11

 真っ黒なよろい暗闇くらやみに溶け込み、やり穂先ほさきだけが鈍色にびいろかがやいていた。以前にされた太股ふとももうずき、足がふるえて、息が苦しくなる。心臓がうるさいくらいに鳴り響く。天使がささやき、見透みすかすような眼差まなざしを寄越よこし、からっぽの身体をはやし立て、本当は心臓なんてないことを嘲笑あざわらう。


屋内おくないだからよ、ちっとばかりてめえはたたかいやすいだろうがよ、それでもてめえにまんひとつもなんかありゃしねぇ」


 僕は痛いくらいこぶしにぎり締め、半身になって腰を落とした。


たしかにてめえは腕が立つ、だがこっちには人外じんがいの力があるんだぜ。てめえは死ぬぜ。悪魔あくまじゃなけりゃ死んじまう」


 満足に息がえない。天使が笑う。頭と視界が鼓動こどうする。天使が嘲笑あざわらう。全身がふるえて、地に足が付かない。天使がさそうように微笑ほほえむ。ふと、向こうのかべにミュートがうつっているのが目に付く。何人なんにんものミュートが、死んだようにかべにもたれて、かげしずんでいる。こぶしふるえるのを、力を込めてにぎつぶす。


「男はなにもせずにはいられないよ、たとえ死ぬかも知れなくても、好きな子がピンチなら」


なんだってするんだったか? はは、おっかねえぜ」


「……いや、話し合いができそうなら、まず説得せっとくするよ」


「あたしとしては、そこは問答無用もんどうむようなぐってほしいけど」


 笑いながらミュートは言った。


「ははは、僕は、こんなだから僕なんだ。……だけど、それでもやめないなら容赦ようしゃしない」


「やってみろ」


 僕は一旦いったん構えをき、ミュートに近付いた。


「どうした、怖気おじけいたか?」


 ハックが拍子抜ひょうしぬけしたような声を掛けて来る。ミュートもきょとんとした顔で僕を見上げている。


「……サンデー?」


「ごめんね、ミュート」


「え? どういうこと……?」


 僕はミュートのリュックに手を突っ込み、なかあさった。


「ちょ、ちょっと……?」


 爆弾ばくだんの魔石を2つ取り出し、それぞれをりょうこぶしにぎり込んだ。


「……ちょっと、サンデー、なにするつもり?」


こぶし直接ちょくせつ、あいつに、魔石を打ち込んでやる」


「なに言ってんの……。そ、そんな使い方したら、あんたも死んじゃうわよ! それにあいつの身体は、あんたの身体なのよ?」


「いいんだ。僕の命をけてでも、きみの命を取り戻す……!」


「そんなことゆるさないから! あんたなんのためにここまで来たのよ!?」


「……ごめんね、ミュート。自分のために旅を始めたけど、……いつのにか、きみの方が大事だいじになっちゃったみたいなんだ」


「……なによそれ……でも、になる必要なんか……」


「もう時間がないよ、ミュートも、僕も」


「……それに言ったはずだよ……それがいやで、あたしはきみうそいてたって」


「……はは、ずっと不思議だったよ、会ったばかりなのに……なんでこんなに好きなんだろって」


「いいからやめて、冷静れいせいになって」


「大丈夫。分かるんだ。命をけても大丈夫だって。いや、けなきゃいけないって!」


 僕はハックに向かってけ出した。


「待ってサンデー! 話を聞いて!」


ちがえてでも、きみを助ける! それが僕のざまだよ!」


からっぽ野郎やろうが言うじゃねぇか! ざまってのはつまりざまってことさ! らしてやらあ!」


 ハックは思い切りやりを振り被り、け寄る僕の足元あしもとはらいをり出した。それを飛び越え、右のストレートをはなとうとしたけど、顔面がんめん石突いしつきでかれてしまい、それはかなわない。すぐさま地面近くからの突き上げがおそう。ギリギリでかわし、距離をめようと踏み込む。ハックはそうさせまいと、石突いしつきのはらいをはげしく繰り返す。やり電流でんりゅうび、ほんの一瞬いっしゅん閃光せんこうが走り、視界しかいうばわれる。そのすきを突かれて、はらを思い切りられる。


 息がまり僕はたまらずうしろによろけた。……ダメだ、距離をけちゃ。張り付いてたたかわなくちゃ、すぐにやられてしまう……。距離をめようとするけど、りがかない。ひざゆるみがいやな音を立てる。だけどそんなのに構ってられない、無理矢理むりやりに地面をる。


