22

「……降参こうさんする、私たちの負けだよ。……ミュート、あなたの命を返す」


 そう言ってオルダはミュートを見た。ミュートは一瞬けわしい表情を浮かべたけど、すぐに表情をゆるめ、おだやかな口調で言った。


「ありがとう、オルダ」


 それを聞いてオルダは、うつむいて、また涙を流し始めた。


「…………誰かと別れるのって、こんなに悲しかったんだね……一度、ハックを殺されたのに……友達を殺しちゃったのに……いつのにか忘れちゃってた……」


 オルダは、いたハックに顔をうずめながら、しぼり出すように嗚咽おえつらし続けた。しばらくしてオルダは泣きやみ、ハックを放すとよろよろと立ち上がった。ハックの顔はオルダの涙でびちょびちょになっていた。ハックは前足を器用に使って、身だしなみをととのえ始める。その仕草しぐさが可愛くて注目していると、ハックは前と変わらず荒っぽい口調で「見てんじゃねえよ」と言って、僕をめ付けた。


「で、あたしはどうしたらいい?」


 ミュートは、オルダを真っ直ぐ見詰めた。


「なにもしなくていい。さっきのハックと同じ、ただ私に身体をあずけてくれたら……」


 対照的たいしょうてきに、オルダはし目がちで、おどおどしていた。


 ミュートは数歩オルダに近付くと、「じゃあ、はい」と言って、両手を伸ばし肩の辺りまで上げた。オルダは、恐る恐るミュートに近付き、両手を伸ばした。だけどその腕は虚空こくうでピタリと止まり、力なく地面にれてしまう。


「い、いいの? そんな簡単に身体を差し出して、……降参はうそで、私はあなたをだましてて、……命を吸うかもしれないよ」


 ミュートを見るオルダの表情はすごくおびえていた。ミュートは僕に背を向けているからその表情は見えない。でもどんな表情をしているか分かるような気がした。

 オルダの気持ちも少し分かる。ミュートはいつだって他人に心をひらいてぶつかっていく。それがミュートの良いところだけど、それがたまに怖かったりする。横で見ている僕でさえも。

 

 ミュートは他人との距離がすごく近いんだ。あけすけで打算ださんなく相手の心に飛び込んでいく。いきなりだから相手はびっくりするし、うらがあるんじゃないかと身構みがまえる。でもまぁ、ミュートもそれで痛い目を見たり、自分で傷付いたりしてるはずだ。それでもやめないってことは多分、分かってやってるか、性格の根幹こんかんなのかもしれない。僕としては後者こうしゃのような気がする。だって人見知りのミュートなんて、ミュートじゃない気がするから。言ったら確実におこられるだろうけど、人見知りのミュートなんて、想像そうぞうすると不気味なくらいだ。

 

 ミュートは腕じゃ足りないとばかりに、両手の指までぴんと伸ばした。


「そうかもね。でもこれしかないんでしょ?」


「う、うん、まぁ、でも……」


「ほら、いいから」


 そう言ってミュートは自分からオルダに近付いていった。そして、一歩後退あとずさるオルダを捕まえて、荒っぽくき締めた。オルダは身体を硬直こうちょくさせて、ほうけた顔を浮かべた。でも、やがて、ミュートの背中に手を回して、抱き締め返し、ゆっくりとひとみを閉じた。すると2人の身体にまだら模様もようが浮かび上がった。ミュートの光はほとんど消え掛かっていて、蛍の光よりも弱々しく、まるでくすぶまきのようだった。弱々しさが薪のようなら、輝いていく様子も薪のようだった。風に火の粉を散らし、自身を燃やしながら輝き、ついには辺りを炎でらめかせるように、ミュートの身体にじわじわと光がともっていった。


「おお! なんか力があふれる気がする! 分かんないけど!」


 そうミュートがわめくと、オルダは薄目うすめけ、あやしい表情を浮かべてミュートに語り掛けた。まるで、暖炉だんろに当たりながら微睡まどろ寝言ねごとつぶやくように、うつろな口調で。


