10

 ふと自分の足音がほころんだように感じた。二重にじゅうになって聞こえる。僕はあしなんだっけ……。眠気ねむけ朦朧もうろうとし、僕はその場に立ち止まった。なのに足音は鳴りやまない。金属のこすれる音が、暗闇くらやみの奥から聞こえてくる。暗闇くらやみ次第しだいに形をて、鎧姿よろいすがたが立ち現れた。ハックだ……。僕たちの姿を認めると、ハックはすぐさまやりを構えて腰を落とした。だけどすぐにそれをき、ただ無言むごんで僕たちと対峙たいじした。ハックの視線は、ミュートに向いているような気がした。


「……その女、死んだのか」


「……え……………………ミュート? ……ねぇミュート? ねぇ……ミュート……」


 血のが引いて、思わずよろけそうになる。


「……言わんこっちゃねぇ。……だから追うなって言ったんだ。死んだらなにもかも、おしまいなんだからよ。……半分で満足まんぞくしてりゃあよ」


「……ミュート……」


 まるでほたる明滅めいめつのみたいに、ミュートの顔が浮かんでは消えていく。笑った顔、おこった顔、泣き顔に、意地悪いじわるな顔、不思議そうな顔に、おどろいた顔、……初めて笑い掛けてくれた顔が、熱ににじんで消えていく、飛び立つほたるの光のように軌道きどう残像ざんぞうだけを残して。


「……いや、それも無理な話か、結局けっきょく人間はよくには勝てねえ。人も所詮しょせんさると同じなんだからよ」


「は。さる?」


 ミュートは僕の耳元で、寒気さむけがするほどつめたい声をはっした。そして、なんだか身体も熱くなったような気がする……。


「サンデー降ろして」


「え、でも……」


「いいから。……今なんて言ったあんた。さる?」


 言われたとおりに降ろすと、ミュートはふらふらとした足取りで、そのまま頭からかべ激突げきとつし、ゆかに倒れ込んだ。


「ちょ、ミュート……大丈夫?」


さる?」


 ミュートは頭を上げ、おにのような形相ぎょうそうでハックをにらみ付けていた。でもやっぱり身体が動かないみたいで、声もへろへろだ。


「……お前、昔に、さるになんかされたのか?」


 ハックはあきれた様子で言った。


きてんなら、悪いことは言わねえ。残りの時間、2人でごせ。お前ら、確実かくじつにあいつに殺されるぜ。ああなったあいつは俺でもめられねえ。見逃みのがしてやるから、行けよ。無駄死むだじににするのは犬だけで充分さ」


「ねえ、ハック」


「……あ。な、なんだよ?」


 名前で呼ぶと、ハックは何故なぜ狼狽うろたえた声を出した。


「お願いだよ。ミュートを助けて。オルダを説得せっとくしてほしい。僕のことはいい、僕の身体はあきらめる。それにもう追ったりしないって約束する」


 ハックはオルダと違って、どこかめてる。僕たちの命をうばうのにも消極的しょうきょくてきだし、乱暴らんぼう言葉遣ことばづかいも、どこか演技えんぎじみているように感じる。なんだろう……ハックはオルダとは目的が違うんじゃないかって、……オルダのやっていることに心から賛同さんどうしていないじゃないかって、そう僕には感じられた。もしそうなら、話を聞いてくれるかもしれない。


「……なんだ、てめえ。調子ちょうしに乗んじゃねえよ。それにおめえにはプライドはねえのかよ。なにもせずに降参こうさんか? てめえの女の前でよ」


「……なんだってするよ。好きな子が死にそうなら」


「……ん、まあな」


「話し合いも、お願いも、懇願こんがんだってする」


「……まあ、確かにな。……撤回てっかいするよ。だけどな、お前の願いは聞けねえ。俺も同じ理由だからな、尚更なおさらさ」


「だけど、ミュート1人の命なら、死ぬわけじゃ……」


「ああ。だけどな、聞けねえよ。あいつも言ってたろ? 一人ひとり一人ひとりの願いを聞いてたら、おかしくなるってよ。命と心は同義どうぎだ。心は命そのものだ。それどころか俺たち人間にとっては、心の方がずっと重要だ。動物がでんぐり返ったのが人なのさ。……俺は、あいつの心を守らなきゃなんねえんだ」


