「マグロを殺す。青森で」
安川某
王間で殺す
私の父はマグロに殺された。
あれは十年前の夏の出来事だった。
私は父に連れられて青森県の海上で船に揺られながらアジ釣りをしていた。
「今の時代、女の子でも釣りくらいできないと結婚できないぞ」と父に言われてしぶしぶついて行ったのだ。
私は魚のことなんて本当にどうでもよく、釣り糸を海に垂らしながら素粒子力学のハンベック現象下における物理反射の法則について考えていた。
すると目の前の海が急に黒く染まった。
それがイワシの群れで海一面が埋め尽くされているのだと気づくまで、少し時間がかかった。
海を埋め尽くす大量のイワシは海面をはね、時折銀色の腹を見せながら渦を作るようにしていた。
「見ろ!マグロだ!」
父がそう歓喜に満ちた声を上げた。
その声を聞いた私は、イワシで埋め尽くされた海面を、目を皿のようにして眺めた。
するとイワシたちの群れの下を巨大な黒い影が凄まじい速度で横切るところが見えた。それも無数に。
あれが、マグロ。
幼い私が初めてマグロと出会った瞬間だった。
「こうしちゃおれん!」
そう言った父は釣り船の船長に頼み込むと、その船にある中で最も丈夫な大物用の釣り竿を借りて、イワシを餌に海へと放り込んだ。
「見ていろよ! 今夜はマグロ丼だ。大トロ、中トロ、カマトロ食べ放題だ──」
これが父の最期の言葉だった。
海へと投げられたイワシ餌を喰らったマグロは、父を竿ごと海へと引きずり込んだ。
そしてマグロは父を八つ裂きにした。
青森県の海がその血で真っ赤に染まる様子を見て、この時私は復讐を誓ったのだ。
***
あれから十年の月日が経ち、私は今、青森県王間の沖にいる。
三日前。この王間の海、つまりは津軽海峡にマグロが再び現れたことを軌道上の衛星が探知した。
事態を重く見た青森県知事は直ちに自衛隊へ防衛出動を要請。
国会は青森県大湊に停泊する、護衛艦はまぎりを旗艦とした第十六護衛隊の出動を承認。
私たち民間のマグロハンターらもそれぞれの漁船に搭乗し、この護衛艦隊に随行する形で王間沖へやってきた。
十キロのマグロの肉を手にするためには三隻以上の軍艦による飽和攻撃が必要。
この当たり前の常識を、無邪気な父は知らなかった。
いや、日本の食卓を囲む一般人の多くはその事実を知らない。
知っているのは政府、自衛隊関係者、トランプ、および王間を始めとした漁業関係者のみ。
王間の漁業関係者からは凄腕のマグロハンターが数多く今回の戦いに赴いている。
中でも私が注目しているのは、他船に乗船する四名。彼らの異名は世界に轟いている。
”激情の孫三郎”こと酒井孫三郎、”なんでもできる”松岡陽介、”なにかと早い”伊地知修、そして”強そう”金田俊一。
いずれも日本のみならず世界で名のしれた面子。そういったそうそうたる顔ぶれが今回の討伐に集まっていた。
だが護衛艦隊にもプライドがある。
彼らからすれば戦いの素人である民間のマグロハンターに遅れをとるわけにはいかない。
そういう意気込みが「君たちは艦隊の後方で待機するように」という指示に繋がっていた。
「けっ、御国連中は俺らのことを足手まといだと思ってやがる」
船長がそうぼやく。
「それは今にわかるわ」
私は目の前に展開する護衛艦隊を眺めながらそう答えた。
時刻が正午を迎える。そのときだった。
海面が真っ黒に染まった。私はすぐに十年前のあの日を思い出す。
しかし今日目の前に現れたのは、イワシの群れではなかった。
「おい、ブリだぞ! ブリが海を埋め尽くしてやがる!」
船長が叫び声を上げる。私もその光景を見て言葉を失った。
1メートルはあろうかというブリ。その大群が水面に追い立てられている。その背で辺り一面の海が黒く見えるのだ。
何が彼らを水面に追い詰めているのか。それは決まっている。
「奴ら、成長してやがる……! あのブリを容易く喰らうほどに!」
船長の声と同時に、海面から凄まじい水しぶきをあげて何かが現れた。
それはまるで海底からそびえ立つ黒い塔──いや、マグロだった。
マグロはその巨体を海中から突き上げるようにして現すと、こちらを睨みつけたようだった。
