第五話 コンビニ

「――きて」


 体が揺さぶられる。


「――な起きて」

「うぅ……」


 揺れが激しくなる。


仁奈にな起きて!」


 意識は覚醒してきたが、このまま目を閉じていたいという願望が強くある。

 只の休日であれば即座に二度寝をしていたのだが、今はそれが許されぬ状況だ。

 仁奈は自身の願望を押し殺し、ゆっくりと目を開け、身体を起こす。

 辺りはまだ暗く、被っていたひざ掛けを退けると寒さがより感じられる。


「……何?」


 普通に言ったつもりだったのだが、あちらからすれば凄まれた様に感じたのだろう。少し怯えた表情を見せる。

 自分の寝起きの悪さは知ってるし、昨日のこともある。少しぐらい怯えられるのも仕方ないのかもしれないが、それが仲のいい友人となればやはり悲しい。


「……え、えっと、赤い髪の怖そうな先輩が呼んでる」


 名前を聞いた瞬間即座にひざ掛けに再びくるまり、二度寝の態勢に入る。


「寝てるって言っといて」


 しかし、それは阻止された。


「でも呼べって言われてるから……私じゃ怖くて言えないよぉ」


 あの強面から言われたらこうなるのも仕方ないのかもしれないが、なんとも情けない。

 このまま無視すれば今度は本人が来るのだろう。それに友にも悪い。

 仁奈は仕方なしに起き上がる。

 時間を確認しようと黒板上の時計を見ると針は十時を示していた。


(忘れてた。時計止まってるんだった)


 習慣というのは一日二日では落ちないものだ。


「レイラ、今何時?」


 起きてくれて良かったと安心した様子の友人――レイラに問う。他に寝ている人もいるためできるだけ小さな声で。


「えっと、五時過ぎ」


 スマホで時間を確認したレイラは言う。

 こんな早朝に叩き起こして呼び立てるなど何事だと怒りが湧かないこともなかったが、一応昨日の夜に言われていたことだ。こんな早いとは思わなかったが。


「どこに行けばいいか聞いてる?」


 下ろしていた茶髪をゴムで一つにまとめながらレイラに聞く。


「廊下で待ってる」


 廊下側の窓には赤い髪が見えた。


「じゃあ行ってくる」


 髪を結び終えた仁奈はジャージのファスナーを上げると、そう告げて教室から出ていこうとするが、レイラからストップが掛かりその足が止まった。

 レイラは仁奈の髪を少し整え「これでおっけー」と満足げに頷く。


「さすがにぼさぼさ過ぎたから」

「そう言うレイラもぼさぼさ」


 仁奈はお返しと言わんばかりにレイラの黒色で短めの髪を整える。

 レイラからすればこんな行動はどうだっていいのだろう。ただ少しでも引き止めたいだけだ。昨日のことは、レイラにここは安全圏でないという認識を植え付けた。

 このまま呼び出しなど無視してしまおうかという考えが仁奈の中に生まれるが、その後のことを考えるとやはり無視はできない。


「大丈夫だって。すぐ戻ってくるから」


 その言葉はレイラを安心させるには至らなかったが、彼女もこんなことは無駄だとわかっている。渋々といった様子で仁奈を送り出す。


「……気を付けてね」


 仁奈はそれに親指を立てて返すと教室を出ていく。


 廊下で仁奈を待っていたのは赤髪短髪の男だ。こんな状況でも耳に付けた幾つものピアスは外していない。馬鹿なのだろうか。この高校にいるということはある程度の頭は持っている筈だが。


「覗きですか? 趣味悪いですね」


 仁奈は冷たく吐き捨てる。睡眠を邪魔された恨みと友達を怖がらせた恨みで。

 同時にこいつは馬鹿であることを確信する。昨日のことがあったのに平気で女生徒の教室の前にいる。デリカシーの圧倒的欠如。少し考えれば分かることも分からないこいつは馬鹿だ。