「……違うよ」


 そう言ってミュートは僕たちの話にって入った。ミュートはいつのにか身体を起こして、かべにもたれてすわっていた。両足をゆかに投げ出し、ハックを見据みすえていた。


「人の命を自在じざいにするなんて、人の命をうばってながらえるなんて、そんなの神様かみさまだよ。人間のいきえてる。……人は神様かみさまになれないよ、人間の心は弱いんだから。あの子はただのけのない女の子だよ。

 そんな子にわがまま放題ほうだいさせてたら、誰のためにもならない。それにこんなこと続けてたら、いつかあの子の心はこわれちゃう。なかには人を殺すのをなんとも思わない人もいるよ。……でもあの子は違う、あんな感情かんじょうまみれの子が、いつまでもえられるわけない。そうなったらあの子は、死ぬよりもひどいことになるよ」


「……知ったくちくんじゃねえよ。お前に……」


「確かにあたしは、あんたらのことよくは知らない。余計よけいなお世話なのは分かってる。あんたらだって、いろんなことにり合い付けてやってきたんだろうし……。それに、純粋じゅんすい何百年なんびゃくねんきずなすごいと思う。でも! 好きな子が間違ったことしてたら、ビシッと言わなきゃだめだよ。それじゃ泣かせるのと変わらない」


 ハックはしばらく沈黙ちんもくし、何度なんどか言葉をみ込んだ。そして、れたような口調くちょうで語り始めた。その様子はどこかオルダにつうじるものがあった。


「……もう俺には善悪ぜんあくなんてねえんだ。道理どうり道徳どうとくもない。あるのは悪徳あくとくだけだ。俺にあるのはきたね未練みれんだけだ。俺には先のことなんざ考えられねえよ。……確かにお前の言うとおりだ。俺はあいつの未来なんか考えてねえんだな……。

 俺がきてんのは、あの手長猿てながざるのわがままといたずらをかなえるためだ。それだけが俺のざまだ、き方なんだ。俺は道化どうけ騎士きしだよ。だからよ、説教せっきょうなんざしたところで無駄むだだ、俺はただ、それを笑うだけだ。俺はもうただの幽霊ゆうれいさ、ケタケタ笑う中身のない甲冑かっちゅうだ。……そうだ、俺はもう死んでるんだった。たましいだけなんだ、まんま幽霊ゆうれいじゃねえか。人がさらにでんぐりがえった、ものだ」


「……あんただって人間だよ。自分のことをものなんて言うのは人間だけ。オバケなんてうそよ。オバケなんて幻想げんそうだよ。そんなの都合つごうのいいかくみのだよ。オバケは今まで誰1人だって殺したことないよ、だって、いないんだから。……もし、あたしたちを助ける気がないなら、……あたしたちを殺すなら……わけせずに殺しなよ。ちゃちな怪談かいだんの、ごっこあそびで殺されたんじゃ、死ぬに死ねないわ」


 ハックは少しのあと、くぐもった声で小さく笑い始めた。それが徐々じょじょに大きくなり、やがてはじけるような笑いに変わっていった。


「……いやはや、まいった。わけね……。ドギツイ命乞いのちごいだぜ、まったくよ。……こんなんでも人間だってのかよ。……そんな大層たいそうなもんじゃねえよ、人間なんかじゃねえ。……俺は犬さ、あいつの忠犬ちゅうけんだ。旦那だんなになれなかったからよ、こうして家族ごっこをしてんのさ」


「あの子も言ってたけど……。いったいなにがあったの?」


「なんてことねえ話さ。俺とあいつは許婚いいなずけだったんだ。村の連中に無理矢理むりやりくっ付けられて、……俺たちがやっとその気になった途端とたん、今度は突然とつぜん、それがご破算はさんになった。ただ、それだけの話さ。

 ……最初は思ったさ、何が悲しくて、親たちの都合つごうで決められた女と一緒いっしょになんなきゃいけねぇんだってな。それに、あのねっかえりだ、最初はそれこそ犬猿けんえんなかだったさ。……だけどな、あいつと一緒いっしょごして、いがみ合ったりするうちによ、れちまったんだ。不思議なもんさ、この一番いちばんきらいとまで思ってたってのに。……正直しょうじきかされたかと思ったぜ。……実際じっさいかされたんだろうな。さんざ、いけすかねえ女と言ったはずなのに、俺はあいつのことを心底しんそこきてえと思うようになってた。……だけど、それはかなわずじまいさ。

