僕の背中には、こおりでできた矢が何本もさっていた。いて手に取ってみると、矢はこおりとは思えないくらい固くて、先端せんたんおそろしいほどするどとがっていた。


「……ごめんサンデー。油断ゆだんした」


「いや、無事ぶじでよかったよ。ミュートが受けてたらと思うと……」


「……多分たぶん、死んでたろうね……。ホント、ありがと」


「……ミュート、ごめん。矢、いてくれないかな、手がとどかない……」


 背中のなかあたりの矢が、どうやっても1人ではけなかった。ミュートはすぐに子猫こねこを地面に寝かせ、矢を引きこうとしてくれたけど、深々ふかぶかさっているのかなかなかけなかった。


「……けない。ごめんサンデー……ちょっと痛くするよ」


「……う、うん、お願い」


 ミュートはすわる僕の肩に足を掛け、矢をにぎめた。


「……5」


 カウントダウンのおそろしさに背筋せすじこおった。


「いや、すぐにお願い。なんだかさ、ぎゃくに……!」


 その瞬間しゅんかん、肩にられたような衝撃しょうげきを受け、背中にはりされたような激痛げきつうが走った。いくらなんでも突然とつぜんぎるし、乱暴らんぼうぎる……。


「……おにだ」


「え! どこ?」


 言ってミュートは矢をナイフのようにかまえ、あたふたとあたりを見渡みわたした。


「……ごめん、気のせいみたい」


「なんだ、よかった……」


 ミュートはほっとしたように息をき、続けて少し肩を落とした。


「……交渉決裂こうしょうけつれつだね。おこらせちゃった。きゅうせまぎたのかな……」


「しょうがないよ。……でも、本気で僕たちを殺す気だ」


「うん」


実力行使じつりょくこうししかない」


「そうだね、ただ死ぬわけにはいかない」


 ミュートはリュックから寝巻ねまきを取り出すと、それで子猫こねこくるみ、くずれた祭壇さいだんかげ子猫こねこをそっと寝かせた。


「……ごめんね、ここで待っててね。でも最後は一緒にいてあげられないかも……」


 ミュートはこちらを振り返り、僕の目を見た。


こう。やるしかない。ここまで来てあきらめたら、死ぬに死ねないよ」


 ミュートの声も表情ひょうじょうもいつもどおりのはずなのに、なんだかくしゃくしゃに感じた。遺言状ゆいごんじょうたしじょうと、将来しょうらい予想図よそうずを、力任ちからまかせにひとつにまるめたみたいだった。

 立ち上がって、僕もミュートの目を見た。


「うん。なにがなんでも取り戻す」


 ミュートは絶対ぜったいに死なせない、なにがなんでもオルダの首を振らせてやる……。


「……やっぱり、城かな、あいつらの根城ねじろは」


 そう言ってミュートは硝子がらすの城をにらみ付けた。


多分たぶんね、くずれてないってことは、最近てられたんだろうし」


 僕たちは広場をあとにし、小走こばしりで城を目指した。顔をかすめるほたるの光がさきをぼやけさせ、硝子がらす反射はんしゃがありもしない気配けはいを投げ掛ける。僕たちは自分たちの足音や虚像きょぞうおびえ、視線しせんをあちこちに向けなければならなかった。っていく町影まちかげは、つめたくしずかだった。残骸ざんがいうつ虚像きょぞうは死者のようにうつろで、唯一ゆいつ生命せいめい躍動やくどうも感じるほのかなほたるの光さえ、ねつのないつめたい灯火ともしびだ。あんなにたくさんいた黒猫くろねこやカラスもやみけてしまったかのように、いつのにか姿を消していた。


 まるで死の国にまよい込んだような気分だ。ここできているのは僕たちだけなんだろうか。オルダやハックはきているといえるんだろうか。あの2人だって、本当は大昔おおむかしに死んでいるはずの人間なんだ。ほかの誰かの命をぎにして、ほかの誰かの身体をわたり歩いて。もとの命はほとんどなくなって、のこっているのは意思だけだ。あの2人はかぎりなく死者に近い。


 ……でもそれを言ったら、僕やミュートの命だって風前ふうぜん灯火ともしびだ。あと何回なんかいともれるかも分からないんだ。ミュートが死ぬかもしれないなんて、信じたくない。でも、今この瞬間しゅんかんたおれたって不思議じゃないんだ……。

