グリエさんの話を聞いて、僕はなんだか、力が抜けるほど気がらくになった。僕は自分が誰なのかすら分からない。それを知りたくて旅をしてきた。でも、町をまわって、魔女に助けられた人々の話を聞くうちに、それにくらべたら、僕の命なんて軽いんじゃないかって思うようになった。


 ……だけど、それと同じくらい、ミュートと一緒に旅をして、人の命の重さを知った。ミュートは誰の命も大切にしてた。か弱い子や傷付いた人の命はもちろん、自分の命をてる人や、悪人あくにんの命さえ。そしてなにより、見ず知らずの僕の命を。


 ミュートは僕の弱い心に力をくれた。ネガティブに自分の命を軽く見る僕の天秤てんびんに、ミュートは全体重ぜんたいじゅうを掛けてくれた。自分のかたしめして。

 そしてグリエさんは、天秤てんびんの最後のかせを外してくれた。世界中せかいじゅうしあわせと、魔女の絶対性ぜったいせいを。


 僕はもうしたを向かなくていいんだ。自分の命をあきらめなくていいんだ。たとえ、自分が誰なのか分からなくても。僕は自分に素直すなおになっていいんだ。僕はミュートの期待きたいこたえられるんだ。


「私に話せるのはこれくらいよ」


 グリエさんは表情をゆるめると、一ついきった。


「……ここにあつまる資料しりょう伝承でんしょうは、すべてが一般いっぱん流通りゅうつうしているものよ。だから今の話はすべて、それらから私が推測すいそくした話にぎない。それだけはおぼえていてね。実際じっさいのところ、過去を正確せいかくに知るなんてことできないの。時間に濾過ろかされた情報じょうほうは、あなだらけの思惑おもわくだらけで、原形げんけいなんてほとんどなくなっているんだから。想像そうぞうめぐらせれば、どんな解釈かいしゃくだってできる。それはとても楽しいことだけど、ときに人をすれ違わせたりする。

 過去を鵜呑うのみにしてはだめよ。自分の目で見たことだけが、あなたたちにとっての真実しんじつなんだから。……ほんばかり読んでる私が言っても、説得力せっとくりょくないけれどね」


 グリエさんはぎこちなく笑って、くくるように背筋せすじを伸ばした。


「ありがとうございます。本当に……」


「あ、そうだ。サンデーくん、いい?」


 僕のおれいの言葉をさえぎり、グリエさんは言った。


「はい?」


「自分はがらだなんて気障きざなセリフは、あのってから言いなさい」


「え? ……僕、そんなこと言いましたっけ……?」


「言ってないけど言ってるの。女の子を泣かせてはだめよ」


「泣かせる?」


「人は心で泣けるのよ。女の子はね、自分が傷付くよりも、好きな子が傷付くことの方が痛く感じるの。たとえ、好きな子が自分で傷付けていてもね」


「……いや、僕たちそういう関係かんけいじゃあ……」


「あら、そうなの? それでもだめよ。女の子の母性本能ぼせいほんのうに、悪戯いたずらしちゃいけないのよ? ね、ミュートちゃん?」


「ええ、ヘンタイですよ、こいつは」


「……」


 僕が絶望ぜつぼうしていると、先ほどグリエさんが声を掛けていた書生しょせいの子がもどってきた。そのうしろにはちっちゃな子が付いて来ていた。その子は胸に大きなバケットをかかえていて、そこには山盛やまもりのポップコーンが入っていた。


たわね、メイメイ。どうも、ありがとね」


 グリエさんがおれいを言うと、書生しょせいの子は「おやす御用ごようです」と言ってすぐに立ちった。

 グリエさんはちっちゃな子のうしろにまわり、その子の肩に手を乗せた。


「この子はメイメイよ。帰りはこの子に案内あんないさせるわ。ほら、あいさつして」


「メイメイです。好きなものはこれです」


 メイメイちゃんはバケットをしめすようにわずかにかたむけた。するとポップコーンがこぼれた。それも結構けっこう大量たいりょうに……。メイメイちゃんはそれをひろってべようとする。だけどすかさず、グリエさんの待ったが掛かった。


「こら、べちゃだめでしょ」


「えー? もったいないんだけど……」


「じゃあ、こぼすんじゃないの」


 グリエさんはしゃがみ込むと、らばったポップコーンをひろあつめた。ひらにこんもりで今にもこぼれそうだ。


心配しんぱいしないでね? メイメイはここの迷路めいろ完全攻略かんぜんこうりゃくしてるのよ。そんなのいいから勉強しなさいっていつも言っているんだけどね……。じゃあ、メイメイ、あとはよろしくね」