「ねぇ、こんなのはどうかな。私の寿命じゅみょうと魔法をあなたにうつすの。そしてあなたは魔法使いになる。この世で一番の長生きになって、この世で一番の力が手に入る。……その気になれば……時の彼方かなたまで生きられる、どんな願いもかなえることができる。……たとえ、人を食べなくたって、普通の人よりもずっとずっと長生きできる。

 ……そして……もしかしたら私は、普通の人間に戻れるかも、しれない。……それともそのまま死んじゃうのかなぁ……。

 どうかな、あなたにとっては悪い話じゃ、ないんじゃない。……私はわりと本気で考えてるよ。あなたなら世界をもっと良くできそうな気がする、……そのほうが、今まで食べてきた子たちも浮かばれると思うの。……ねぇ、ミュート、どうかな、魔法使いに、ならない……?」

 

 オルダのその提案ていあんに、ミュートは強い口調で返した。


「そんなの、いらない」


 薪がぜるようなかわいた声は、微睡みも夢も消し去るように、現実のかたさに満ちていた。


「あたしはくしたものを取り戻しに来ただけ。あたしに、あんたのやったことの責任を押し付けないで。あんたがやったことは、あんたが責任持ちなさい。これからどうするか、どうやって責任を取るか、それは、オルダ、あんたが決めなさい」


 そしてミュートは、強く、まるで締め付けるように、オルダをき締めた。オルダは頭をわずかにらし、少し苦しそうな息をらした。ミュートはすぐに力を緩め、頭をオルダに寄せて、おだやかな声で言った。


「……まぁ、でも、相談そうだんくらいなら乗ってあげるけど」


 残念そうなオルダの顔が、その言葉で微笑ほほえみに変わった。

 やがて2人の身体の輝きが同じくらいになり、光が消えた。オルダはミュートから身体を離し、「終わり」と小さくつぶやいた。


 僕はミュートに近付いていった。ミュートは右手を左肩に乗せ、左腕をぐるぐると回しながら、僕に笑顔を向けた。身体のきずも一緒になおったらしい。

 

 ミュートの笑顔は晴れやかだった。まるで若返ったように無邪気むじゃきで、き物が落ちたようにさっぱりしていた。そんな絶好調ぜっこうちょうなミュートに、ハックはてくてくと近付き、何をするのかと思っていると、ミュートの足にひたいり付け甘い声で鳴いた。

 

「この浮気者うわきもの


 とオルダはこおりのように冷たい声で言った。するとハックは、われに帰ったようにびくっと顔を上げた。


「……ち、ちげえ、今のは俺じゃねえ、このねこだ」


 と動揺どうようして退くハックに、ミュートは嬉しそうに問い掛けた。


「猫のたましい、消えたわけじゃないんだ?」


「……ん、ああ、まあな、魂を抜いたわけじゃねえからな。……たくよ、入り込むのに苦労したぜ。あと僅かでくたばるってのに、必死こいて生きようとしてやがったからよ。俺が乗り移りゃあ助かるってのに、なかなか身体を明け渡さねえ。今だってよ、気ぃ抜くと身体の主導権しゅどうけんにぎられちまう。早く次の身体見付けねえと、だめだ、落ち着かねえぜ」


 ミュートはハックからオルダに視線を移し、優しげに語り掛けた。


「この猫ね、親にてられてたんだよ」


「……へえ、そうなんだ。というより、知り合いだったのね、この猫ちゃんと」


「うん、偶然ぐうぜん見付けたの。死に掛けてて、でも必死に生きようとしてたよ。親に捨てられたって、そんなのお構いなしに懸命けんめいに生きようとしてた。……あんただって、ううん……オルダも一緒だよ、そんなの関係ないんだよ……親にいろいろひどいことされたみたいだけど……オルダの親がどんなに酷くても、それはオルダには関係ないよ。ほんの少しも関係ない。も、光も、ぜたら、必ず違う色になるんだから。