「遅れた奴が最初に言う言葉がそれか? それに先輩に対する態度がなってねえ。ボコすぞ」


 凄まれるがそう簡単には引けない。

 こういうタイプの人間が嫌いというのもあるが、昨日の一件があってから女生徒の代表的な立ち位置で扱われているような感じがあるためだ。


「私は昨日、来いと言われただけで行くとは言ってません。勝手に決めたのはそっちです。もし手を出すと言うのであれば、それ相応の対処はさせていただきます」


 二人が睨みあう。

 先に折れたのは男の方であった。


「……ちっ、こんなこと話しててもしょうがねえ。さっさと行くぞ」


 そう言って男は歩き出す。

 仁奈はその後ろを行く形となった。


 そして着いたのは会議室。停電用のランプにより、校内で唯一灯りが確保されているその教室には幾人かの生徒と教師が机を囲んでいる。

 そのほとんどが男性で、教師に関してちょこっと女性教師がいるといった感じだ。

 部屋に踏み込むと皆の視線が一点に集まる。

 昨日あれだけ暴れたのだから仕方ないのかもしれなが、これだけ多くの視線に晒されると少し気持ち悪くなってくる。

 仁奈は足早に空いている席に座った。


「皆さん集まったようなので、もう一度説明しますね」


 金髪の男が話し出す。

 それは教師ではなく生徒。現生徒会会長であり、今のこの学校の実質的な支配者だ。大人である筈の教師ですらその男の意見には異を唱えることはできない。

 それもその筈。この学校に残っているのは気の弱い、怯えることしかできない教師だけだからだ。

 一昨日の地震発生時、生徒は校庭に避難していた。しばらくして現れたのが皆がモンスターと呼ぶ気味の悪いバケモノ。

 そこに現れたのは一匹であったが、次々の生徒を殺していった。

 気の丈夫な教師たちは生徒を守ろうとして散っていき、ここに残ったのは我先にと校内に逃げた教師たちだ。今の学校において彼らの地位は低い。

 逆に、元々生徒から――主に二年を中心に――慕われていたとはいえ、モンスター発生からたった一日でここまでまとめ上げた金髪を中心としたグループの地位は高い。


「――というわけで、このルートを通ってコンビニまで行きます」


 金髪がホワイトボードに略図を描きながら説明している。

 学校から近いコンビニに行くだけなのであるが、ルートまでしっかりと決められている。最初に現れたモンスター以外にも外にうじゃうじゃいるのだから仕方ない。


 コンビニの食糧だけではこの学校に籠っている生徒全員の腹を満たすことは到底不可能であるが、今回の主な目的は外の安全がどのくらいか、コンビニまで行って戻って来れるか調べることにある。物資の確保は出来る限りという範囲でだ。

 ちなみに一昨日から今日までの間で生徒、教師数名が出ていったが、戻ってきた者はいない。無事家に帰れたのか、それとも地に帰ったのか。


「――説明は以上です。何か質問がある方はいますか?」


 金髪の話が終わり質問タイムに入るが、皆黙っている。

 仁奈はここで反対だと声を大きく上げたかったが昨、昨日とと同じく口うまく丸め込まれてしまう未来が見えたため止めておく。


 個人的には学校の非常用食料備蓄が無くなるギリギリまで外に出るのは控えた方がいいと思うのだが、金髪曰く、救助隊がいつ来るかもわからないこの状況で籠城するにあたって食料は必要不可欠。他の人も同じように考えているとしたら、食料の奪い合いが起きるのは明白。できるだけ早く食料を確保しなければいけない、らしい。


