17

 建物のかげに身をひそめていたミュートは、勢いよくかげから飛び出した。そして、野犬やけんそのものの獰猛どうもうな目付きでオルダとハックを交互に見遣みやった。血が流れるのもお構いなしに、ミュートは両のこぶしにぎり締める。沸騰ふっとうした血液が身体中をめぐり、頭のきずひらき、左肩から次々とあふれ出る。だけれどミュートは意にもかいさない。血だらけなのは生きている証拠しょうこだとばかりに、堂々と肩をいからせ、まるで視線だけで啖呵たんかを切るように目をぎらぎらさせていた。

 

 いかりで頭が心臓のように鼓動こどうしているのが分かる。頭の中が燃えて外側からけていく感覚。しかし頭のしんしびれるくらいに冷えている。ミュートのいかりはほとんど頂点にたっしていた。オルダとハックへのいかり。自分自身へのいかり。理不尽りふじん不条理ふじょうりへのいかり。運命や偶然へのいかり。義憤ぎふんや、私的してきなわがままに、誰かへの嫉妬しっと。ほんの些細ささいな失敗に、しょうもない後悔こうかい

 

 今までのめ込んできたいかりが沸々ふつふつと込み上げる。湿気しけた火薬がよみがえ連鎖的れんさてきに火が付いていく。……しかしミュートを一番怒おこらせているのはサンデーだった。人は大昔の大きないかりよりも、直近ちょっきんの小さないかりの方が頭に来るものだ。いかりは本能の感情だ。野生やせいのぎらついた感情なんだ。だから今のいかりが一番燃える、昔のいかりになど構っていられないほどに。……そしてほかのことでもカッカしているならなおのことだ。

 

 冷たい夜風が吹いて残っていた煙幕えんまくを消し去る。気持ちのいい風もミュートのいかりをますには足りなかった。それどころか、2人の顔が鮮明せんめいに見えることで、余計よけいに感情のたがが外れていく。

 

 ミュートは浅く激しく息をしながら全身に力を込め、歯を痛めるほどみ締めた。目に見えて出血しゅっけつが増していくのに、ミュートの目はますます血走ちばしっていく。

 オルダとハックが挑発ちょうはつの言葉を並べるが、それらはすべてサンデーへのいかりに変換へんかんされていった。


 ミュートの脳裏のうりに、建物の裏でのサンデーの言葉が浮かぶ。

 

 ――オルダはそこまで速く空を飛べない、ミュートの魔石なら当てられる――

 

 ――ハックは突風とっぷう一方向いちほうこうにしか放てない――

 

 ――僕とハックのたましい競合きょうごうしたら、おそらく僕が勝つ――


 ――だって、あれは僕の身体で、僕のものなんだから――

 

 ――いくらあいつが魔法使いだろうと、僕の身体とそこまで強くむすび付いてるわけじゃないんだ――

 

 ――その証拠しょうこにハックはからっぽの身体か、死に掛けた身体にしか乗り移れない――

 

 ――……もしかしたら……――

 

「あんたら!」


 べらべらとしゃべり続けるオルダとハックに、ミュートは構わず割って入った。


「見なさい」


 そう言ってミュートは2人に腕を伸ばし、手に持つ物をしめした。そこには紫色むらさきいろ宝石ほうせきにぎられていた。


「これは避雷針ひらいしんの魔石よ。これを使ったらあんたはかみなりを使えなくなる。かみなり威力いりょくに関係なく、ほんのわずかな電気さえ避雷針ひらいしんが吸い寄せてしまうから」


 言うが早いか、ミュートは魔石を地面にたたき付けた。すると電流をびた大きな剣山けんざんのようなものが地面に出現しゅつげんした。


「あんたはこれで、かみなりは使えなくなった。電撃でんげきを飛ばすことはもちろん、……目くらましだってできない」


「……はっ、だからどうしたってんだ、てめえ自分の状況じょうきょう分かってんのか?」


「そうよ。目くらまし? そんなの私たちに必要ないわ。むしろ必要なのはあなたの方なん……」


「それともう一つ」


「あ?」「はい?」


「あたしは2つの魔石を同時に投げられる。1つのときと同じスピードで、それも正確なねらいでね。ハック! それをよく考えなさい!」


 ミュートは右手に2つの魔石を器用きようにぎり込み、突き出すようにかかげて2人にしめした。1つは真っ赤な爆弾ばくだんの魔石。そしてもう1つは、太陽たいようのように黄色い、サンデーのたましいの魔石。

 

「……もしかしたら……これでお別れかもだね。今までありがとう。バイバイミュート」、そんなサンデーの言葉が、ミュートの頭の中を何度もう。それを打ち消すように、ミュートは小さく「ふざけないで」とつぶやいた。そう口にしてサンデーへのいかりがますます込み上げる。本当になしにお別れかもしれないのに、……好きの一言ひとことも言ってくれないなんて。


 ミュートはひとりごちる。

 

「……なんであんなのを、好きになっちゃったんだろ」


 深く長いめ息をき、はいの空気をすべて出し切ると、まるでなにかにらい付くように、一瞬いっしゅんで胸いっぱいに空気を吸い込み、息をめた。そして、


 左足を踏み込み、


 右手を大きく引き、


 サンデーへの愛を込めて、


 さけびながら、


 全身を投げ出すように、


 全力の全力で魔石をぶん投げた。


「すかしてんじゃねえ! クソ野郎やろお!」


 放たれた魔石は2人に一直線いっちょくせんに飛んでいく。たましいの魔石はハックに、爆弾ばくだんの魔石はオルダに。


 ハック自身一番分かっていた、この身体はかりそめのものだと、……なにせ四六時中しろくじちゅう違和感いわかんしかないのだから。自分の身体をくした時から、今の今まで違和感いわかんさいなまれている。お前は本当は死んでいるのだと、お前は幽霊ゆうれいなのだと、乗り移る身体がさわぎ立て、片時かたときも休まずにハックにうったえ掛けていた。

