。あとは――」


 妹の特徴を並べていくが佐藤は唸ったままだ。

 結局佐藤の答えは「私の知る限りではそのような方はいませんでした」と予想通りのものだった。

 壱織が肩を落としているところで、ですがと佐藤は続ける。


「駅に避難してきた人は大勢いるので私が知らないだけかもしれません。木村さん――」

「いや、そこまでしていただかなくて結構です。自分で行って確かめます。お邪魔しても?」

「もちろんです。こういう時こそ助け合わないといけませんからね」


 駅から学校まではある程度離れているが一時前に出発すれば日が暮れる前に着くことが出来る筈だ。今はまだ早朝の時間帯。十分に余裕はある。

 壱織は佐藤の了承を得ると他の者達と共に駅へと向かった。




 地下鉄の駅は街の中心部に近いこともあり周りには幾つものビルが建っていた。壱織は記憶の中からその光景を引っ張り出す。初めて来たときには同じ街とはいえ高校周辺とは雲泥の差があると思ったものだ。

 しかし、その光景とは全く異なったものが壱織の瞳には映っていた。


「酷いものですよ……たった一日で……」


 隣で佐藤が言う。その声音には諦めが含まれていた。

 佐藤が言うことにはモンスターが最初に現れてからたった数時間でこうなったらしい。

 倒壊した建物や黒焦げとなった車、一部が破壊され今にも倒れそうなビルすらそこにはあった。

 そして道路に染みた赤い血と瓦礫からはみ出る肉片。何とも悲惨なものだ。

 あの街が今はもう半壊。日本はもうだめかもしれない。壱織の心の内を表すかのように空は雲で覆われている。


 コンビニからここまで呑気に会話をしてはいるが、周りへの警戒は怠らない。建物が少なくなったおかげと言うのは不謹慎であるが、ある程度見通しが良いためそこまで神経を張らなくてよい。


 そのまま瓦礫の散らばる道路を突っ切り、駅へとつながる階段を下りていく。

 閉じられたシャッターの横にある扉から中へ入ると、男共は一安心といった感じで肩を下ろした。

 コンビニからここまで、モンスターは遠くから見るぐらいで済んだ。どれも見たことのないものばかり。瓦礫をまとったサイのようなものや複雑な形をした角を持った鹿の群れ、どこかへ飛んでいくドラゴンらしきものも見た。

 ノアはそれについて喋りたそうにしていたが大勢人に囲まれていたせいかずっと黙ったままであった。後で話を聞いてやるのもいいかもしれない。


「壱織さん、それはこっちです」


 そんなことを考えていると佐藤の指示が飛んでくる。


「はい、わかりました」


 コンビニから持ってきた食料などはまだ配らず一つの部屋に置いておくそうだ。佐藤がいた集団以外にも外に食料や備品を集めに行った者達がいる為彼らを待つ予定らしい。

 その間にと壱織とノアは佐藤に連れられホームへ向かっていく。


 ホームには大勢の人が段ボールやブランケットを引き横たわっている。それは停まっている電車内でも同じことだ。一応通れそうな道らしきものはあるが、そこを外れると誰かを踏んでしまいそうになる。

 皆表情が暗く疲れた様子であり、横になっている人が大半だが寝ている人などはごくわずかだ。

 佐藤曰くこの一番線にいる人達で全体の三分の一にも満たないらしい。二番線、三番線に至ってはここよりも混雑しているそうだ。避難してきた人を皆受け入れた結果だと佐藤は言う。

 この中からいるかもわからないたった一人の妹を探さなければならない。中々に骨が折れそうだと壱織が思っていると、佐藤に「こっちです」とある部屋へ連れてこられる。人の目が届かない場所であった。


「良ければ、使いますか?」


 そう言って差し出してきたのは一台のスマートフォンであった。電気も水道も止まっているが、通信はまだかろうじて生き残っているようだ。


「今はあまり使っちゃいけないって感じなんですけどね。秘密ですよ」


 電気が使えなくなった今、その通信機器は充電が切れてしまえば使い物にならない。皆のために使うのはいいが、個人利用はあまりしないようにしよう。昨日の話し合いからそんな雰囲気があるのだと佐藤は言う。