「それじゃあ――」


 辺りを見渡し、質問者がいないことを確認した金髪が話を終わろうとするが、それは女性の声によって阻まれる。


「あの! えっと……やっぱり仁奈ちゃんは学校にいた方がいいと、思い、ます」


 他の人の視線に当てられ、後半へいくほど弱くなっていく声。この部屋にいる仁奈以外で唯一の女子生徒のものであり、仁奈にとって聞き覚えのある声であった。

 顔を向けるとそこには見慣れた部活の先輩がいる。コンビニに行く人たちの名前の中に彼女はいなかったはずだ。二年女子の代表として話を聞きに来たのだろうか。


「先程も言いましたが、仁奈さんは貴重な戦力です。彼女も納得していますし、もう昨日のようなことは起こさせないと約束します。どうか納得していただけませんか?」

「で、でも……」


 勝手に納得したことにされているらしい。ここで行かないと声を上げてもいいのだが、多くの敵を作ってしまうのは明白。閉鎖空間であるこの学校でそれは得策ではない。

 仁奈は黙って話を聞いておく。


「でも、もしまた昨日みたいに男の人が女の子を襲うなんてことがあったら……」

「ったく、ごちゃごちゃうるせぇな。黙って言うこと聞いてればいいんだよ!」


 赤髪が机を叩き、先輩は体をビクンと震わせる。


「やめろ!」


 金髪が初めて感情を見せたような気がした。

 赤髪ヤンキーでも金髪独裁者には逆らえないようで、舌打ちをすると先輩を睨むのを止める。


「すみません。あなた方の心配もわかりますが、私たちがこれからどうするかの決定をするために必要なことなんです。わかってくれますか?」

「……わかりました。すみません」


 先輩は渋々といった様子で引き下がる。

 仁奈としては先輩に勝ってほしかったので残念だ。


 先輩がこうも反対する理由を知らぬ者はいないだろう。

 昨日、暴走した男子生徒、教師含む六人が結託し、女子生徒数名が襲われかけるという事件が起きた。幸いその場に居合わせた一人の女子生徒によって六人は顔がわからなくなるほどボコボコにされたようだが、その事件は女子生徒に恐怖を植え付けるに十分だった。外はバケモノ、中はケダモノ。先輩が女子にとっての味方であり、男六人をボコった女子生徒を学校から出したくないと言うのも当然である。


 仁奈は昨日のことを思い出し、少し後悔する。ボコボコにしたのはやり過ぎた、と。他の誰かが来るまで抑えるぐらいにしておけば戦力認定されず、今日外に駆り出されることなど無かったのだろう。

 しかし、いくら後悔したところでもう遅い。


「それでは皆さんよろしくお願いします」


 金髪が手を叩くと準備のためにぞろぞろと会議室から人が出ていく。最後に残ったのは仁奈と金髪だけだ。


「……もし、レイラに何かあったら、次はあんたですよ」


 仁奈は釘を刺しておく。

 金髪はいまいち信用できない。先程赤髪が机を叩いてからのやり取り。あれはわざとなのか。

 この男からは自分の意見を通すためならば何でもする、そのような印象を受ける。


「もちろん。ここにいる生徒は必ず守ります」


 金髪が仁奈に笑顔を向ける。

 高い鼻に白い肌、海外寄りの顔つきをした者による爽やかな笑顔。皆がイケメンだと言うのも頷ける。疑いの目をもって見れば、その笑顔は裏にあるものを隠しているようにも見えるのだが。


 仁奈が目でもう一度だけ釘を刺し、部屋から出ていこうとすると、背中に声が掛けられた。


「よろしくお願いしますね。志木野仁奈しきのになさん」



 ♢



 学校近くにある川沿いのコンビニ。部活終わりの生徒がよく利用するこのコンビニにいるのは十人の生徒と二人の教師。生徒に関しては仁奈以外、ほとんどが運動部所属の男子生徒である。一名、例外として外部で格闘技をやっているという赤髪ヤンキーがいる。


 仁奈は赤髪ヤンキーを含む数名でコンビニ裏にあったトラックの積荷を漁っていた。傍から見れば確実に積荷泥棒のこの行為だが、緊急時なので仕方ない。今はもう駐車場に残る片足と帽子しか確認できない運転手も許してくれるだろう。