口の中には大量のブリがまるで小魚のように踊っている。
そしてその一匹のマグロは空中を舞い、再び海中へと落下した。
落下したマグロは悠然と身体をくねらせた後、その尾を一度だけ鋭くムチのようにはねさせた。
それは例えるならば児戯。生物の頂点たるマグロにすれば戯れに過ぎない一撃が、水しぶきを起こした。
水しぶきの速度は秒速15500メートルを軽々と超えた。
先頭に展開していた護衛艦隊旗艦はまぎりはこの水しぶきの直撃を受けた。
一瞬で艦橋もろとも船上の構造物が吹き飛ばされる。はまぎりはまるでかまぼこの板のような姿に変貌した。
その様子を見た全ての人間は言葉を失った。
いくらマグロとはいえ、ここまでの強さを目にしたことはこれまでなかったからだ。
だが護衛艦隊は戦いを諦めなかった。
艦隊司令を失った彼らは、直ちにその指揮権を最新鋭のイージス艦「猪八戒」の艦長に移行させた。
猪八戒はこれまでのイージス艦の常識を覆す、超攻撃型の護衛艦である。
艦隊の盾となる一切の役割を放棄する代わりに対マグロ用兵器を満載した、”広い意味ではイージス”と謳われる新世代のイージス艦だった。
猪八戒は甲板上に設置された”コマセ爆雷”を一斉に起動させる。
コマセとは魚を集めるために使用される海老に似たプランクトンである”オキアミ”の事であり、南極産の型が良い新鮮なオキナミのみを厳選して猪八戒は搭載していた。
それの爆雷である。
いくつものコマセ爆雷が猪八戒により海中に投射されると、付近のマグロがその香りに誘惑され、餌に群がる猛獣のように一箇所に集まった。
「今だ!」
猪八戒の艦長は艦橋でそう叫んだ。
直後、甲板の格納庫からミサイルが姿を現し、一斉にコマセ爆雷の地点に向けて発射される。
RUR-5 アスロック対潜ミサイルの一斉射撃である。
アスロックは海中深くを潜航する潜水艦に有効打を与えるため、その一発で都市一つを吹き飛ばすといわれるほどの威力を持つ。
これが実に十二発同時にコマセ爆雷が寄せ集めたマグロの群れに叩き込められたのである。
まるで核攻撃でも行ったかのような爆発が起こり、凄まじい爆音と、津波のような水しぶきが起こる。この水しぶきで護衛艦「よしだ」が爆沈した。
その爆音轟く様子を全ての人々が見つめていた。
マグロは消滅した。誰もがそう思っていたに違いない。私を除いて。
マグロはその姿を海面から現した。展開する護衛艦隊の船底を突き破って。
八隻いた護衛艦隊は、一隻を残して海の藻屑へと姿を変えた。
「私たちの出番ね。船長」
「任せろ。照準を頼む」
私はスマホを取り出し、グーグルのようなでも違う何かにアクセスした。位置情報を転送するためだ。
「隕石定置網砲、発射!」
隕石定置網砲とは、地球軌道上に存在する小惑星を漁船から発射した定置網で捕らえ、それを万有引力の法則と日本が誇る京都の文化を応用した難しい原理で地球上の標的に叩き込む新たなstyleの兵器である。
とにかくそういった色々があって頭上に隕石が招来したことだけは事実だった。
私の目にマグロが消し飛ぶ姿が見える。
その隕石の衝突によって四人の凄腕マグロハンターの内、”激情の孫三郎”こと酒井孫三郎以外の三人の生命が散った。
「狂ってやがる! ここまでの奴は王間でも見たことがない。マグロごと地球を消し飛ばす気か!」
”激情の孫三郎”が激怒する。それでも私は海から目をそらせないでいた。
その時、海面に浮かぶ巨大なマグロたちの死体が揺らめいた。
それらが生きているのではないことはすぐにわかった。
生きたマグロが一匹、その姿を水中から身を現したからだ。
それはマグロと言って良いのかもはやわからない。
ときに全長3メートルにも達するというその生物をマグロというのなら、目の前のこれはいったい何か。
3メートルなど遥かに超える、この巨大な生物が私に問いかけた気がする。
小娘よ、私をマグロと呼ぶのならそうするが良い。
私は全能を司る者。すなわち人類の監視者である。
行き過ぎた人類は地球環境を破壊し──うんぬんかんぬんということを言い出したので私はその隙を逃さずに船倉に隠していた兵器を取り出した。