「いいんですか! ありがとうございます!」


 壱織は頭を下げ、すぐに妹へと電話を掛ける。

 心臓を震わせながら数秒。繋がった。


「おい、仁奈か? 無事なんだな。今どこで――」

『もしもし……』


 誰だ。明かに声が違う。

 壱織は自身の心臓が締め上げられるのを感じる。

 番号を間違えたか。可能性はある。そうであってほしい。

 額からは汗が出始め、言葉が詰まる。


「仁奈……か?」


 頼む。そうだと言ってくれ。

 鼓動がさらに加速する。


『もしかして、仁奈ちゃんのお兄さん?』


 電話の向こう側の人物はそう訊ねてくる。

 壱織は唾を一つ飲み込むとそれに答える。


「……そうだ。仁奈は?」

『仁奈ちゃんは今出かけてて……』


 思いもよらぬ言葉に壱織は困惑する。


「は? え、出かけてる?」

『はい。仁奈ちゃんたちはごはんとかを取りに行ってます』

「無事なんだな?」

『はい。えっと、今はどうかわからないですけど、無事だと思います』


 全身から力が抜け壁にもたれかかると、そのまま下まで落ちていく。


「良かった……」


 その呟きが多量の不安と共に吐き出される。


『仁奈ちゃんに言っときますね。壱織さんが無事だって』

「うん? え、あれ? 名前言ったっけか?」


 名乗った覚えはない。妹にでも聞いたのだろうか。


『あの、私です。明坂あきさかレイラです』

「ああ! レイラちゃんか。無事でよかった」


 仁奈の親友であり何度か家にも来たことがある子の名前に、壱織はどうりで名前をと納得する。


「今どこに?」

『学校です』

「わかった。すぐそっちに向かう。伝えといてくれ」

『はい。あの――』


 何か言いかけであったがすぐ電話を切ると佐藤に返す。

 ただでさえ使わせてもらっているのにこれ以上充電を減らしてしまうのは憚られる。

 妹の無事は確認できた。それで十分だ。


「ありがとうございます」


 もう一度深々と頭を下げる。


「いえいえ、困ったときは助け合いです」


 そう言って優しい笑みを浮かべる佐藤は正に聖人だ。


「行くんですか?」

「はい」

「そうですか。残念です」


 佐藤は心底残念そうである。

 彼にも若い男手を取り込みたいという思惑はあったのだろう。ホームには怪我をした人が何人もいた。この場所で動ける人の存在は貴重だ。何の理由もなくスマホを貸してくれた訳ではないのだろう。理由の内訳の大半は優しさだと思うが。


