20

「勝負ありだね。お願い、ミュートの寿命じゅみょうを返して」


 僕はオルダとの間合まあいをゆっくりとめていく。オルダは口を真一文字まいちもんじに結んでいたけど、口のはしを吊り上げ、三日月みかづきのようなみを作ると、せせら笑いを上げた。

 

馬鹿ばかね、これは殺し合いよ!!」


 オルダは僕に向かって右手をかざした。うごめく指のあいだからのぞくオルダの瞳は、奇妙にゆがんで、まるで瞳だけが笑っているようだった。


「動かないで! そこまでよ!」


 僕の後ろからミュートのするどい声が上がった。オルダは腕を下ろし、まゆを寄せるとうつむいた。ミュートは僕に近付き、「おつかれ」と耳打みみうちすると僕を追い越していった。ミュートは爆弾の魔石を肩の上で構えながら、慎重しんちょうにオルダに近付いていく。僕もすぐにミュートに追い付き、一緒に歩みを進めた。


 僕たちが近付いてもオルダは座ったままで、わずかに肩をふるわせてすすり泣いていた。かみに隠れて表情は見えないけど、どんな顔をしているか分かるような気がした。それくらい悲しそうで、人間らしくて、もうこの子のことを魔女だなんて思えなかった。だから、こんなふうに泣かせているのは僕なんだと思うと、胸がいたんだ。

 僕たちを殺そうとした相手だ、ああしなきゃ僕たちは殺されていたと思う、……でも、僕たちは、この子が一番悲しむことをしたんだ、この子に取って一番大切なものをうばったんだ。


「もう勝負は付いたわ。おとなしく降参こうさんして」


「お願い、話を聞いて」


 僕たちの言葉にオルダは反応を示さず、ただ泣くばかりだった。


「ほら! 顔を上げなさい!!」


「……ミュート、そんなに強く言わなくても」


「はぁあ? なに言ってんの。この子の味方する気なの!」


「いや、違うよ、だって、泣いてるしさ……」


「は! これだから男は!」


「ちょっと待って、それは……」


「うっさい!」


「本当になかがいいのね。いちゃうわ。うらやましい」


 オルダは顔を下げたままそう言った。かわいた笑いに乗せた声は、疲れ切ったというようだった。思わず声をまらせてしまうくらい、その様子は、痛々しくて見るにえなかった。自虐的じぎゃくてきな笑い声がくぐもった笑いに変わり、オルダは低い声でつぶやき始めた。まるでよどんだ沼に夕立ゆうだちが降るように、生々しく、徐々じょじょに激しく。


「ホントさ、羨ましい。生きたいのに死にたいよ。私もぜてよ。なんで私だけ……。死にたいのに生きたいよ。一番したいことだったのに。……私を仲間外れにしないでよ……。私にも恋をさせてよ。……そうしよう、……そうだよ……みんなで愛し合えばいいんだよ、この星のみんな……全員で……。みんな仲良く。みんな仲良し。この星のすべての恋をかなえてあげる、みんなの息が止まるくらいの愛で、この世をたしてあげる。片想かたおもいも、恋煩こいわずらいも、死別しべつも、なくしちゃえばいいんだ。……この世のすべての恋を成就じょうじゅさせる、これなら誰もさみしくない、悲しくない。

 この星をつぶして、ビー玉にしてあげる。もうひとりじゃないよ、みんなで一つになって、ひとりはみんなのために、みんなはみんなのために、自分たちのためにともり続けるの。

 恋にえた真っ赤なビー玉。きっと綺麗きれいよ。理想りそうの世界、新しい世界、すばらしい世界、一つの世界。片想いの終わり、愛の始まり。一途いちずな愛を愛慕あいぼして、それが終わったらありがとうを言ってお別れしましょ。博愛はくあい永遠えいえんがキスをしたなら、可愛らしい自己愛じこあいが生まれるわ。赤ちゃん、可愛い赤ちゃん……」

 

「ちょ、ちょっと、なにわけ分かんないこと言ってんのよ……! いいからあたしたちの話を……」


 オルダはやっと顔を上げてくれた。でもミュートを見上げるその表情はうつろで、瞳はどこかよどんでいるように感じた。


「……今赤ちゃんがったわ、胸の中で。……今確かに、胸の中に赤ちゃんを感じた。心臓の中で赤ちゃんがあばれてる。早く外に出たいってかしているのね、あ、また蹴った、あ、まただ、すごい……。元気な赤ちゃん、可愛い赤ちゃん、愛しい赤ちゃん……ごめんね、早く出たいよね、待っててね……すぐに出してあげるから、また蹴った、早く大人になりたいって、言ってる、早く恋をしたいって、早く子供を産みたいって、泣いてる血の中で、早くみんなを食べたいって……そんなに泣かないで……すぐだから……すぐ外に出してあげるからね」


 オルダは両手の指を子供のようにいっぱいに広げると、地面に手の平を押し付けた。

 

