「待って、ミュート!」


 ミュートの姿を完全に見失みうしない、僕はやみくもに迷路めいろなかを走った。すれ違う真っ黒な人影ひとかげが、みんな魔女に見えてしまう。がむしゃらに走る僕を見て、おどろいて身を引き、こちらからは見えない視線しせんを送ってくる。僕は魔女のなにを知ってるわけじゃない。でも、魔女がこわかった。魔女に見られているようで、なにかされるんじゃないかって。それ以上にミュートになにかされたら……僕は……。


 突然とつぜん、1つのかげが僕の前に立ちはだかった。そのかげは、ほかかげとは違い、にぶ黒光くろびかりしていた。


「よお、ひさりだな」


 そこにはあの黒鎧の男が立っていた。やりを肩にかつぎ、道のなか仁王立におうだちしている。


「ごめん。きみかまってるひまないんだ」


 僕が一歩踏み出すと、黒鎧はやりかま穂先ほさきを僕に向けた。


「言ってるだろう? 魔女をうなって。手紙だって送ったはずだ。女のしりうのは楽しいだろうが、いやがるのをうってんじゃ、お門違かどちがいの勘違かんちが野郎やろうさ」


生憎あいにく、いまは違う子をさがしてるんだ。そこをどいてよ」


「もう、手遅ておくれさ」


「……え?」


今頃いまごろ、死んでるよ、あの猿女さるおんなは。中身なかみけて、さる剥製はくせいさ」


 僕は剣をかまえ、黒鎧にけ寄り、その頭目掛めがけ剣を振りおろろした。だけど、黒鎧はやりで受けることもせず、いていた手で剣をつかんで受けめた。


「んだあ、このさやは? しょげた使い方だな、剣が泣くぜ!」


 黒鎧の腕が電流でんりゅうびたかと思うと、突然とつぜん視界しかいが真っ白になるとともにすさまじい音がして、全身に激痛げきつうが走り、僕はその場にたおれ込んだ。顔を上げると、剣のさや破裂はれつ刀身とうしんあらわになっていた。


 僕はすぐに起き上がり、剣をひろう。こんなときだってのに、の剣を振るうのをためらってしまう。僕の命も、ミュートの命だってあぶないのに。だ、だけど……相手を殺しちゃうかもしれないことが、こんなにこわいなんて……。


「どうしたあ? 騎士きしなのは恰好かっこうだけかあ? お似合にあいだぜ。かざ甲冑かっちゅう剥製はくせいでよお!」


「うわあ!」


 僕はやみくもに剣を振るった。だけど、まるで手応てごたえがなく、そのすべてをやりで受け流されてしまう。そして、間合まあいが離れた瞬間しゅんかんやり電流でんりゅうび、まばゆひかった。視界しかいうばわれてすぐに、左の太股ふともも激痛げきつうが走る。その拍子ひょうしに剣を手放てばなしてしまい、あまりの痛みに立っていられず、両膝りょうひざを地面にいた。


 見ると太股ふとももやりさり、裏側うらがわまで貫通かんつうしていた。引き抜くもなく、やり電流でんりゅうとおされる。今まで感じたことのないような痛みに、意識いしきが飛び掛ける。


「このまま、てめえをかしてやるぜ。降参こうさんするなら、今のうちだあ!」


 僕は両手をみ、やりに思い切り振りろした。太股ふともも激痛げきつうが走る。でも、黒鎧はやりを取り落した。やりひろおうとする黒鎧に向かって、僕は剣をひろってほうり投げた。黒鎧がひるすきに、僕はけ寄って距離きょりめ、思い切り体当たいあたりをかました。押したおすまではいかず、まれてしまう。だけどかまわず突進とっしんして、黒鎧を本棚ほんだなたたき付けた。


 黒鎧の手に電流でんりゅうびるのを見て、僕は手を放し、続けざまに、胴体どうたいに3発、頭に6発のパンチをち込んだ。すると黒鎧は、その場にばったりとたおれ、動かなくなった。どうやら気絶きぜつしたみたいだ。