 ハックは僕をむかつように、片手で短く持ったやり穂先ほさきを僕に向けた。その瞬間しゅんかんかすかな微風びふうを感じた。まずい、風で飛ばされる……! 頭が真っ白になるその最中さなか視界しかいすみなにかが動いた。ハックは逆の手を横に上げ、突風とっぷうを起こす。その瞬間しゅんかん、爆発が起こり近くの天使像てんしぞうくだった。


 ミュートだ、ミュートが加勢かせいしてくれたんだ。目を向けると、さいわいミュートは爆発に巻き込まれていなかった。すわったままだけどすぐに魔石を構えていた。身体が少しずつ動くようになっているんだ。

 僕は一気いっきにハックに近付く。やり横薙よこなぎを腕で受け、そのままふところに突っ込み、右のストレートをはなつ。だけど、たるすんでのところで、近くで爆発が起こり、僕とハックは爆風ばくふうかべまで吹き飛ばされた。


 顔を上げるとミュートと目が合った。目蓋まぶたゆがませてすごい顔で僕をにらんでいた。そのまま魔石を構えて、投げた…………僕に向かって! すぐに立ち上がり数歩け、ゆかに飛び込み身をせた。硝子がらすの割れるすさまじい音さえたたき割り、ミュートの怒号どごうひびく。


「サンデー! 本当にゆるさないから! ふざけんな!!」


 ミュートは完全に頭に血がのぼっているのか、爆弾ばくだんの魔石をこちらに滅茶苦茶めちゃくちゃに投げて寄越よこした。天使やかべが音を立ててくずれていく。


「そんなの全然ぜんぜんうれしくないよ! 今すぐ魔石をてて! じゃなきゃあんたを殺してあたしも死んでやる!」


 ハックはミュートに向かって左手をかざし、風を起こした。風で魔石がね返り、ミュートのまわりで次々着弾ちゃくだんする。でもミュートは構わずに魔石を投げ続けた。このままじゃいつミュートにたってもおかしくない。僕はハックに飛び掛かろうとする。ハックは左手の風をわざわざ止めて、右手に持ったやりを僕に向け風を起こした。


 僕は吹き飛ばされ、天使像てんしぞうたたき付けられた。天使像てんしぞう四肢ししや羽がバラバラになり、頭がころがっていった。無残むざんな天使の両手が目に入る。……ハックは魔法を一度にひとつの方向にしかはなてないんだ。それならなんとかなる、ミュートの攻撃に気を取られている今なら、魔石を打ち込める。


 ……だけど、ミュートの魔石のせいでハックに一向いっこうに近付けない。ミュートは身体に力が入るようになったのか、いつのにか立ち上がっていて、次々と魔石を投げてくる。しかも得意の2個同時投げで、僕とハックを近付けまいと僕たちの動きを完全にふうじていた。


 これじゃあらちかない。ハックも同じ考えにいたったのか、標的ひょうてきを変え、ミュートに少しずつ近付いていく。僕はいそいで回り込み、ハックの進路しんろふさがる。ミュートが魔石を投げられないように、可笑おかしな話だけど、丁度ちょうどハックをミュートからかばうように。


「ミュート、落ち着いて!」


「それはこっちのセリフじゃあ!」


 つんざくような声でミュートがさけんだ。


「おいおい、あのさるとやり合った方がいいんじゃねかあ!」


 ハックはやり牽制けんせいを繰り返しながら言った。……回り込まなきゃ近付くのは無理だ。


「ミュート! きみだけでもきてよ!」


「忘れたの! 思い出してよ! あたしたち約束したじゃない! 死ぬ時は一緒いっしょだって! 死んでからも一緒いっしょだって!」


 …………あれ……そんな約束したっけ……? まったく覚えがないんだけど……。


「いつの話?」


「……ほらぁ、砂の町で、町長さんのいえで、おばれした舞踏会ぶとうかいで……あたしのひとみをじっと見ながらぁ」


 ……ミュートはなにを言ってるんだろう……舞踏会ぶとうかい……? ……町長のいえには拉致らちされたミュートを助けに行って……ミュートの機転きてんで僕が爆弾ばくだんの魔石を投げて……。


 ………………まさか…………丁度ちょうど、ミュートの姿は僕の姿にかくれて、ハックからは見えないはずだ……多分たぶんミュートは、それを利用りようしようとしているんだ。もしそうだとしたらミュートは、僕の合図あいずの5秒後びょうごに魔石を投げるはずだ。