 ……はは……許婚いいなずけは取りやめで、お前の女はかみもとくから、きれいさっぱりあきらめろと来たもんだ。それだけじゃねえ、あいつの死ぬのをお前もいわえと来た。村のために願え、あいつのためにいのれ、お前が一番いちばんいわえとよ。『お前は高貴こうき偉大いだい案内人あんないにんだから、一番いちばんいわわなくてはならない』とそういう理屈りくつらしい。……なに案内人あんないにんだ。……はは……自分の意志いしいわえだとよ……。気色悪きしょくわるいったらねえ……無理強むりじいされた方がまだ清々すがすがしいぜ。あくまで俺に言わせようとするんだよ、ご破算はさんで願いましては……、ご破算はさんで願いましては……、その続きを……。

 ……当然とうぜん納得なっとくなんかできるわけねえ。俺はあいつを助けようと、大穴おおあなに走った。……あいつが死ぬくらいなら、森のなかででもらした方がずっといいさ。まぁ、多勢たぜい無勢ぶぜいだ、結局けっきょくすぐに取りおさえられて、首をばっさり切られちまった。よりにもよって、あいつの目の前でな。心と身体ははなばなれ。自分の身体をうしなって、気が付くと、俺は、一羽いちわのカラスになっていた。……あいつも恋のできない身体になっちまった。あいつはそれを今でも泣いてる……。……だがな……俺にはもう、そんなこと関係ないんだよ。俺は純潔じゅんけつちかったんだ。あいつの騎士きしになるってな」


 そこでハックの声色こわいろ弱々よわよわしいものに変わった。


「……あいつが死ぬより、あいつが滅茶苦茶めちゃくちゃになった方がマシだ……。……俺には無理むりだ……あいつに、あきらめて死ねなんて、言えねえ……。……どんなにただしかろうが、俺にはできねえ……。……くるってたって、あいつはあいつだ。……あいつが死にてえと言わねえかぎり、俺はあいつを守る。……知ったこっちゃねえ、世界せかいがどうなろうと。あいつがくるしもうが、こわれようが、知ったこっちゃねえ。……あいつのそばにいてえ……あいつを見ていてえ……あいつと話してえ……あいつの声を聞きてえ……それだけだ。……ほんとのところは、ただ、それだけだ……まさに、犬だな……。……ぬしを泣かせるやつには、み付く、それだけだ。……知ったことか、なにもかも……お前らのこともな。……俺は……あいつさえいれば……ほかにはなにもいらねえ……」


「でも、ホントはめたいんだよね」


 ミュートは、ハックをぐに見て言った。ミュートの声は力が戻って、ふるえはおさまっていた。いつものミュートの声だ。


「あ……?」


「本当はもとの身体に戻って、あの子をめたい。そうでしょ?」


「……なんだ、てめえ」


おこらないで。いいじゃん、こいバナしようよ。よくあるでしょ? 最後に言い残すことはないかってやつ。……それともずかしいの? 今から死ぬ相手にも話せないくらい? 威勢いせいがいいのは口だけ? あんたそんなにうぶなの?」


 ギリリと音を立てて、ハックはやりにぎめた。相当そうとうおこっているみたいだ。


「……だから、なんだ? ああ、そうさ。そりゃあな、できるもんならそうしてえさ。それがなんだってんだ」


「したいなら、すればいいのに」


「はあ?」


あきらめたの? 元に戻るのは」


「……二百年にひゃくねんさがしてだめなんだぜ。それに俺の身体はなくなってんだ……」


「それでもう完全にあきらめちゃったんだ」


さがしちゃいるさ、今だって。……なにが言いてえんだ?」


「あたしたちも手伝てつだってあげるよ」


「……は? なんだって?」


「だから、あたしたちが手伝てつだってあげるよ。あんたらの身体を元に戻す方法を、あたしたちもさがしてあげる。だからあたしたちを助けてよ」


「お前らになにができるってんだ」


「旅をして、聞いて回るよ」


「んなこたあ、俺たちだってやってるさ」


「でも、お願いはしてないんじゃない?」


「……どういう意味だ?」


「心からお願いはしてないんじゃない? だって誰も知らないじゃん。あんたらが人間に戻りたがってるなんて誰も知らない。それがなによりの証拠しょうこだよ。……多分たぶんさ、あんたらがやってるのは取引とりひきなんじゃない? ご褒美ほうびをちらつかせてね。だから誰も人にはしゃべらない、ご褒美ほうびひとめしたいから。