 僕は剣をひろい上げ、迷路めいろけた。ミュートの名前をさけびながら、ひたすら走る。繰り返しおとずれる分岐ぶんき。間違えたらミュートが死ぬかもしれない。だからってぐずぐずしてたらミュートが殺されるかもしれない。どちらに曲がってもまったく同じ光景こうけい。ただ同じ間隔かんかくで、薄明うすあかりが目に入る。こんなに明滅めいめつを繰り返すのに、明転めいてんも、暗転あんてんも起こらない。


 ミュートを呼ぶ声は迷路めいろまれ、反響はんきょうもなく消えていく。まるでふか谷底たにぞこ小石こいしを落としたように。一度ひとたび小石こいしを落としたら、もう取り返しが付かない。小石こいしは音もなくくだけて、谷底たにぞこ一部いちぶになって消えてしまう。そしたらなにを言ったってもう無駄むだで、谷底たにぞこはただ何食なにくわぬかおで、いつもと変わらず大口おおぐちけて笑うだけ。


 ミュートは迷路めいろみ込まれてしまった。左じゃなく、右に曲がったせいで。ミュートは迷路めいろに食べられてしまった。道を間違えてしまったせいで。ミュートは消えてしまった。目を離してしまったせいで。


 どんなに走っても、どんなにあせっても、なにも変わらない。ただ本棚ほんだな延々えんえんと続く、何事なにごともないようにしずまり返って。そんななかほんたちは無言むごんで自分の名前を見せびらかしている。少しほこらしげな伝記でんき、胸をおどらせる架空かくう冒険譚ぼうけんたんうたぐぶかそうな哲学書てつがくしょ。ずらりとならぶこのなかに、ミュートのほんがありはしないかと考えて背筋せすじふるえる。


 ミュートはずっと昔に死んでいた? ミュートはただの妄想もうそうだった? ミュートなんて最初からいなかった? こんなに呼んでもいないなら。こんなにさがしていないなら。

 思い出や想像そうぞうはいつだって、心の整理せいりが付いたあとに、音もなく消えていく。

 もしそうならミュートはたった今、消えたんじゃないの? 最初からいなかったなんて、僕が考えたから。


「ミュート……おねがいだよ、返事へんじもしてえ!」


 その時、かすかに人の声が聞こえた気がした。耳をまして、声のする方に進む。何度なんどか道を曲がると、人影ひとかげを見付けた。だけれどそのかげは、ほのかにひかっていた。


「ミュート!」


 ミュートは魔女にうしろからき付かれていた。魔女はローブをいでいて、真っ白な薄手うすでのドレス姿だった。銀にひかる長いかみが、ミュートのくびむねに掛かっている。ミュートと魔女の身体は、そこかしこが、まだらに、宝石ほうせきのようにひかっていた。

 ミュートのひかりが弱まるにれ、魔女のかがやきがしていく。多分たぶん、命をい取っているんだ……。


 魔女はミュートのほほに、ほおずりをしながら、僕をじっと見て、あやしく笑った。


「なに見てるの、エッチィ」


 ミュートは魔女からのがれようと、前に一歩踏み出そうとした。だけど魔女は、さらに力を込めて、ミュートをきすくめた。ミュートは僕に向かって、弱々よわよわしく手を伸ばした。


「……たすけて……サンデー」


「ミュートをはなせえ!」


 僕は剣をかまえ、け出した。しかしそれはすぐに、魔女の言葉でせいされた。


「おっと動かないで、サンデーくん。動いたら一気いっきっちゃうよぉ? ブドウのつぶみたいに一息ひといきに」


「くそ……」


「だるまさんがころんでいるよ。ふ、ふふ、ふ。だめだよ、動いちゃ。だけど残念ざんねんだね。もう、ほとんどっちゃった。前に半分はんぶんったけど、もうこれでこの子はしぼりカス。あと何日なんにちきられるかしら? サンデーくん、どお? これで告白こくはくするりが付いた? それともブドウのかわになんて興味きょうみないかしら?」


 魔女のうでが、さらにミュートの胴体どうたいい込んでいく。それに合わせ、ますます魔女のまだらの光度こうどしていく。


「……サ、サンデー! あたしごと、こいつをって!」


 ミュートは僕をぐに見て言った。


「ふふふふ。なーに? 気持ちよくて、おかしくなっちゃったのぉ?」


「分かった」


 ミュートがあの顔をするときは、やれってことだ。自分をしんじろって言ってる顔だ。……しんじるよミュート!