「正午にここをでようと思います。それまでに何か手伝えることがあれば何でも……」

「では少しだけ手伝っていただけますか?」


 そう言われ案内された通路は瓦礫の山で塞がれている。その前では瓦礫の撤去を進める人が複数名いた。


「おお、佐藤の兄ちゃん! 無事だったか!」


 頭と脚に包帯――とも呼べぬような布――を巻きつけた男が言う。


「はい。昨日から様子は見てましたけど、外は意外とモンスターが少なかったですね。昨日の内に散らばって行ったみたいです」

「そうかそうか。それはよかった。ところでそっちの兄ちゃんは?」

「志木野壱織さんです。私たちが行ったコンビニで会いまして、すぐにここを出るみたいなんですが少しだけ手伝ってもらおうと思いまして」


 壱織は佐藤の紹介に合わせてペコリと頭を下げる。


「それでこの子がノアさんです。あの壱織さん。ここは少し危ないのでノアさんは下がっといてもらった方が……」


 佐藤の申し出に壱織はノアを離れさせる。

 今までアヒルの子のように後ろをくっついて歩いてきてたノアだったが、渋々といった様子で離れた。


「私はノアさんを案内しますので、亜門あもんさん、あとはよろしくお願いします」

「おう」


 佐藤が行った後、亜門と呼ばれた男はズカズカという様子で近づいてくる。


「よろしく! 亜門だ」

「よろしくお願いします」


 握手を交わす毛むくじゃらの太い腕は砂や泥で汚れていた。

 軽い挨拶と説明が終わると早々に瓦礫撤去の作業が始まった。


「悪いな、兄ちゃん。ここを出ていくってのに手伝わせちまって」

「いえ、佐藤さんにはいろいろ助けてもらったので」


 話はするがその手は止まらない。


「――兄ちゃん二駅も越えてきたのか!? よく死なずにここまで……」

「まあ、何度も死にかけましたけどね」


 話の流れで壱織はここまにたどり着くまでの経緯を説明する。


「――それで今から高校に」

「そうか……少し頼みがあるんだけどいいか」

「なんでしょう?」


 一旦手を止め、神妙な面持ちでこちらを見つめてくる亜門。

 あまりいいものでないことは分かる。


「俺を一緒に連れていってくれねえか?」

「無理です」


 即答である。


「そこを何とか」


 食い下がってくるが答えは変わらない。

 初対面の人にここまで否定を全面に押し出すのは忍びないが、それでもいいとは言えない。

 ポッコリ出たお腹に頭と脚に巻かれた包帯。足手まといになるのは確実だ。


「なんでそこまで?」

「うちの息子が学校にいるんだよ」


 亜門は話し始める。

 モンスターが現れたあの日部下が死んだことを、妻と連絡が取れなくなったことを、自分にはもう息子しか残されていないことを。

 涙を見せながら語る亜門の話を壱織は黙って聞く。


「――この脚も、一昨日と比べりゃ随分良くなった。だから……頼む」

「……そこまで言われても答えは変わりません。連れていくのは無理です」

「そうか……」


 俯く亜門を前に壱織は続ける。


「……でも、まあ、ついてくるのは好きにしてください」

「恩に着る」


 手をがっしり握ってくる亜門。これが美少女なら少しぐらいは心が動いたのかもしれないが、生憎毛むくじゃらのおっさんだ。


「ただ一つだけ、自分の身は自分で守ってください。俺は一切助けませんし、もし危なければ放って逃げます」


 指を立てて言った壱織に亜門は「わかった」と一言。覚悟を決めた目をしていた。


「そうと決まれば早速言っていくる」


 そう言って亜門は歩き始める。

 ここを統率しているグループ的存在に断りを入れておくようだ。

 一応は自分に関係することなので、壱織もその後を追った。


「――そうですか、わかりました。伝えておきます……少し、寂しくなりますね」


 佐藤が言う。

 佐藤と亜門はたった二日の仲であったようだが、その口ぶりから何よりも濃い二日だったことが窺える。


「そうだな。でも、佐藤の兄ちゃんなら大丈夫だ。そういや仙葉せんばさんは? 仙葉さんにも挨拶しときたいのだけど……」


 佐藤はただ暗い表情を浮かべるだけで何も言わない。


「どうかしたのか?」

「いえ、あの、外に出ていった仙葉さんのいるグループから連絡が返ってこなくて……」


 亜門の表情もまた暗くなる。


「外も雨が降り始めていて捜索をするにも厳しい状況でしたので、彼らのことはもう……」

「そうか……」


 生まれた沈黙を壊すように扉を叩く音が辺りに響いた。

 その瞬間、佐藤を含めた全員の表情が明るくなったが、扉を開けると彼らの顔は固まった。


「うおっ、ほんとにいるじゃん生き残り」

「マジか! 女もいるんじゃね?」

「サイコーだな、おっさん」


 バットやら鉄パイプやらで武装した若い男二十数名がぞろぞろと入って来る。

 先頭の男の横には顔が腫れ上がった中年男性が一人捕らえられていた。


「なんだお前ら!」


 亜門が怒声を張ると共に若い男らの元へと向かっていく。

 佐藤は一旦落ち着いてとそれを止めようとするが、その細い体では亜門を止めることなど出来ない。


「おっさん、止めれてねえぞ~」

