とびらの向こうには、はばの広い廊下ろうかが続いていた。その先では暗闇くらやみが、ぽっかりと、大口おおぐちけている。左右さゆう壁際かべぎわには、等間隔とうかんかく硝子がらすぞうがびっしりと置かれていた。天使てんしぞうだ。すべてとしの若い少女で、笑うでもなく、泣くでもなく、それぞれポーズを取っている。


 暗いせいか、かべにはっきりと僕たちの姿がうつっていた。それは天井てんじょうゆかも同様だった。天使てんしにすら僕たちの姿がうつり込む。合わせかがみになっているから、天使てんしたちの姿は、幾重いくえにも増えていた。おびただしい数の視線しせんが向けられる。表情ひょうじょうのないうつろな目。どこを向いても必ず天使てんしと目が合う。みんな無表情むひょうじょうだけど、それぞれ違う顔だ。丸顔まるがおの子、かみの長い子、はなの低い子、小柄こがらな子、目の大きな子。ローブを着て、背中には美しい羽がえている。誰もがひかり反射はんしゃ拒絶きょぜつして、くら廊下ろうかの奥にひかりいやっている。


 僕たちは小走こばしりで先を急いだ。ここはかくれる場所もげ込める場所もない。さっさとけてしまった方がよさそうだ。


 突然とつぜん背後はいごから物音ものおとがして、振り返った。すると、ミュートが、ゆかにうつせになってたおれていた。頭をゆかころがして、両手は足の方に投げ出されていて、ピクリとも動かない。一瞬いっしゅん、頭がしろになる。


 ミュートにけ寄りき起こす。その身体はぎょっとするほどつめたくなっていた。


「ミュート……! 大丈夫……? ミュート!」


 ミュートはなにも言わず、おどろいているように目を見開みひらいていた。すっても、声を掛けても反応はんのうがない。目をのぞき込んでも、僕に焦点しょうてんが合っていないようだった。

 しばらくしてミュートが口をひらいた。


「……なんだか身体に力が入らない……」


 無理むりに笑っているけど声はふるえて、奥歯おくばがカチカチと鳴っていた。


「……なにをされたの?」


 あの2人にかされたんだと思って、僕はあたりを見渡みわたした。でも、誰の姿もなかった。ただ、ほたるちゅうただよい、天使てんしが僕たちを見下みおろしていた。


「……違う……なにもされてない……急に力が抜けて……」


 たおれた時にはなを打ったのか、ミュートは鼻血はなぢを流していた。完全に脱力だつりょくしているのに、身体はふるえている。


さむいの……?」


「……うん……」


 ミュートは目をじ、ふかく息をいた。


「……ちょっと……! ミュート……!」


 ミュートをすると、まるで人形にんぎょうのように頭がれた。


「……ミュート、死なないでよ……! ミュート……」


「……きてるよ……あたしが死ぬわけ……ないじゃん……」


 ミュートはうすく笑ったけど、それはすぐに消えた。


「……いや……多分たぶんもうだめね……おむかえが近いみたい……天使てんしが笑ってるもん……」


「な、なに馬鹿ばかなこと……」


「……サンデー聞いて……あたしが死んだら……」


「……いやだよ……」


「……あいつに……オルダに……掛け合って……もしかしたら……サンデーだけなら助けてくれるかも……しれない……」


「……やめてよ」


「……いいから……あたしが死んだなら……オルダから命を取り戻す、必要はなくなる……敵討かたきうちなんて考えちゃ……だめ……懇願こんがんすればきっと……身体を返してくれるはず……」


「……そんなことしない」


「……こっちが本当の遺言ゆいごん……」


遺言ゆいごんなんて聞かないよ。……どちらか1人がき残るなら、それはミュートだよ、僕じゃない」


「……カッコ付けてる場合じゃない……現実げんじつを見なきゃ……あたしは満足まんぞくだから……」


満足まんぞくって……なんだよ……」


「……君のこと考えなければ……半分の命できるより……ひとりで生きるより……今の方がよかった……一緒いっしょに旅ができて楽しかった……満足まんぞくできる……後悔こうかいしてない……君には悪いとは思うけど……これが本当の気持ち……」