 頬に当たる空気は冷たく、息は白い。日が出てはいるが、まだ朝方。寒さは十分にある。防寒着を着てこれば良かったと思ってももう遅い。


 仁奈は段ボールを一つ一つ開けて中身を確認していくが、今のところ全敗だ。使えそうなものは何一つとしてない。

 食料はコンビニ内で他の人が集めているので、他の――毛布やライト、特に非常用トイレなどがあれば大当たりなのだが、そんな都合のいいことは無い。目の前には段ボールいっぱいの古本。その前は食器で前の前は洗剤であった。期待はしていなかったが、こうも外れ続きだと気が滅入る。


「なあ、もうこれ以上はやらなくていいんじゃないか」


 段ボールを下ろす作業をしている生徒の一人が弱音を吐く。額には汗がにじみ、かなり疲れている様子であった。


「喋る暇があるなら手動かせ」


 荷台の中から赤髪の声が聞こえる。

 既に何度かあったこのやり取り。先までの例に倣えばここで会話は途切れるのだが、今回は違った。


「でもよぉ、やっぱりこんなフリマの物ばっか入ってるやつ漁っても意味ないって」

「うるせえな、何かあるかもしんねえだろ」


 でもでもと何かと理由をつけて止めようとする男子生徒。


「ちっ、さっさと終わらせてえなら、あの二人引きずってこい」


 赤髪の指が示す場所には二人の生徒がうずくまっている。来る途中、辺りに転がる死体を見た結果だ。数は片手に収まるほどではあったが、状態があまりにも酷すぎた。彼らは耐性がなかったのだろう。

 学校を出るときには威勢の良かった者達であったが、いざ外に出てみるとあの状態。移動中に吐かなかったのは不幸中の幸いであるが、着いてからはクソの役にも立っていない。足手まといになるぐらいなら初めから来るなと言いたくなる。一昨日にも生徒と教師が数名死んだのだが、見ていなかったのだろうか、それとも見ていたが金髪に扇動でもされたか。


「……わかった」


 男子生徒はうずくまっている二人の元へ駆け出す。その手には一応の武器が握りしめられていた。

 コンビニまで行くにあたって渡されたそれは、ほうきの棒の先に調理室から手に入れた包丁を固定したもの。槍のつもりなのだろうがあまりにもお粗末。包丁単体の方がまだましかもしれない。

 何匹かのモンスターは校内から見たことがあるが、この武器で到底どうにかなるとは思えない。れても一匹か二匹、そこらが限界だろう。ここに来る途中に五匹の黒い狼のようなモンスターに遭遇した時も逃げてくれたから良かったが、飛び掛かられていたらそこで終わっていただろう。自分一人であれば他を囮にして逃げれるのかもしれないが、夢見が悪くなるのは好まない。