 ハックのありようはそれくらい不安定だった。それも当然とうぜんだ、本来ならありないのだから。存在そんざいしないはずの、とうの昔に死んだはずのたましいなのだから。そうであるなら、身体の本来の持ち主の、そのたましいの魔石をじかち込まれたなら、一溜ひとたまりもない。

 

 ハックは自分可愛さに、せまり来る魔石に向かって、一瞬いっしゅん、腕を伸ばし掛ける。しかし、ハックの脳裏のうりにオルダの顔が浮かんだ、……もう忘れ掛けた、出会った頃の、宝石ほうせきのような笑顔が。その瞬間しゅんかん、ハックの頭の中の天秤てんびんが音を立ててかたむき、片方かたほうざらね上がった。やるべきことが、つまさきから頭の天辺てっぺんまでをめぐる。

 

 ハックはオルダに腕を伸ばし突風とっぷうを起こした。オルダの制止せいしの声もき消すほどのすさまじい突風とっぷうは、オルダをいきおいよく吹き飛ばした。あまりの風圧ふうあつに、オルダはバランスをくずして、縦横たてよこ回転かいてんしながら飛ばされていく。しかしそれによりオルダは爆発ばくはつまぬがれた。

 

 たましいの魔石はハックの胸の真ん中に直撃ちょくげきした。その瞬間しゅんかん、魔石はまばゆかがやき出した。あた一面いちめん黄金色こがねいろめられていく。魔石から電流のようなものが数本伸び、それはゆらゆらとらめいていた。それに合わせらめくあたりの光景こうけいは、黄昏時たそがれどき太陽たいようまる草原そうげんが、やわらかなそよかぜに吹かれているようだった。

 

 ハックは胸を押さえながら声にならない声を上げ、ゆっくりと地面に落ち、ひざくと、くるしそうに胸をきむしりながらうずくまった。ハックの苦悶くもんの声と魔石の光は次第に弱まっていった。魔石はほたるのように明滅めいめつを繰り返しながら、こおりのようにけていき、やがて完全に消えてしまった。ハックは頭をかかえたまま声をはっすることなく、ぴくりとも動かない。

 

「……ハック?」


 戻って来たオルダが上空じょうくうから弱々よわよわしい声で言った。


「……サンデー?」


 ミュートの声もオルダと同様どうよう弱々よわよわしく、わずかにふるえていた。

 2人の少女の切実せつじつな呼び掛けにはんし、かえる声はけたものだった。


「………………僕は、いったい……」


 その言葉を聞いた瞬間しゅんかん、オルダは力なく落下し、ひざを折って地面にすわり込んだ。両手でかろうじて身をささえ、小刻こきざみに視線しせん彷徨さまよわせ、失語症しつごしょうになってしまったように、ただ口をパクパクと開閉かいへいさせた。表情はそのままにまばたきすらせず、オルダはなみだを流し始めた。感情が理解をし、そればかりか理解のあゆみをさまたげる。こぼれるなみだが花になり、理解の足のどころをなくしていく。いくら人の理性が強くても、理性はして感情をないがしろにはできない。


 背年の浮かべる表情をみとめオルダは息をめた。ハックのものではしてない、柔和にゅうわでなよなよした表情。自分の悲しいのがこわくて、現実げんじつを理解するのがこわくて、オルダは奥歯おくばみ締めた。しかし力を込めてもみ合うことはなく、カチカチと音が鳴るばかりだった。


「……ハック、ハック……うそでしょ? ……ハックぅうう!」


 オルダは子供のように泣きじゃくり始めた。嗚咽おえつ途端とたん慟哭どうこくになり、き出るいずみのように息継いきつぎもなく、ひたすら泣き続けた。視界しかいなみだおおわれて、おぼれるように胸が痛み、意識も感情もなにもかもがしずんでいく。心の内側の奥底おくそこへ。声を掛け合いう2人も。無関心むかんしんほたるたちも。喪失そうしつも、焦燥しょうそうも。思い出も、面影おもかげも。なにもかも。そのすべてを、オルダの中の動物の心がたいらげていく、きたままおどい、丸呑まるのみにしていく。それらはオルダの中であばれ、臓腑ぞうふ脊髄せきずいはげしくった。はらわたがかえりやがて意思いしを持つ。


 オルダの頭はもうからっぽで、はらわたがオルダを動かしていた。ひとみうつ光景こうけいはどこかゆがんで薄汚うすよごれている。だけがオルダをなぐさめる。目に力を入れていないと眼球がんきゅうがでんぐりがえりそう。なみだ一向いっこうまらないのに、口のはしり上がる。こんなときにみを浮かべる、自分自身の気持ち悪さに顔面がんめんが引きつり、余計よけいみが形作かたちづくられていく。


 そして満面まんめんみになった時、オルダの心は音を立てて二つにれた。その瞬間しゅんかん、オルダははらわたがち切れるほどその身をよじらせ、ゲラゲラとわらい始めた。

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