「……これ、もしかして……ほたるかな」


 ほうけたような声で言うミュートの頭には、一匹いっぴきほたるまっていた。ミュートの金色きんいろかみ一定いっていのリズムでひかる。かたまって、たまをギョロっと上に向けるミュートの顔は、深海魚しんかいぎょのようだった。それに気を取られるうちに、僕たちはたくさんのほたるに取りかこまれていた。中空ちゅうくうただよい、そこらじゅうまり、あたりをまたた黄金こがねめていく。かがみなかも、星空ほしぞらすらみ込んでいく。


 あたりは優しいひかりちて、まるで昼と夜の中間ちゅうかんのような明るさだ。もし夕日が赤くならなければ、夕方はこんな光景こうけいなんじゃないかな。丁度ちょうど日中にっちゅう半分はんぶんこしたら、多分たぶんこんな明るさだ。ほたるは僕とミュートにも次々つぎつぎまり始める。まるで太陽たいよう粉々こなごなになって、地上ちじょうって来たみたいだ。


「……あのみずうみから飛んできたのかしら?」


「そうかもね。……じゃあ、あのカラスたちはほたるべてたのかな」


「……なんか、ゾッとするね。カラスだってべなきゃいけないけど……。……おかわり、おかわり……」


 ミュートは自分で言って、自分で背筋せすじふるわせた。ふと僕はミュートの肩にまるほたる違和感いわかんおぼえ、ミュートに近付いた。


「……な、なに?」


「このほたる……身体がくさってるよ……」


 ミュートは首をひねり、自分の肩に顔を向け、にさせた。


「……本当だ」


 ミュートは自分の右手を顔に近付け、そこにまっていたほたるを見て、まゆせた。


「こっちは、身体が半分はんぶんなくなってる」


 そう言ってミュートは、右手を僕の顔に伸ばした。ほたるは身体の右側みぎがわちていながら、弱々よわよわしくも、ひかり続けていた。


「……こんなになって、どうしてきていられるんだろう?」


「分かんない……。……でも多分たぶん……可哀想かわいそうに……綺麗きれいってだけでかされ続けているんだよ……」


 だけどそのほたるともるのをやめ、ミュートの右手からころがり落ち、地面の上でかたまり動かなくなってしまった。それに呼応こおうするかのようにミュートの胸のなかからあらいきれた。


「……この子も、そろそろかも……。こんなにくるしそうに……。……いっそ、殺してあげた方がいいのかな……」


「……だめだよ、ミュートがそこまですることない。……もしミュートがどうしてもそうしたいなら、僕がやるよ」


 ミュートは顔をげ、悲しそうな目で僕を見た。だけどそれがさそうような目付きに変わった。わずかにがる微笑びしょうが、僕の身体をふるわせた。……はじめてだ、僕ははじめて、ミュートのことを気持ち悪いと思った。

 ミュートのひとみから考えがけて見えるようだった。ミュートは自分のことを殺してほしいと思ってるんだ。僕は頭がしびれるくらい、頭に血がのぼった。あんまりおこぎて声も出なくて、そのうちにどうしようもなく悲しくなって、目の奥がじんわりとあつくなった。


 おこったってなんにもならない。ミュートだってこわいんだ。いつ死ぬかも分からないのがこわくてたまらないんだ。らくになりたくて仕方がないんだ。半分はんぶんの命であんなにおびえていたんだ、今はもっとこわいに決まってる。もう限界げんかいなんだ。早くらくにしてあげなくちゃいけない。じゃなきゃ、ミュートの心だってれてしまうかもしれない。

 ミュートは強気つよきな女の子だけど、それは気弱きよわな心の裏返うらがえしなんだ。僕はそんな子に、すべてをし付けて、騎士きしになるなんて決意けついまでさせていたんだ。……今度は僕のばんだ、僕がミュートの騎士きしになるばんだ。