 僕だって、次にねむったら、もう一生いっしょう起きられないかもしれない。ここに本当の生者せいじゃは1人もいない。ぎの少女、人のがらうつったたましい、死に掛けの少女、よろいいたたましい。そして、それぞれがおになんだ。命をうばい合おうとおにごっこにきょうじてる。


 まるで光をうばい合う、わせかがみ世界せかいだ。光をうばい合ううちに、元手もとでの光が消えていく。悲しいことも助け合いのよろこびも、おたがい知っているのに、うばい合わずにはいられない。相手が泣けば悲しくなって、こっちが笑えば向こうだって微笑ほほえみ返してくれるのに。


 オルダは言ってる、光がしいならこっちのかがみたたれって。……本当にそれしかないんだろうか。正直しょうじき僕は、魔女はもっと無慈悲むじひ神様かみさまみたいな存在そんざいなんだと、思っていた。でも、実際じっさいは違った。旅の途中とちゅうで出会った人たちとなにも変わらない。ただの傷付きずついた女の子だ。ミュートとそんなに変わらない。むしろ、わがままなところなんか、そっくりで……。


 僕たちは旅をしてきて、傷付きずついた人に優しい言葉を掛けたかもしれない。でもそれだけだ、誰かを助けたわけじゃない。みんな自分の力で乗り越えて、自分の力で立ち上がっていた。僕たちがやったことといえば、ただ町の問題に無責任むせきにんに口を出して、痛い目を見ただけだ。

 結局けっきょく、僕たちは無力むりょくなにもできなかった。……そんな僕たちが自分たちのねがいをかなえて、なおかつ相手も助けたいなんて思うのは、欲張よくばりのおもがりなんだろうか。


 城の前に到着とうちゃくし、城の大きさに圧倒あっとうされる。遠くからではそこまで感じなかったけど、とんでもない大きさだ。だけど、ほり城壁じょうへきもなくて、見張みはりの兵隊へいたいもいない。はだかのお城だ。来城らいじょうも自由で、なかけてる、かたちだけの城だ。王様おうさま貴族きぞくもいない。いるとすれば2人の処刑人しょけいにんだけだ。


 僕たちは顔を見合わせ、どちらからともなくうなずき合い、大きなとびらけ、城のなかに足をれた。城のなかにもほたるが入り込んでいて、薄暗うすぐらいながらも視界しかい確保かくほできた。


 奥に進むと大きな広間に出た。そこはけになっていた。階段は暗闇くらやみに消え、天井てんじょうが見えなかった。1かいにも部屋はたくさんあるようだけど、取りあえずかいのぼり、大雑把おおざっぱに城のなか捜索そうさくすることにした。せまい部屋でせでもされたら一溜ひとたまりもない、なんてものじゃなく……ここは2人の城なんだ。

 そう思うと、かべの向こう、暗闇くらやみの奥、物陰ものかげ、そのすべてに視線しせんを感じてしまう。おそおそる階段をのぼる。足音を立てないように慎重しんちょうに足を運ぶけど、僕の足音は完全には消せない。一歩いっぽみ出すたびに、視線しせんえるように、気配けはいが近付いてくるように感じてしまう。


 かいのそれぞれには回廊かいろうがあり、たくさんのとびらが立ち並んでいた。4かいまでのぼると、もう1かいゆか暗闇くらやみしずんで消えていた。天井てんじょうはまだ見えない。いったいどこまで続いているんだろう。ほたる翅音はおともさせずにてんのぼり、暗闇くらやみの奥へ消えていく。自分の足音と心音しんおんがやけにひびく。階段をのぼり、回廊かいろうまわる。ひたすら同じ光景こうけいが続く。たくさんの透明とうめいとびらけて見える薄暗うすぐらい部屋。力尽ちからつきて落下らっかしていくほたるたち。


 やがて天井てんじょうが見えてくる。けは8かいわった。8かい回廊かいろうには大きなとびらが2つだけあった。とびら回廊かいろうはさんで、向かい合わせで見詰みつめ合っている。僕たちは近い方のとびらけた。するとわずかにかぜき込んできた。そこはバルコニーになっていて、外を見渡みわたすことができた。


 細い月に掛かった雲が、松の葉枝のように揺れている。柵に手を掛け地面を見下ろすと、硝子の町は蛍の光に沈んでいた。遠くに見える巨大な湖は、きれいな円の形に、眩く輝いて、まるで燃えるように揺らめいてる。でも、何故だろう、冷たい印象を受ける、周りの光を呑み込んでいるような。

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