 僕は地面をって、け出した。


「ふ、ふふ、うそでしょお?」


 そう言って魔女はせせら笑いをげた。僕は、ミュートの目をじっと見て走る。もうミュートは間近まぢかだ。魔女をろうとしてるのに、僕はミュートしか見ていなかった。ミュートも僕を射抜いぬくような目で見てる。その時、ミュートは口角こうかくげ、不敵ふてきみを作った。そのくちびるはしから舌先したさきが出て、じたくちびるを横に一閃いっせんした。

 右に横薙よこなぎだ!


「……ちょっ! うそでしょっ! うわあっ!」


 僕は魔女目掛めがけて、剣を思い切り振るった。魔女はミュートをはなし、うしろにステップをんだ。ミュートはすぐさまそのせ、僕の剣劇けんげきをかわした。

 手応てごたえはなく、刃先はさきは魔女のドレスをかすめただけだったようだ。


「あ、……ぶないわね。死ぬなの?」


 ミュートはいつだって、死ぬつもりなんてない、絶対ぜったいに。

 その時、魔女の背後はいごくらがりから黒鎧が姿をあらわした。魔女をにして、くびをまわしながら腰を落とすと、槍をかまえた。


畜生ちくしょうが、油断ゆだんしたぜ」


「カラスをべる?」


 と魔女は小鳥ことりの鳴くような綺麗きれいな声で言った。


「いいや、まだ早いね」


無理矢理むりやりが好きなのね」


「ああ、そのほうがぞくぞくするからな」


「だけど、私たちはハリネズミ。おのずからはりさないの」


「おめえらがって来るのがわるいのさ」


きつねこわい、べられちゃう」


はりころもがされて、ハツカネズミにされちまう」


「ああ、こわい、ふ、ふふふ。……ハツカネズミね、……それならいいかも。次にまれる時はハツカネズミになりたいな。おいしいチーズをべながら、誰も傷付きずつけずに、たまにねこおびえて、チューチュー鳴いて、子供をたくさんんで、満足まんぞくして死んでいくの」


 今まで途切とぎれなく言葉を投げ掛け合っていたのに、黒鎧は突然とつぜん沈黙ちんもくしてしまう。すると魔女は幾分いくぶんつまらなそうな顔になった。


くよ、ハック。あぶないったらないよ。ひさりにあせかいた。帰って休むわ。……それじゃあ、お二人ふたりさん、いい余生よせいをね。バイバァイ」


「待て!」


 僕は2人のあとおうとした。だけどすぐさま黒鎧にかぜを起こされ、その場に転倒てんとうしてしまう。風がおさまると魔女と黒鎧は姿を消していた。


「くそっ!」


「サンデー聞いて」


 け出そうとする僕に、ミュートは、ひどく落ち着いた声で言った。


「もし数日すうじつで死ぬなら、あたし、きみに言わなきゃいけないことがある」


「それより魔女をわないと!」


「それよりも大事だいじなことなの」


「でも!」


「いいから聞いて!!」


 そのミュートの声は、今までで、一番いちばん切実せつじつだった。


「……ど、どうしたんだよ、いったい?」


 僕は、うつむいてすわったままのミュートの前に正座せいざをして、ミュートの顔をのぞき込んだ。ミュートは顔をげ、僕の顔を見据みすえた。


「あたしの彼氏かれしっていうのは、きみなの」


「…………え?」


「そういうわけ」


「……どういうわけ?」


「……いや、だから、そういうわけ」


「……あれかな、なにかの冗談じょうだん?」


「違うよ」


 ミュートの目はいたって真剣しんけんだ。


「だ、だけど、そんなこと、一度いちども……」


「……だまってて、ごめん」


「……でも、どうして? ……言ってくれたなら、僕は……」


「……なにから話したもんかな……」


 そう言って、ミュートは記憶きおくさぐるように視線しせんを落とすと、しずかに語り始めた。

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