「ミュート」


「……ご、ごめんね」


 ミュートは狼狽うろたえたように視線しせんげ、子猫こねこめた。


「……か、可哀想かわいそうだよね、まだきてるってのにさ……な、なに馬鹿ばかなこと言ってんだろ、あたし……」


「ミュートは死なせないよ」


「え?」


「僕がかならず、ミュートの命を取り戻すから」


「……そうだね、そうだよね……。……あたしは120まできられるのね」


「……そこまでは面倒めんどう見切みきれない……」


 ふるえた声だけど冗談じょうだんが言えるなら、まだミュートの心はれてない。ミュートが心をしずませるのは、ここの雰囲気ふんいきもあるんだと思う。こんなに綺麗きれい幻想的げんそうてき光景こうけいなか、死に掛けのほたるかこまれて、子猫こねこ体温たいおんけていくのを感じながら、り返し自分自身の姿を見せ付けられるなんて。天国てんごく地獄じごくが手を取り合って、ミュートを手招てまねきしてる。ミュートのかかとはすでにがって、つまさきがり掛けてる。命でたしてあげなきゃ、りょうのつまさきを離れるのは時間の問題だ。


 やがて集落しゅうらくを進むうちひらけた広場ひろばのようなところに出た。ほたるがより一層いっそう密集みっしゅうしていて、ほたるたちははっするひかりで、自分たちの姿形すがたかたちち消し合っていた。ひかりもなくなって、黄緑きみどりほのかに赤みをびていた。

 ほたるひかるのは恋をするためだ。恋を伝えて、恋にこたえて。ならこのひかりは、恋のひかりなんだ、恋のきりなんだ、恋のみずうみそこなんだ。これから死んでしまう、本当は死んでいる相手への、心中しんじゅうまがいの告白こくはく水底みなそこなんだ。


 広場ひろばに足をれると、たくさんの人影ひとかげが僕たちを出迎でむかえた。みんな広場ひろばの中央に集まって、胸の前で指をみ、祭壇さいだんのようなものに向かっていのりをささげているようだった。誰1人まばたきすらせず、透明とうめいひとみで、頭が落ちても、身体がちてもいのり続けている。透明とうめい人々ひとびとほたるひかりかされて、中身をさらされていた。なんだか僕まで、ほたるに色をかれるような気がして、一瞬いっしゅん全身にひやりとした感覚が走る。


「ね、ねぇ、サンデー……?」


 ミュートの声はやけにかわいてかすれていた。


「なに?」


「この人形にんぎょうたちさ……本物のひとなんじゃ……」


 ミュートの声を受け、僕は近くの人形にんぎょうに近付いて、目をらしてみた。

 すぐ奥で飛ぶほたるの動きに合わせて、人形にんぎょうの身体に黄緑色きみどりいろ血管けっかんが走り、頭のなかのひだはなにかをひらめいたように電気をびた。ほたるは胃へと嚥下えんげされ脇腹よこばらをすりけると、中空ちゅうくうきて、その黒い身体はひかりけて消えてしまった。


 ミュートの言うとおり、本物の人間にんげん硝子がらすに変えられているんだ。外側そとがわ精巧せいこうに作ることもできるかもしれない。だけど内側うちがわの、内臓ないぞう血管けっかんまで再現さいげんするなんて不可能ふかのうだ。

 ひとだと認識にんしきした途端とたん黄緑色きみどりいろれる眼差まなざしにわずかな生気せいきを感じた。老人ろうじん、子供、女、男、人形にんぎょうに時間が宿やどり、区別くべつまれた。まって、つめたい、すけすけのたましいが立ちあらわれた。ころがる首は女の子、見詰みつめる先には青年がいて、となりには性別せいべつも分からない下半身かはんしん、その奥には1人ぶん硝子がらす欠片はへんの山。


 僕たちは丁度ちょうど祭壇さいだんし掛かっていた。だから広場ひろばのすべての人たちの視線しせんが向いている。いのりを込めた表情ひょうじょうで、ほたるひかりに身体はしずかに躍動やくどうし、沈黙ちんもくしながら、神様かみさまいのるように、見えないものにいのるように、僕たちの中身を見透みすかすように。