「よっわ」

「怖い怖い」


 そんな状況に、彼らはへらへらしたままこちらを見ている。

 亜門が集団の先頭にいた男の胸倉を掴み、睨みつける。手は出していない。そこの線引きはまだできているようであった。まあ、いつ殴りかかるかわからない状況であるが。

 男は胸倉を掴まれたとて平気そうで、亜門に襲い掛かろうとした後ろの仲間を手で制止する。その様子を見る限り、彼がリーダーのようであった。


「仙葉さんに何したんだお前ら」

「仙葉? ああ、このおっさんのこと? おい、放してやれ」


 顔が腫れ上がった男が解放される。

 目に涙を浮かべこちらへと走ってきた男は、数人に介抱されながら後ろへと下がっていく。


「答えようによってはお前ら……」

「亜門さん、落ち着いて。何か誤解があったのかもしれませんから」


 腕を振り上げた亜門を佐藤が止め、男から剥がす。


「……それで、何があったか聞かせていただけませんか?」


 佐藤はこんな時であっても低姿勢だ。


「俺たちは仲間を集めに来た」

「それは、いったいどういう……」

「なあ、おっさんら。自由に生きたくねえのか?」


 男の声が響く。


「今は盗みも殺人も強姦も許される。最後ぐらいは自由に生きれる。お前らみたいにただ怯えて死を待つだけの人生なんて送りたきゃないね」

「何言ってんだお前ら!」


 そう言って再び詰め寄った亜門は鉄パイプに打たれ倒れ込んだ。

 皆に動揺が広がる。


「邪魔するなよ。邪魔するなら、そこのおっさんと同じようになるけど……ああ、そうだ。仲間になるならちょっとぐらい女分けてやってもいいぜ。まあ、俺らが使った後のきったねぇ女だけどな」


 彼らの中で笑いが起こる。

 壱織はそんな彼らを眺めて一つ、ため息をついた。



 ♢



「――お疲れ様でした」


 金髪から労いの声が掛けられる。

 仁奈になはようやく終わったと伸びをしながらぞろぞろと出て行く生徒らに続いて部屋を出て行こうとするが、金髪に呼び止められた。

 コンビニでに次いでまた止められた。

 さっきのコンビニでは結局鍵などかかっておらず、倒れた荷物が扉を塞いでいただけだった。

 今度はしょうもないことでないといいのだがなどと思いながら「何?」と問う。


「別に大したことではないんですが、モンスターを倒したことであなた達二人がここにいる人たちの心の支えとなると思うんです。特に外に出ることになる人にとっては。なので、次もまたお願いしますね」


 次があるのかとため息をつきたい気持ちに襲われる仁奈だったが、生き残るためには仕方がない。諦めて断らずに部屋を出て行く。


「それでこの刀は――」


 扉を閉める時に聞こえた会話は赤髪が手に入れた一本の刀に関するものだった。




 教室へと戻っていると友人のレイナが向こう側から走ってくるのが見えた。

 手を振りながら駆けてくる彼女をよく見ると、その手にはスマホが握られていた。

 レイナに預けた自分のスマホであることを認識した瞬間、仁奈は鼓動が速くなるのを感じた。モンスターと戦った時とは別の意味でだ。

 モンスターが現れた日から一度も鳴らなかったスマホ。

 連絡がつかなくなった兄のことは考えないようにしていた。不安で心が潰れそうになったから。


「仁奈! きたよ、電話!」


 レイナの言葉を聞いた瞬間、心臓の動きがより一層速くなり息が震えだす。


「え……」


 何も言葉は出てこない。ただ目頭が熱くなるのを感じる。


「お兄さんから!」


 その言葉に、仁奈は膝から崩れ落ちる。渡されたスマホを胸に当て、その存在を確かめながら。


「あ、あぁ……」


 気づけば声が漏れていた。

 母を亡くし、父を亡くし、残されたたった一人の肉親すらなくしてしまえば自分はこの先どう生きていけばいいのか。考えないようにしていたのにも関わらず、心のどこかにずっとあった不安。それが今、消え去った。

 心からの安堵に涙がこぼれてくる。


 それから仁奈はひとしきり泣いた。


 レイナの背中をさすっていた手が離れる。


「……ごめん。もう大丈夫。ありがと」


 赤くなった目をこすりながらレイナに感謝を告げ、再び教室へと歩き始めた。


「モンスターを倒したって聞いたよ。すごいね」

「うん、まあ……」


 自分一人で倒したわけではないのだが、赤髪のおかげだと言うのも癪に障る。元はと言えばあいつのせいで戦う羽目になったのだから。

 仁奈はレイナの称賛を素直に受け止めきれずにいた。


「昨日のことと言い、やっぱり仁奈は強いんだね」


 そう褒められるのは嬉しくないわけではないが、強いと思われるのは避けたいところである。自分を戦力に加え、あてにするのはやめてほしい。


「……まあ、人間には負けない」

「でも、お兄さんには勝てないって」


 この前言っていたと指摘するレイナ。

 顔がいいくせにモテないのはこういうところだと仁奈は言いたくなるが、その言葉を飲み込む。


「ん、まあそうだけど……あれは人じゃない、バケモノだから」

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