「みんな潰れろ、みんなみんな、みんなみんなみんな、全部全部潰れちゃえ……!!」


 オルダは子供の駄々だだのような口調でそう言った。それと同時に、目に残像ざんぞうが残るほどの強い閃光せんこうが地面に走った。身構みがまえるけど、なにも起こらない。と、安心した瞬間、大きなれを感じた。景色がゆがむような錯覚さっかくを感じて、自分がおかしくなったのかと一瞬思う。だけど違う、地面そのものが揺れているんだ。


 あまりの揺れに立っていられなくて、僕はしゃがみ込んで地面に手を付いた。ミュートはっていたけど、尻餅しりもちいてころんでしまう。


「あんた、なにをしたのよ!?」


なにって、言ったでしょ、新しい世界にいくのよ」


 ミュートの問い掛けにオルダは可笑おかしそうに答える。


「みんなで一つになるの。みんなで一匹いっぴきほたるになろう」


 そしてオルダは笑い始めた。なにもかもをき出すような笑い方は、まるで人間じゃないみたいだ。あらしくる風見鶏かざみどりのように歯止はどめなく、なん脈絡みゃくらくつながりもなく、こわれてくるった笑い声。左にはらをよじっていたかと思えば、右によじり、惰性だせい快感かいかんおぼえ、なのにそのつか反転はんてんし、自分に可笑おかしく、嵐が愉快ゆかいで。


「 は はは はははは ははは はは ははははは! はははは はははははは! 」


 笑い声はどんどん大きくなっていき、それに合わせるように地面の揺れもひどくなっていった。


 地面にいつくばってその場にとどまるのがやっとで、僕たちは身を起こすことすらできない。僕たちは必死にオルダに呼び掛けるけど、その声は少しも届かなかった。


「……ちょっと落ち着いて!」


 というミュートの声も。


「大好き」


「話を聞いて……!」


 という僕の声も。


「愛してる」


 オルダはなにを聞いても、ただ、目をとろけさせて、ますます笑うだけだった。


 地面が悲鳴ひめいを上げて、地のそこへとしずんでいく。生きた蛍はみんな地面を飛び立ち、空をおおい隠した。黄緑色に燃える空は不気味ぶきみで、地の底のくらさを際立きわだたせた。透明とうめいでひびだらけの地面はすべてをみ込んでいく。おびただしい蛍の亡骸なきがらも、硝子の生首なまくびも、鋭利えいり破片はへんも、町のかたち面影おもかげも、なにもかもを。地面には、たくさんの大きな口が次々といていき、叫び声を上げながら、おいしい、おいしい、おかわり、おかわり、と口々くちぐちわめき合う。


「ふ ふふ ははは ハックが殺される世界なんて あは あははは ありえない ふは そんなの 潰れろ 潰れろ なにもかも みんな死んじゃえ はははは そうすれば ゆるせる 愛せる みんな死んでくれたなら 好きになれる ふ ははは はははは 潰れろ潰れろ 好きなの好きなの 死ね死ね 好き好き 死んじゃえ死んじゃえ 大好き大好き はは あはははははは ははははははははは はははははははははははははは 」


 オルダの悲鳴のような笑い声と、大地の食指しょくしわめきがみ付き合い、不協和音ふきょうわおんなのもお構いなしに無理矢理に共鳴きょうめいしていく。宝石のような柘榴ざくろの実が、くさりながら、薄汚うすぎたない沼にけていくように。火刑かけいしょされる、心優しい薬草やくそう使いの少女の叫びと、観衆かんしゅう咆哮ほうこうののしりの声が、火勢かせいと共にじり合っていくように。生きる喜びも、死への怖れも、残酷ざんこくな関心も冷たい無関心も、あふれ出す憎悪ぞうおも身をめ付けるなげきも、なにもかもが共鳴していく。


 本当に地獄じごくそのもののような光景だ。そしてそれはこの星に広がっていき、すべての命を呑み込んでしまうんだ。まさに地獄だ、星すべての命が一度にうしなわれるなんて。


 天国てんごくに行ける人もいるだろうけど、僕とミュートはどうだろう。僕たちはなにせ、地獄のとびらをノックした張本人ちょうほんにんなんだ、自分たちが助かるためとはいえ、それは間違いのない事実じじつだ。オルダはそれよりずっとつみが重い、扉をこじけたその人なのだから。こんなことをして、地獄にだって行けるか分からない。世界はそこまでうまくできてない、それで僕たちは死ぬまで苦労するんだ。罪をおかして願いを叶えるなんて出来っこないんだ。叶ったと思っても、そんなの一時いっときまぼろしでしかない。たとえ世界が一つになっても、オルダはハックに会えないんじゃないかと思う。それはオルダに取って、死んだ両親に会うなんてことがかすんで消えるくらいに、最悪さいあくの苦しみのはずだ。

 

 こんなの最低最悪の結末けつまつだ。誰もとくをしてない、全員が不幸になってしまう。なのに僕たちは身を起こすどころか、腕の一本も上げられず、世界が少しずつ地獄に落ちていくのを、ただ見ていることしかできなかった。

 

 星が潰れるなんて、そんな冗談じょうだんみたいな世界の危機ききすくったのは、これまた冗談のように、一匹の子猫こねこだった。

 

「……こりゃ責任せきにん重大じゅうだいだぜ……おいそれと死ぬこともできねえじゃねえか」

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