全自動対マグロ用手動狙撃銃”炎獄”──その氷結カスタムである。
この狙撃銃はオートマチックでありつつ都合の良い部分はボルトアクションでありながら、木属性までもアタッチできる優れ物であった。
”木”を属性として認めるべきだろうか? という議論があったが、木を認めないのは差別ということでアメリカを中心に近年認められてきた経緯がある。そういった新しい属性までもが内包されているのがこの狙撃銃のすごいところだった。
マグロは闇属性であることから、この狙撃銃による何らかの属性で壊滅的打撃を与えられるであろうことは明白であった。
「くたばれ、クロマグロ」
私はそう叫んで引き金を引いた。
狙撃銃から爆音と共に対マグロ属性弾が放たれる。凄まじいなんらかの”G”が加速し周囲の物体を巻き込む。この衝撃で護衛艦「みたらい」が爆沈した。
銃弾が一直線にマグロの腹にぶち込まれると、不思議な現象が起きた。
音が、停止したのである。
爆発音から波の音に至るまでの全ての音が、その行動を止めたのである。
しかしそんなことはどうでも良く、銃弾はマグロの腹を貫いていた。
「ぎゃあああああ」
マグロが叫び声を上げる。
この時、信じがたい出来事が起こった。
マグロの頭上、空高くの雲から光が降り注ぎ、何者かが姿を現したのだ。
それは天使のような姿をしていた。
天使はすぐに引っ込んでいった。
話をマグロに戻す。
マグロは狙撃銃の銃弾を受けると海面をのたうち回った。
効いている。私は鼓動が高鳴った。
マグロは苦しみに見を悶えさせながら、こう言った。
「ニンゲン クウ マグロ ウレシイ」
私は銃の引き金を引き続けた。心が恐怖に満たされていたからかもしれない。
ただ引き金を引き続けることでそれを誤魔化そうとしていたのかもしれない。
いや、私が撃っているのは本当にマグロなのだろうか?
マグロとマルコは似ている。マルコはイタリア人だし、ちびの女の子かもしれない。
だとすると目の前の怪物はイタリア人? でも私はローマ史の多くを知らない。共和制なのか帝政なのか、そこが重要だ。
共和制ローマ最高の金持ちであるマルクス・リキニウス・クラッススはパルティア軍に捕縛されたあと、口から溶けた金を流し込まれて処刑されたという。
私も同じ目に? 嫌だ。私は金より刺し身が良い。いや、大トロを流し込まれるだけかもしれない。だとすればそれは幸?
いや、海の幸には棘がある。ならば海の幸などクソくらえだ。富者は悪。貧者は善。サーモンだけあれば──
場面が変わって目の前に学園が広がる。それが高校時代、女子高生時代の私が見た風景だと気づく。
「た、高橋さん」
私の後ろから男子が声をかけてくる。
「なに? あなたは、松村くん」
私がそう答えると、松村くんはすごく照れくさそうに笑ってこう言ってきた。
「い、ドゥフ、いつも、帰り道一緒だよね」
「そう? そういえば、松村くんと降りる駅同じだっけ」
「いえあ、ば、ちょうの──」
「馬超って三国志の、白銀の獅子?」
「そ、そう。ドオゥフ、よく知ってるね高橋さん」
「うふふ、松村くんってば、かわいい……」
松村くんは照れくさそうに笑ったが、私は高橋ではなかった。
次は馬超孟起〜馬超孟起〜
「お嬢、しっかりしやがれ!」
船長の怒鳴り声で私は正気に戻った。
「ここは……私はいったい何を」
辺りを見回してようやく状況を理解する。
マグロによる精神攻撃。やつらの常套手段にかかるとは。
日本の年間の自殺者の内3400万人はマグロによる精神攻撃が原因といわれていることを私は忘れていた。
私はダブルピースしていた両手を元に戻すと、目の前でほくそ笑むマグロを睨んだ。
それはもはやマグロではなかった。
マグロという存在を1とすると、目の前の存在は1ではない。
if (magro != 1) {
var bacho = function(unkoDiscovery) {
return $(magro.otoro).unko().length();
};
};