 そうじゃなきゃ説明せつめいが付かない。あんたらはあれだけたくさんの人を助けてるんだもん、感謝かんしゃしてる人がたくさんいるんだもん。あんたらが本気でお願いしていたら、もっと話は広まってるはずだよ。みんななんとかしてあげようって思って、絶対ぜったいほかの誰かに聞くはずだもん」


「……そんなの、どっちも同じようなもんだろうが」


「違うよ。心をさらけ出さなきゃ、誰も助けてなんかくれないよ」


「……はっ、そうすりゃ見付かるってのかよ、そうしてりゃ、見付かってたってのか……?」


「……それは分からない。でもこのには、たくさんの人がいるよ。天才てんさいや、すごい才能さいのうを持った人がごまんといる。そんな人たちが力を合わせたら、光明こうみょうが見えるかもしれない」


「……そんな奇跡きせきみてえなこと」


「でもさ、あんたらは起こるはずのない目にってそうなったわけでしょ? それもある意味では奇跡きせきだよ」


「だからってよ……人にできるかよ、そんなこと……」


「人を甘く見ない方がいいよ。人は案外あんがいすごい、良くも悪くもね。とんでもない馬鹿ばかもやるし、とんでもなくとうといこともする。大勢おおぜいで力を合わせられるから、大勢おおぜいで考えられるから。……あんたらの魔法だってさ……どこか人の意思いしを感じるよ。

 星が降って来て、それで人が力をるなんて、やっぱりありえないよ。……人の願望がんぼうそのものじゃない、空を飛んだり、時間をめたり、誰かの身体に乗りうつったり。出来過できすぎだとあたしは思う。きっと人間の仕業しわざだと思う。……人があやつれるのは、人が作ったものだけだもん」


「……適当てきとうかすな、どうにかなるだと……? ……でたらめかすな、なんとかなるだあ? ……はっ……んな戯言ざれごとしんじろってのか、くそ……出任でまかせほざきやがって……」


「確かに保障ほしょうなんかできないよ。でも、あんたらにそんがないのもホントでしょ? あんたらはその気になれば、いつでもあたしたちを殺せるんだから」


「……いいや違うね。違うな……ちげえよ、おめえらはほうって置いたら、なに仕出しでかすか分かったもんじゃねえ。はっ、信用しんようなんざできるか。とんでもねえリスクだよ」


「大丈夫、裏切うらぎったりしないから、絶対ぜったいに」


「はっ、よく言うぜ。てめえでてめえのつら見てみろよ。……悪魔あくまみてえなつらしてるぜ」


「……いいじゃん。魔女を助けるなんて、悪魔あくまにしかできないと思わない?」


そう言ってミュートはわずかにしたを出し、みを浮かべた。


「……は、ははは、悪魔あくまならよ、俺をおどらせてみろ……。人をおどらせるのが悪魔あくまってもんさ。俺が人で、おめえが悪魔あくまだってんなら、できるはずさ。俺をそそのかして、だまくらかして、その気にさせてみろよ。……悪魔あくまならできるはずさ、俺はこんなに願ってんだ。……力を見せてみな、悪魔あくま片鱗へんりんおがませてくれ。……でなけりゃ俺はしんじねえ。悪魔あくまなら俺に殺されたりなんてしねえ、そうだろ? 俺みたいな悪人あくにんいもんにすんのが悪魔あくまさ。悪魔あくま悪人あくにんに殺されるわけねえ。俺をしんじさせてえなら……」


 そこで言葉を区切くぎるとハックはやりを構えて、はっきりとした音節おんせつで、


「俺を半殺はんごろしにしてみせろ」


 と言った。

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