 仁奈は今の状況やこの先のことを考えてため息をつく。


「あ? てめえもか?」


 赤髪が苛立った様子で言う。


「いえ、違いますが」

「なら静かにしてろ」


 仁奈が内心舌打ちをしながらも作業を続けていると、突然日の光が遮られる。

 何事だと上を見上げると、そこには巨大な何か。


「……なんだよあれ」

「おいおいマジか」


 各々が声を漏らす。

 赤髪も外に出てきて上を見上げていた。


 それは一言で表すならば鳥だ。ただ大きさが規格外の鳥。それが音もなく飛んでいく。

 下からの視覚情報でしか判断できないが、仁奈は頭の中でフクロウを思い浮かべる。

 いくつかのモンスターを見てきたが、空を飛ぶタイプは初めてだ。いてもおかしくはないと思ってはいたものの本当に出てくるのはやめてほしい。

 仁奈が心の中で呟いていると「ひぃっ」といった間抜けな声が聞こえる。ゲロ生徒二人のものだ。

 かなり恐怖したらしく、尻もちをついてズボンを自身の吐瀉物で汚していた。


「ったく、あいつら」


 赤髪は呆れながらその生徒らの方へと向かっていく。拳に力が入っているのを見る限り、パニックに陥っている三人を一発ぶん殴るようであった。

 その様子を見ていた仁奈だったが、あることに気付き赤髪を止める。


「ちょっと待って」

「あ”? てめ――」


 敬語でないことに赤髪が切れるがそんなこと今はどうでもいい。


「うるさい。そこもうるさい」


 他の生徒に手を向けて話を静止させ、仁奈は目を閉じると全神経を耳に集中させる。


「何か……来る」


 仁奈の呟きに緊張が走る。

 他の生徒が小声で次々と尋ねてくるが、仁奈は答えない。手で、黙ってろと示すだけだ。

 だんだんと大きくなっていく足音。

 さすがに気づいたようで、他の生徒の顔が青ざめていく。


「隠れて」


 仁奈はトラックの裏側に生徒を押し込むと陰から様子を伺う。

 ゲロにまみれた生徒二人とそれを引きずってこいと言われた生徒一人。彼らもその音に気付いたようで小さく悲鳴を上げている。一名はとっくにコンビニ内へ逃げ、ゲロ二名は逃げようとしているが、腰が抜けたようで立ち上がることはできないようだ。


 そして数秒、そいつは現れる。

 乗り捨てられた車を踏みつぶしながらゆっくりと進む巨大なトカゲに似たモンスター。口には獣が咥えられており、それから血が垂れている。

 それはピタリと止まると、ぎょろぎょろとした目を動かしこちら――正確には逃げることも出来ず必死に声を抑えるゲロにまみれた二人――を捉える。

 獣を丸呑みにするその姿は、暗に告げているようであった。次の獲物が見つかったと。


「こっち……!」


 誰かが二人を呼ぼうとするが、他の人によって口を塞がれる。出来ることなら二人を助けたいというのは皆が思うことであるが、自らの命を懸けるとなれば話は別だ。よっぽどの親友でなければその行動は起こり得ない。

 口と体を抑えられた生徒は必死に抵抗するが、多勢に無勢。結果は虚しいものに終わる。皆自分の命が大事なのだ。

 彼らのことは可哀想と思うが、死ぬと決まったわけではない。このままモンスターがどっかに行ってしまう可能性だってある。

 しかし、その可能性は薄そうであった。


「うわああぁぁ」


 モンスターの低い唸り声を聞き、二人のどちらかが我慢できず叫んだ。

 それを聞いたモンスターはひるんだ様子を見せるが、それも一瞬。ゆっくりと二人に近づいていく。


「く、来るな! こっち来るなああぁぁ!」


 その叫びがモンスターに伝わるわけもなく、それどころか逆に刺激しているだけだろう。

 仁奈はその様子を息をひそめじっと眺める。

 別に彼らの死に目を見たいわけではない。ただモンスターが彼らを喰らった後の行動を知るためだ。どこかへ行くのであればよし、この場所に滞在するのであればそれ相応の対策を考えなければいけない。最悪はこちらの存在に気付くことだ。


「助けてぇ……」


 あと数歩で彼らの死が確定する。

 逃げ遅れた獲物はただ死を待つことしかできない。涙や鼻水をべたべたと垂れ流しながら声にもならない声を上げる獲物だが、捕食者にとって獲物の都合など関係がない。


 そしてモンスターが最後の一歩を踏み出した。


「――ぅらあああぁぁ」


 聞こえたのはモンスターの咆哮でも、人間の悲鳴でもない。


 仁奈の視界に突如入ってきた一人の人物。

 横から近づいた赤い髪の彼は片方の手に持っていた槍をモンスターの首元に突き立てる。かなりお粗末なものではあるが、一応は武器。ダメージは入ったようだ。その証拠にモンスターが悲鳴を上げている。

 その隙に赤髪はもう槍をもう一本胴体に突き刺した。


 敵の存在を認識したモンスターは尾で攻撃をしようとするが、当たるどころかかすりもしない。思えばモンスターは刺されるまで赤髪の存在に気付いていなかった。よく見ると片方の目が閉じており、その周りには血の跡が見られた。


「それよこせ!」


 赤髪がこちらに向かって叫ぶ。

 モンスターは開いている方の目で赤髪を捉え、次にこちらを向いた。


(最悪……)


