硝子の町 憤怒寛容

 西日にしびなにかの均衡きんこうくずれたかのように、ほのおまとって地平線ちへいせんへと落ちていく。らめく円盤えんばんはまるで、ほのおうつしたかがみのようだ。く先には、消え掛かったような山脈さんみゃくつらなっている。永遠に続くように思えた平地へいちにも、やはりわりはある。まやかしの広大こうだいさは人の心をちっぽけにする。だけど、消えたまやかしを受け入れられたなら、人の心はほんの少し大きくなる。


「ねえ、ミュート」


 ミュートはひづめの音に合わせてられながら、振り返らず、ただ少しだけ首をかたむけた。


「なに?」


「僕、ミュートに出会えてよかったよ」


「なによ、あらたまってさ」


 ミュートはカラカラと笑った。


遺言ゆいごんなんて聞かないわよ」


「いいね、遺言ゆいごん


「だから、聞かないって。でも、あたしは言っとこ」


「はは、そんな無茶苦茶むちゃくちゃな」


「……あたしが死んだら、おなかいっぱいにしてとむらって」


「…………どういうこと?」


漏斗ろうとでも口にっ込んで、おなかものを……」


「……ミュートって、たまに頭おかしいよね……やだよ、そんな、めんどくさい」


「な……めんどくさいって……。れた女の最後のねがいなのよ? たとえうそでもロマンチックに答えなさいよ」


「……難易度なんいど、高すぎない? まあいいや、それじゃあ僕が死んだら……」


「聞かない。あーあーあー。聞こえないー。あーあーあー」


 ミュートの大声おおごえかされていると思ったのか、ウマスギは急加速きゅうかそくした。するとミュートは間髪かんぱつれずにするどい声を上げた。


いた!」


「どうしたの?」


「……したんだ」


「大丈夫? ……口を大きくけるからだよ。……自業自得じごうじとく


「これが最後の晩餐ばんさんじゃまらないわね……」


「……そうだよ。また旅をして、おいしいものをべなくちゃ。……今度は、僕も一緒いっしょに」


「……そうだね。2人でべれば、おいしさも2倍だもんね」


「うん。これがわったら、おいわいもしなくちゃ」


「そんなことも言ったわね。……ホントにこんなてまで来ちゃうとは……思えば遠……」


「あ、あれ見て」


 地平線ちへいせんなにかがひかっていた。一瞬いっしゅん、正体の分からない既視感きしかんおぼえるけど、すぐに思いいたる。死者の町に到着とうちゃくした時の光景こうけいに似ているんだ。だけど、近付くにれ、記憶きおく現実げんじつはずれていく。ひかるのはただ一色いっしょく、赤だけで、方々ほうぼうから同じ目配めくばせを寄越よこしてくる。またた薄紅色うすべにいろひかりが、赤黒あかぐろひかりに変わり、地平ちへいあか一色いっしょくまっていく。町がまるごとえているような光景こうけいだ。


 けむりもなく、火花ひばならさず、すべてをかかえてはいになっていく、そんな光景こうけいが頭に浮かぶ。ひとも、建物たてものも、土も、なにもかもが、うちうちにとくずれていく。骨やはいすらえて、白色しろいろさえけ落ちて、すべてが透明とうめいになっていく。かたち記憶きおくも、ひと記憶きおくも、けて流れ出し、ねつ境界きょうかいえて、もつれ合いながら、地のそこに帰ってく。


 近付いて行くとひかりの正体が知れた。それは、ただの太陽たいようひかりだった。ある地点ちてんから通常つうじょうの地面が途切とぎれ、そこから先の一帯いったいは地面が硝子がらすになっていて、それが夕日を反射はんしゃしていたんだ。


 硝子がらすの地面にし掛かると、ウマスギはきゅうまってしまった。ミュートが指示しじをしてもすぐに引き返してしまう。……多分たぶん透明とうめいな地面がこわいんだ。

 仕方がないから、そこからは歩いていくことにした。ミュートはウマスギをつながず、そのままにしていた。


「……いいの?」


「……うん。戻って来れるかも分からないから。こんなところで餓死がしじゃ可哀想かわいそうだし。一本道いっぽんみちだから、あたしたちが戻らなくても、きっとひとりで死者の町まで戻れるよ……じゃあね、ウマスギ、ここまでありがとう」


 ウマスギは、僕たちのあとを付いて来ようとするけど、どうしてもこわいのか、こまったような鳴き声をげて、僕たちを見送った。


「……言葉がつうじたらいいのに」


 ミュートの声は、素朴そぼくな悲しさがけていた。


「そうだね」


 それから僕たちはしばらくあたりを見渡みわたしながら、だまって歩き続けた。

 地面はかなり深いところまで硝子がらすになっているようだ。そこの方にかろうじて土が見える。硝子がらすでできた木が点在てんざいしているけど、どれも風雨ふううにさらされたせいなのかえだはすべてれていた。いわも石ころもすべて透明とうめいだ。道端みちばたなにかも分からない破片はへんの山が、見てくれと言わんばかりにかがやいている。


硝子がらすの町、ね」


 ミュートはポツリと言って、ころがっていた石ころを蹴飛けとばした。


「……まるで、あのみたいだわ」


「だねえ、空でも飛んでるような気分だよ……」


 歩くうちにカラスが目に付くようになる。時折ときおり、僕たちの頭上ずじょう横切よこぎり、かげを投げ掛けた。硝子がらすの木にまるカラスが、どこが目かも分からない視線しせんをこちらに寄越よこす。不思議とここのカラスは鳴き声一ひとげなかった。ただしずかに、視線しせん気配けはいだけをほのめかした。