「……そんな……そんなの……勝手かってすぎるよ……」


 ミュートは返事を寄越よこさなかった。


「……ミュート?」


 ミュートの口元に耳を近付けると、うすいきを繰り返しいていた。どうやらねむってしまったみたいだ。僕はミュートを背負せおい上げて、廊下ろうかを進んだ。ミュートの身体はつめたくひんやりして、まるで硝子がらすにでもれているようだ。


 天使てんしたちが視線しせん寄越よこしてくる。ミュートが笑っているなんて言うから、僕まで天使てんしが笑っているように見えてしまう。そんなはずないのに、笑っているはずないのに。次々つぎつぎ微笑ほほえみ掛けてくる、まるで僕の心を軽くするように、大丈夫、心配らない、こわがらないで、大丈夫、僕はいやなのに、安心して、大丈夫、悲しくない、大丈夫、心を軽くなんてしたくないのに、不思議なことはなにもない、大丈夫、ときが流れているだけ、大丈夫、気分が悪くなってくる、視界しかいがますますくらくなる、気をたしかに、こわくないよ、大丈夫、不思議なことはひとつもない、ただ、ときが流れているだけ、大丈夫、こわくない、心配らない、受け入れられる、大丈夫、僕までさむくなってくる、気をたしかに持って、泣かないで、ただ、ときが流れているだけ、悲しいことはひとつもない、受け入れられる、ごもっとも、悲しくない、大丈夫、ごもっとも、不思議じゃない、ごもっとも、ごもっとも、ただ、ときが流れているだけ、不思議なことはひとつもない、悲しいことはひとつもない、受け入れられる、ごもっとも、ごもっとも、大丈夫、ごもっとも、ごもっとも、心配らない、こわがらないで、ごもっとも、ごもっとも、ごもっともごもっとも、人が死ぬのは当たり前、耳鳴みみなりがして、突然とつぜん眠気ねむけおそう、よるだもの当たり前、よるだものごもっとも、人が死ぬのは当たり前、ただ、ときが流れているだけ、ねむい、ねむい、ごもっとも、人が寝るのは当たり前、ただ、ときが流れているだけ、人が死ぬのは当たり前、不思議なことはひとつもない、ごもっともごもっとも、足がふらつく、ミュートのつめたいのが気にならなくなる、視界しかいがぼやける、眠気ねむけが身体をめぐり、脳天のうてんまでける、よるだものよるだもの、ねむくなるのは当たり前、ごもっとも、こわくない、2人なら、ひとりじゃないならこわくない、大丈夫、身体が重い、大丈夫、寝そべりたい、大丈夫、こわくない、人が寝るのは当たり前、こわくない、よるだもの、ねむい、受け入れられる、人が死ぬのは当たり前、ただ、ときが流れただけ、人が死んだのは当たり前、悲しくない、受け入れられる、ごもっとも、当たり前、受け入れられる、受け入れられる、悲しくない、ただ、ときが流れただけ。


 突然とつぜん、ミュートがじろぎをした。身体に力が入り、僕の身体に強くしがみ付いたから、ミュートの身体が軽くなったように感じた。


「……なんだ……サンデーか……」


「はは、ほかに誰がいるの……」


「……それもそうね……」


 それから一言ひとこと二言ふたこと、言葉をわすとミュートの身体はまた重くなった。ねむってしまったんだろう。本当に何気なにげない会話だったから、その一言ひとこと二言ふたことが頭から抜け落ちてしまう。もう思い出せない。思い出そうとすればするほど、余計よけいに遠ざかって、方向ほうこうすら分からなくなり、夢をわすれるように跡形あとかたもなく消えていく。一匹いっぴきほたるが僕たちをし、くら廊下ろうかの奥へと消えていった。

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