 ……僕もこのひとたちと一緒いっしょだ、からっぽだから。僕のなか空洞くうどうだけど、似たようなものだ。この人たちは人形にんぎょうのように死んでいて、僕は人形にんぎょうみたいにきている。僕はふと思った、このなかに僕がいやしないかと、僕の身体がありはしないかと。


「サンデー?」


 いつのにかミュートがすぐそばにいて、僕の顔をのぞき込んでいた。


「……大丈夫?」


「うん、平気へいき。……ひとだと思うと、たまらないね。こんなふうには死にたくない」


「そうだね。土にめられた方がまだマシ。……こんなんじゃ、のこされた方だって、いつまでもわすれられないよ」


わすれなきゃいけない?」


 と僕は、頭にかんだことをそのまま口に出していた。


「……これじゃあ人形にんぎょうきることになっちゃうよ。そのひとの思い出ときなきゃいけないのに。笑い顔も、楽しかったことも上書うわがきされて消えちゃうよ、こんなのずっと見てたら。……どうしてみんな、こんなに悲しそうな顔してるんだろう」


 悲痛ひつう表情ひょうじょう苦悶くもんゆがんだ表情ひょうじょう、泣き顔。ほほつたなみださえはらえず、その時考えていたことや、感情かんじょうだって、まったままで、こんな表情ひょうじょうかためられてしまうなんて、あんまりだ。見掛けはたしかに綺麗きれいかもしれない。こんなにんだ身体で、きれいにもとかたちのままで、こんなに綺麗きれいほたるかこまれて。だけど、こんなんじゃ、あまりにも可哀想かわいそうだ。


「せめてものすくいは……」


 ミュートは、近くに立っていた2人の少女の顔を見詰みつめていた。


「……みんなで一緒いっしょけたことね」


 2人の少女はここにいる人たちのなかでも、一際ひときわいたましい表情ひょうじょうかべていた。見ていると今にもその慟哭どうこくが聞こえて来そうな気がして、なんだか胸がくるしくなる。ミュートも顔をゆがませて、けわしい目付きで2人を見詰みつめていた。2人はおそらく、ミュートと同年代どうねんだいだろう。だから尚更なおさら感情移入かんじょういにゅうしてしまうんだ。こんなのずっと見ていたら目にどくだ。


「……みずうみ人形にんぎょうたちも、ひとだったんだね」


「……そういえばそうね」


「あっちはみんな笑っていたんだっけ? それならまだいいよね、ここよりは……」


「いや……」


 ミュートは僕に向きなおると、目をうつろにさせ、ぼんやりとした表情ひょうじょうで僕を見た。


「ミュート?」


 声を掛けると、ミュートはすぐにもと表情ひょうじょうに戻った。


「……ああ、ごめんね。ただね……あんまり、気持ちのいい笑顔じゃなかったなって……」


透明とうめいだから?」


「ううん、違う。……なんて言えばいいんだろう……死んだひとにこんなこと言うのはあれだけど……すごく、気持ち悪い顔だった。それもみんな同じ表情ひょうじょうで……。言葉じゃ説明せつめいできない。……そうだな、……こーんな顔よ」


 そう言ってミュートは顔を作って見せるけど……。


「……ごめん、なにがなんだかさっぱり分かんない」


 ……僕には、お菓子かしを買ってもらってよろこぶ、男の子の表情ひょうじょうにしか見えなかった。


「さっぱりってことはないでしょ。それより、魔女はどこにいるんだろう。……やっぱりあの城かな」


多分たぶんね」


 見上みあげる硝子がらすの城は、よるやみけ込んでいた。


「……よし、なら早く行こう。ここにいるとたましいけちゃいそうよ」


同感どうかん


 僕たちは城に向かって歩き出した。

 どんなにかがみみがいても、うつし出されるのは映像えいぞうだけだ。わせかがみにしたところでえるのは自分の姿だけだ。いくら大声おおごえさけんでも声はそのままひとつだけ。かがみの国にまよい込んだって、それは同じはずだ。なのに、聞こえた、僕たち以外の足音が。


 僕とミュートは同時にうしろを振り返った。するとそこには、魔女と黒鎧がいて、僕たちをだまって見据みすえていた。

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