 だけど、先に進むと、うるさいほどのカラスの鳴き声が聞こえて来た。幾重いくえもの鳴き声はたかぶったようにうれしそうで、なんだか背中がさむくなった。なにをそんなによろこんでいるんだろう。鳴き声は次第しだいに大きくなり、それに、ばさばさという羽音はおとざり出す。それになにか水っぽい音まで聞こえ出した。


 を進めると、道の程近ほどちかあたりに、大きなみずうみが見えてきた。こうぎしかすんで見えるほど大きなみずうみには、おびただしい数のカラスが集まっていた。空をくすようにい、きそうようにわめき合っている。水辺みずべにはぐるりとカラスがまり、はげしく水面すいめんをついばんでいた。何度なんど何度なんど水面すいめんに顔をち付け、時折ときおりふとわれに帰ったように制止せいしし、笑い声にも似た声をはっした。みずうみなかの虫でもべているんだろう。

 ミュートは突然とつぜん、短い悲鳴ひめいのような声をげた。


「どうしたの?」


 僕のい掛けにミュートは、ただだまってみずうみに向かって指をした。その先をうと、こうぎしなにかのかげを見付けた。目をらすとそれは人影ひとかげに見えた。遠すぎてよく分からないけど、硝子がらす人形にんぎょうのようだった。こちらを向いて、何体なんたい水辺みずべに立っていた。


「……まるで本物のひとみたい。表情ひょうじょうまでってある」


「よく見えるね、ミュート」


「うん、目はいいから。……みんなうれしそうに笑ってる」


「……なんなんだろう。不気味ぶきみだね、カラスも笑ってるし」


「笑ってる? カラスが?」


「そう聞こえない?」


「あたしは、おかわり、おかわり言ってるように聞こえるけど」


「そうかなあ?」


 感じかたは本当にひとそれぞれだ。僕たちはそれぞれ、笑い声とおかわりの声をに受けながら、を進めた。


 夕日は地にしずみ、そののこが空をめている。硝子がらすり返しも弱まり、あたりは段々だんだん透明とうめいになっていく。道の先に巨大きょだいかげが見えてきた。その手前にはなにやら集落しゅうらくのようなものも見受みうけられた。それらも硝子がらすでできていて、薄紅色うすべにいろかがやいている。と、その時、足元になにかのかげを見付け、僕はおどろいて声をげてしまった。


「……なに、女の子みたいな声出してんのよ」


「う、うるさいなぁ……」


 足元には、なにかの残骸ざんがいが小さな山を作っていた。かがんで見るとそのかげに、黒くて小さなかげが横たわっていた。


「……子猫こねこだ」


 そこには小さな黒猫くろねこが横向きに寝ていて、目をじて、あら小刻こきざみないきいていた。ミュートは子猫こねこのそばにかがむと、そっと子猫こねこを胸にいた。子猫こねこ抵抗ていこうすることも、目をけることすらしなかった。病気びょうき怪我けがのせいなのか、子猫こねこ片耳かたみみはなくなっていた。


「……きっとおやてられたんだね。こんなにつめたくなって……」


 ミュートは子猫こねこに目を落としながら言った。


「……助かるかな」


「……無理むりだわ。こんなに弱ってちゃ……多分たぶん、もうすぐ……」


「……そっか」


「……あたしたちと同じだね。……最後は一緒いっしょにいようね」


 ミュートの声は少しこわいくらい優しげだった。ミュートは歩きながら、時折ときおりいた子猫こねこのぞき込んでは、「まだ、きてる」と僕に報告ほうこくした。それを言うときのミュートの目は、なんだか少しうつろで、ちょっぴり気味きみわるかった。やっぱりミュートは死に取りかれているんだ。ミュートはきることや、命の大切さに執着しゅうちゃくしてるんだと、最初は思っていた。それも間違いじゃない。だけどそれ以上に、自分の死や、誰かの死、死者に関心かんしんが向いているんだ。今だって、子猫こねこぎていて、ミュートのたましい子猫こねこい取られているみたいな気がして心配しんぱいになる。早く取り戻してあげなくちゃ、ミュートの命を。どんな方法を使ってでも。


 集落しゅうらくに近付くにしたがい、カラスにわり黒猫くろねこが目に付くようになった。僕たちを警戒けいかいしてか、ねこたちはみんな、僕たちの姿をみとめると身構みがまえ、するど視線しせん寄越よこした。黄色きいろひかる目が、夕方のわりを教えてくれた。空はもうむらさきから黒に変わり掛けていた。


 集落しゅうらくに着く頃には、あたりは完全にくらになった。月は糸のように細く、今にも消えりそうで、地面をらすにはたよりなく、星も空ばかりかがやかせ、地上ちじょうくらさが引き立つばかりだった。

 集落しゅうらくには、たくさんのくずれ掛けた建物たてもの密集みっしゅうしていた。建物たてものに目を向けるたび人影ひとかげを見て、視線しせんを感じた。くずれ掛けの建物たてものやひびれた地面に、僕たちの姿がうつり込む。僕やミュートの分裂ぶんれつした視線しせんれた身体に、他人たにんのようなミュートの顔。すれ違うかげに、ずれた視線しせんくらくなったせいで、透明とうめい硝子がらす世界せかい一変いっぺんし、仄暗ほのぐらかがみ世界せかいへと姿を変えた。


 遠くから見えていた大きな建造物けんぞうぶつは、どうやらお城のようだった。巨大きょだい硝子がらすの城だ。月明つきあかりをわずかにびてそびえる様子はまるで、お城の幽霊ゆうれいのようだ。

 とおり掛かった建物たてものに、優しい黄緑色きみどりいろひかりうつったような気がして、僕はあたりをうたがった。だけど、それらしきものはなく向き直ると、今度は目の前に、ひかりたまがいくつか浮いていた。

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