 仁奈は心の中で呟く。

 あの馬鹿のせいでこちらの存在に気付かれる。考えていた最悪の事態が起こってしまった。

 しかし、もうどうしようもない。


「……ぁああ”あ”、くそっ!」


 仁奈は赤髪に向かって地面に置いていた槍を一本蹴り飛ばすと自身も一本拾い上げ、モンスターの元へ向かっていく。

 先程仁奈の中に浮かんでいた三つの選択肢。逃げる、隠れる、戦う。三つ目の選択肢を取るとは思わなかった。

 隠れていれば二人の犠牲で済んだものをあの馬鹿は他を巻き込みやがった。逃げても良かったのだが、そうなればもし赤髪が生き残った時に学校での自身の立場は非常に悪くなる。それが仁奈から選択肢を奪った。

 さらに言えばモンスターの動きが鈍いものであったことも仁奈が三つ目の選択肢を選んだ理由だ。可能性はある。


 仁奈は出来るだけモンスターの死角を通るよう駆ける。その間モンスターは赤髪に夢中であり、尾さえ避けることが出来れば近づくのは簡単だった。

 そして赤髪を喰らわんと頭が下がったモンスターの下顎に槍を突き刺す。


「くっ……」


 そのまま首を切り裂こうとした仁奈だったが、モンスターが暴れたことにより刃が折れてしまう。


「てめえら! 死にたくねえなら戦え!」


 赤髪がトラックの陰に向かって怒鳴る。

 その声が彼らを動かすのか、確認している暇など仁奈にはない。激昂したモンスターが迫ってきている。

 仁奈は手汗によって滑りそうになる槍を両手でしっかりと構える。刃は折れているが使えないことは無い。初撃を躱して頭にぶち込む。簡単だ。もう限界なのかモンスターの動きは更に鈍くなっている。

 仁奈はゆっくりと息を吸った。

 そして――


「っしゃああああぁぁぁ」


 その声と共にモンスターの胴に赤髪の刃が突き刺さる。

 モンスターは死角からの攻撃に姿勢を崩し、悲鳴を上げながら倒れる。

 ピクピクと脚を震わせながら起きようとするモンスターだが、血が絶え間なく垂れ流れる体はもう限界のようで、失敗に終わる。

 仁奈は横にあるモンスターの頭を見つめ、光が消えるのを見届けると、ためていた息を吐いた。


「いい活躍だったぞ、囮さん」


 赤髪が煽るように言う。


「私が出ていかなきゃ死んでた人が何言ってるんですか?」

「ふん……うっせえ」


 赤髪は上機嫌を隠し切れないようで口角が上がっている。なんだか気持ち悪い。


 仁奈が一息ついているとトラックの陰からぞろぞろと他の生徒らが出てくる。全員安堵の表情を浮かべているが、素直に喜べないようであった。

 そんな彼らに向かって赤髪は舌打ちを一つ。そしてコンビニ内へと向かっていく。

 仁奈もそれに続いた。


 コンビニ内に入ると棚の陰に隠れていた数人から声を掛けられる。それを赤髪が怒声で遮った。


「黙ってろ。見てたならわかるだろ? 撤収だ。さっさと荷物まとめろ」

「でもよ、まださっきのモンスターみたいのが近くにいるかも……」

「ならてめえだけ残ってろや。来る途中で見ただろ? 食い荒らされてた死体。だらだらしてたらあれのせいでモンスターが寄ってくるんだよ!」


 赤髪が外にあるモンスターの死体を指で示し声を張る。

 その説明を聞いた彼らは急いで準備をし始めた。

 仁奈はその様子を見ている。言おうとしていたことは全部赤髪が言った。無駄足だった訳だ。

 ただじっとしているのもむず痒いので、何か手伝えることが無いか奥の方へ向かう。

 裏には赤髪の声が届いていなかったようで、段ボールに入っていた商品を袋に詰める作業をまだ続けている。

 仁奈が彼らを止めようとした時、後ろの方で誰かが言った。


「なあ! この扉だけ開かないんだけど!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る