 やりの突きをかわしながら間合まあいをはかり、位置いち調節ちょうせつする。


「思い出したよ、ミュート、そんなこともあったね」


二兎にとう者は、なんとやらだぜ!」


 突きをけ、やりこぶし退ける。


「それでも僕はよくくよ、人間だもん。ミュートの命も、僕の身体もどっちも返してもらう。僕たちはなにがあったって一緒いっしょだよ、どうして、こんな大事だいじな気持ちを忘れていたんだろう。……思い出した、丁度ちょうど、『今!』」


 ……今から5秒だ。腕を横に広げながら、持っていた魔石を横にほうり投げて、こぶしを構える。しばしを置き、左右で同時に爆発が起こる。


「おまえなんて、僕のこぶしだけで充分だ!」


 さけぶと同時に、僕は突っ込むように間合まあいをめた。


上等じょうとうだ!」


 ハックはやりかつぎ上げ袈裟切けさぎりをり出す。僕は思い切り横に飛びそれをかわす、……それから魔石の爆発も!


 ハックの足元のすぐ近くで爆発が起こる。攻撃をり出していたハックは対応たいおうできず、爆風ばくふうをもろに受け、向こうのかべまで吹き飛ばされたたき付けられた。……その一瞬いっしゅん不可思議ふかしぎなことが起こった。ほんの一瞬いっしゅんだけど、僕の視界しかいかわわった。ミュートの姿とゆかに倒れ込む僕自身の姿を見た。


 ……やっぱりあれは僕の身体なんだ。たましいと身体が引かれ合っているんだ。ハックは、たましいの抜けた動物や死に掛けの動物にしかうつれない。いくら魔法といっても、おそらくそこまで強いむすきじゃないんだ。多分たぶん競合きょうごうしたら僕のたましいが残る。違うたましいはいむなんて、本当はありないんだから。……あの身体は、僕のたましい居場所いばしょなんだから。


 ハックはさいわい無事みたいで、よろけながらもかべささえに立ち上がろうとしていた。だけど力が入らないのか、かべにもたれたまま足をすべらせその場にくずおれた。その瞬間しゅんかん、上半身のよろいかぶとが割れ、音を立てて床にバラバラと落ちた。


 ハックは顔を上げ、するど眼光がんこうで僕をにらんだ。それなのに僕はどうしようもないなつかしさを感じて、うれしくなってしまう。んだ黒の短髪たんぱつい黒の黒目勝くろめがちなひとみ。どこにでもいる平凡へいぼんな青年……あれが僕の顔なんだ。はっきりと思い出したわけじゃない、でも不思議とかがみを見ているような錯覚さっかくを感じる。かべうつってたたず鎧姿よろいすがた他人たにんのように思えてくる。気をしっかり持っていないと、まるで自分自身が、虚像きょぞう幽霊ゆうれいになったように感じてしまう。心と身体がずれて、自分と他人たにんがずれて、実体じったい虚像きょぞうがずれて、実物じつぶつと名前がずれて、言葉と世界がずれていく。


 その一瞬いっしゅん、僕は幻覚げんかくを見た。広い世界、そして人のいとなみが早回はやまわしでっていく。風が命を運んで、命がつどって祭りが起こり、祭りの勝者はお城をて、お城もいつかすなのように夢のあと、死者の遺言ゆいごんはどこまでいこうと過去のもの、過去は虚像きょぞうさえもんで、硝子がらすもいずれ粒子りゅうしになって跡形あとかたもなく消えていく。


 人は、ただ、ものに名前を付けているんじゃない。もの役割やくわり、誰かの意思いしに名前を付けているんだ。どんなに綺麗きれいかがみでも、名前だけはうつせない。こんな身体でも、僕は僕だ。いくら命が残り少なくなっても、ミュートはミュートだ。たとえミュートが死んでしまったとしても、それは変わらない。人は成長しても、どんなに年老としおいても、死んだあとだって同じ名前なんだ。


 ボロボロになった自分の生身なまみの身体を見て、僕は初めて、自分が死んだらどうなるかということに思いをせた気がする。ミュートのことをどれだけ傷付きずつけていたのか分かって、ミュートのいかりを理解りかいできた。……ミュートが素性すじょうかくしていたわけも、気持ちも、いたいほど理解りかいできて、……ミュートの自己犠牲じこぎせいに、僕も少しいかりが込み上げるけど、おたがいさまって思って、なんだか可笑おかしくなってくる。

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