このコードは大学院レベルの数学の知識と、先端ディープラーニングの経験がある者にしか理解できない。
つまり超原理的に説明するとこのようなコードが導き出されるが、だいたいはどうでも良かった。
全ての人々が絶望した瞬間、予想もしない出来事が起こった。
「あれは……!」
私は見上げたその先に一機のC-3大型輸送機が見えた。
C-3輸送機はその格納庫を重々しく開く。
するとそこに降下準備を終えた完全装備の歩兵、およそ30名の姿が見えた。
「あれは……防衛省直轄の対マグロ精鋭部隊”アカツキ”……! まさか実在していたなんて!」
その存在すらおぼろげだった精鋭部隊、アカツキ。彼らはこの平和な日本において、生まれてから成人するまでずっと”平和”からは隔離されて生きてきた人間たち。
毎日朝7時に起きて歯を磨き、17時には退社する満25歳の健康な男子でのみ形成された年齢不詳の一団……。
マグロとの戦いのためにだけ生き、全てを捧げるプロ中のプロ。そして日本の切り札。トランプさえも恐れるアグレッサー部隊であり、かつてヤキマ演習場で日米共同訓練が行われた際、”アカツキは参加していないのにいたような気がする”と米軍に言わしめた存在である。
つまりは、マグロを殺すためだけに存在する最精鋭部隊。
彼らはC-3輸送機からパラシュート降下すると、そのまま海へ着水し、海の藻屑へと消えた……。
「何しにきたの……」
私がそう油断したのが悪かった。
この一瞬の隙をついてマグロが進化したのだ。
マグロが進化したとき、属性選択画面になる。
進化すると上級属性3種を選択できる。その際属性は従来の闇属性から深淵属性と奈落属性のいずれかになる。
「2種類しか選択できないじゃない……」
「しっかりしろ! 気を確かに持てお嬢ちゃん! 現実を見ろ!」
再び精神攻撃によって辺土<リンボ>に魂が引き込まれかけていた。白目を剥いていたところを船長の一言で再び救われる。
いったいどうすれば奴に勝てる。このままじゃ父の仇なんて。
マグロが次々と周囲の漁船に襲いかかる。生き残ったマグロハンターたちが必死に抵抗を示すも、次々に海に散っていく。
「うわああああ」
”激情の孫三郎”こと酒井孫三郎がなんとなく死んだ。
船長が叫ぶ。
「このままじゃマグロが本州に上陸しちまう! 奴らが陸に上がれば、いったいどれほどの人が犠牲になるか……! 嬢ちゃん! なんとかならねえか!」
私は胸に手をあて、目を静かに閉じた。
特に意味はない。
だが、もしこの状況に活路があるのなら、”あの手”しかないと思ったのだ。
「並行世界転移誘導弾”デス・パラベラム”」
これは父が私に遺したただ一つの形見とも言える物。
撃ち込まれた対象を周囲半径五千キロメートルのあらゆる物体ごとパラレルワールドに強制転移させる魔弾。
日本を救うためにはこれしかない。
私は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出す。そしてデス・パラベラムを狙撃銃に装填する。
狙撃銃のスコープ越しに奴と目があった気がする。
ヤメロ。
奴がそう言った気がする。
「くたばれ、マグロ野郎」
お父さん、私も今、そこへ行きます。
私は銃の引き金を引いた。
***
「ママ、見て」
日本のとあるスーパーマーケットで一人のガキがそう言って何かを指差した。
「あらあ、今日はマグロが安いわねえ」
「今年はマグロが豊漁だったらしいからね」
子供が指差したマグロの切り身を見た夫婦がそう言った。
そしてマグロの切り身を手にとり、「今日はマグロ丼にしましょうか」と言って微笑みあった。
平凡で、そして幸せな日本の家庭の風景。
彼らはそのささやかな幸福の陰にあるものを知らない。
3200万人。この数字は今年に入ってからの日本国内での行方不明者数である。
その多くがマグロによる被害だということを、今は私を除いて、誰も知らない。
おわり
「マグロを殺す。青森で」 安川某 @hakubishin
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