 ……だからさ、なんて言えばいいのかな……余計よけいなお世話だと思うけど、……親をわけに使っちゃだめだと思うんだ、みじめになったときとか、が差しちゃったときとかにね。じゃないと本当に、親みたいになる。酷いことを知ってるんだもん。知ってて、それをしちゃったら、もっと酷いってことになる。オルダはさ、そこまで酷いことをされたんだから、人の痛みが分かるはずなんだよ、誰よりも優しくなれるはずなんだよ、……自分の痛みと比べたりしないで、小さな痛みにも目を向けられるはず……。

 オルダがこれからどうやって生きていくにしても、誰かの痛みを無視むしする方がずっとつらいと思う。悲しいし、むなしいと思うよ、絶対に」


 そのミュートの言葉に、オルダは何か言葉を返そうとするけど、ただ金魚きんぎょのように口をパクパクさせるだけだった。どんなに優しく語り掛けても、優しくれても、心の傷はどうしたって痛いんだ。


 オルダは短いあいだにたくさんの表情を浮かべた。悲しい顔、親しげな顔、いじけた顔、子供みたいな顔、曖昧あいまいな顔、おこった顔、どれか2つがざり合った顔、でもそれが真剣な表情に落ち着いていった。少し視線を落として、何度かうなずきながらオルダは呟いた。

 

「……考えてみるよ。考える。必ず考える。絶対に」


 それを聞いてミュートは、この話はおしまいとばかりに、両手を上げて一つ伸びをすると、その場に腰を下ろした。


「それで、あんたらはこれからどうするの?」


「……どうって?」


 オルダもミュートと同じように腰を下ろした。ハックもオルダの隣に前足を伸ばして行儀ぎょうぎよくすわった。僕だけ立っているのも変なので、僕も腰を下ろす。


「今までみたいに人助けをして回るの?」


「うん、そのつもり。じゃないとこまる人がたくさんいるから」


「やっぱり、人を食べながら?」


 ミュートにめる意図いとはないようだったけど、オルダは少し顔を引きつらせ狼狽ろうばいした。言葉を返せないオルダにミュートは問いを重ねた。


永遠えいえんに生きたいから?」


 長い沈黙ちんもくのち、オルダは語り始めた。


「……本当は違う……ホントはただ、元の姿に戻りたいだけ……。ハックと一緒に人間に戻りたい……。戻る方法、ずっと探してるけど見付からないの……。手掛かりの一つさえ、見付けられない……。……戻る方法なんてないのかもね……。

 ハックの身体はなくなってるんだし……どこをどんなに探しても見付からなくて……魔女になった時に、多分私がみ込んじゃったんだよ、星の光と一緒に……。

 私のこの身体だって、元の部分なんて残ってないのかもしれない……数え切れないほどの人を食べて、ながらえてきたんだから……。……私の身体も、ハックの身体も跡形あとかたもなく消えてるのかもしれない……ううん、多分、消えてるんだよ、……でも、それでも、私は納得なっとくできるまで探したい、あきらめ切れるまで探したいの……た、たとえ、人の命をうばってでも……。

 人に戻りたい……もののまま死にたくない……たとえ、戻った瞬間死んでしまったとしても、……その方がいい。……私は、本当の私を取り戻したい」


「もし……」とミュートはためらいがちに切り出し、少しのあと、こう続けた。


「……ハックには言ったんだけど……その、もしも、あんたらがよければ、手伝おうか? 元に戻る方法、探すの」


「え、……どうして? うれしいけど……」


 オルダはきょとんとした顔を浮かべた。


「……私たち、あなたたちにとんでもないことしたんだよ? 寿命と身体を奪って、……そして殺そうとした……。それにもう、あなたたちの旅は終わったはず」

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