「うす!」


 メイメイちゃんは元気な声を上げると、気合きあいを入れるためなのか、口いっぱいにポップコーンを頬張ほおばった。


 僕たちが別れと感謝かんしゃを伝えると、グリエさんは「無事ぶじ解決かいけつできたら、魔女のことをおしえに来てちょうだい」と言い残し、ポップコーンをこぼさないようにと、まるでおばあさんのようなへっぴりごしで、ヨタヨタと迷路めいろの奥に消えていった。


 僕たちはメイメイちゃんと、あらためてあいさつと自己紹介じこしょうかいわした。するとメイメイちゃんは僕を見上げて、「おにいちゃん、すごい格好かっこうだね」と言い、キャッキャッと楽しそうに笑った。


「すごい人気にんきね」


 とミュートは鼻をふくらませながら言った。


「……う、うるさいなぁ」


「じゃあ、ゴーゴー!」


 メイメイちゃんは大声おおごえで言うと、行進こうしんを始めた。完全攻略かんぜんこうりゃくしてるというだけあって、メイメイちゃんはよどみなく迷路めいろを進んでいく。


「おちかづきのしるしに、どーぞ!」


 と言ってメイメイちゃんは、僕にバケットをき付けた。歩きながらだから、今にもこぼれそうだ……。


「ごめんね、僕、今はべられないんだよ。でも、ありがとね」


「えー? べたらいいじゃん。べられるときにべないと、いつかこまるよー? べたいだけべたらいいんだよー」


「はは、この子とはが合いそう」


 そう言ってミュートは、メイメイちゃんの肩に両手りょうてを乗せた。


「そー? おねえちゃん、いけるくちー?」


「ええ……?」


「はい、どーぞ!」


 メイメイちゃんは、かかえていたバスケットを自分の頭の上に乗せた。


「ありがとー。あはは、歩く食卓しょくたくね」


「おいしー?」


「おいしいよ。塩気しおけがちょうどいい」


「自分で作ったんだー」


「ホント? すごいわね。料理りょうりが好きなんだ?」


「うん。いろいろ挑戦中ちょうせんちゅうなの。ここは料理りょうりほんもたくさんあるから」


「ああ、なるほどね」


「ここはすごく、いいところー」


「おーいいねー」


「前はあんまりだったからー」


「……そう」


「うん。ママに言われたのー。メイメイはワンちゃんなんだよーって。待てができないとポコポコされるの。メイメイおなかがペコペコだったから、出た血がもったいなくてめてたら、もっとポコポコされちゃった。

 ママがおいしそうなおにくべてるの、見てなくちゃいけなかった。見てなきゃ待てじゃないでしょって。もっと近くで見なさいって。泣くのもおなかが鳴るのも、待てしなきゃいけなくて、メイメイはそれができなくて、いっぱいポコポコされちゃった。

 べるのを我慢がまんしてるとね、天国てんごくが見れるの。そこには、いーっぱいのワンちゃんがいるの。そんでね、そこでは、ワンちゃんがワンちゃんをべてるの、べる方もべられる方もしあわせそうで、それを見てるとメイメイもうれしくてうれしくてうれしくて、メイメイもワンちゃんをべたよ、ワンちゃんもメイメイをべてくれた、そしたら、しあわせでおなかがいっぱいになっていって……、だけど気が付いたらメイメイはね、ここにいたの。

 グリエさんが、天国てんごくのメイメイをここにれてきたの。メイメイね、最初はおこったの、しあわせなのを邪魔じゃまされちゃったから。でもグリエさんがおしえてくれたの。もっとたのしいことがあるよって、しあわせなことがあるよって。

 でねー? 最初におしえてもらったのがお菓子かしの作り方なの、ポップコーンをはじめにおしえてもらったの、だからね、メイメイは一番いちばんこれが好き、ポップコーンが大好だいすきなの! ここは天国てんごくより、いいところー」


「……そっかつらかったんだね。じゃあさ、がんばったメイメイをおいわいしてあげるよ」


「おいわいー?」


肩車かたぐるましてあげる」


「なにそれー? やー!」


 ミュートはなんの説明せつめいもなしに、メイメイちゃんをかつげた。


「どうだ!」


「うへへへへ、たのしー!」


 肩車かたぐるま拍子ひょうしにフードがげて、メイメイちゃんの顔が見えた。ポップコーンの雨をらせながら、栗色くりいろのフワフワのかみはずませて笑う姿は、天使てんしあますくらいの、元気いっぱいだった。

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