とびたの先の部屋はこじんまりとしていて、純粋じゅんすいな仕事だけの部屋という感じだった。かべには本棚ほんだなが並べられているけど、ほとんどほんはなく、数品すうひん小物こものが置いてあるだけだった。部屋の中央にはつくえがあり、そこには大量たいりょうほんが重ねられ、いくつもの山を作っている。そのあいだから女性が顔をのぞかせていた。


なにか?」


 目をほそめ、眉間みけんにしわをせた、異様いようけわしい目を向けられる。


「……えーと、あの、ですね」


 という僕の声に反応はんのうして、女性はさっと真顔まがおになるとそのに立ち上がった。


「ああ、ごめんなさい。お客様きゃくさまだったのね。つかでよく見えなくてね。ずかしいわ」


 女性はそう言って、どこか皮肉ひにくっぽい笑顔を浮かべた。見ているとい込まれてしまいそうな真っ黒なひとみだ。それに引けを取らないくらい真っ黒な長髪ちょうはつは、そのまま肩と背中に流してあり、前髪まえがみは黒いピンで、ただ左右にけられている。ドレスのような黒色の服は、まるで絵本えほんなかの魔女の姿みたいだ。とんがり帽子ぼうしかぶれば完璧かんぺきだろう。……女性のはだ異様いように白かった。……なんというか見ていると不安ふあんになるくらい白い。城の町の人たちとは、また違う白さだ。……綺麗きれいじゃないというか。……いや、顔は物凄ものすごびじん人なんだけど……。不健康ふけんこうそうな、まるで死人しびとのような白さだ。大人おとなの女性という感じで、おそらくとしはミュートよりずっと上で、30前後ぜんごくらいだろうか。


「私はグリエ。グリエ・サーベイよ。一応いちおう、ここの館長かんちょうなんかをやってるわ」


「僕はサンデーです」


「あたしはミュートっていいます」


「よろしくね。それで、どうしたの? 調しらべもの?」


「あ、はい。その、死者の町の墓主長ぼしゅちょうさんのすすめで……」


 僕の言葉に、グリエさんは露骨ろこつ不快ふかいそうな表情を浮かべた。なんというか感情かんじょうがそのまま顔に出てしまう人みたいだ。


「……あの、じじい、あっ、失礼しつれい。あの、おやじ……」


 じじいもおやじも、そんなに変わらないと思うけど……。


「あのおやじ、何人なんにんもうちの書生しょせい候補こうほを殺しているのよ」


「えっ! 殺してる? それに書生しょせいって……」


「……ああ、ごめんなさいね。書生しょせいっていうのはここの子たちのことね。身寄みよりのない子たちを引き取って、ここで働いてもらっているの。勉強べんきょうもしながらね」


「それで、……殺してるっていうのは?」


「ごめんね、つい物騒ぶっそうなこと言ってしまって。実際じっさいに殺しているわけじゃないけど、ここにるには死者の町をとおらないといけないじゃない? それであの、くそじじい……じゃなくて、くそおやじが案内あんないした子は、自殺じさつする子が多いのよ」


「……あー……なんとなく分かるような……」


 たしかにベクシンさんの話は、小さい子には刺激しげき強過つよすぎるかもしれない。


「あのおやじには、てられた子供の気持ちが分からないのよ。ただでさえ傷付きずついているのに、死とはなにかなんて話をするなっていうのよ。私に言わせれば、あのおやじは立派りっぱ人殺ひとごろしよ。……なに言ってるのかしら私ったら、お客様きゃくさまに。……それでなにを知りたいの?」


「あ、その、魔女のことを」


「……へぇ、魔女。奇遇きぐうね。私も最近、調しらべているのよ」


「え? そうなんですか。それじゃあ、ぜひ!」


「それで、なにが知りたいの? 魔女の起源きげん? 童話どうわ関係かんけい? それとも歴史れきし?」


「そうじゃなく……魔石の魔女です」


「ああ、その魔女なのね」


専門外せんもんがいですか?」


「私に専門外せんもんがいはないよ。魔女全般ぜんぱん調しらべてるけど、もちろんその魔女のことも調しらべてる。今、魔女にドハマりしてるからね、なんなら専門中せんもんちゅう専門せんもんよ。ほら、これも魔女っぽいでしょ?」


 グリエさんはそう言って胸をると、服の肩のところを指でまみ上げ、着ている服をしめした。コスプレなんだ……。


「それじゃあ、歩きながら話しましょうか」


「歩きながらですか?」


「ええ。私、歩くと何故なぜか、昔に読んだほんの内容が、鮮明せんめいに思い出せるのよ。……ちょっと仕事を切りのいいところまでわらせるから、外で待っててもらえる? すぐにむから」


「分かりました。よろしくお願いします」


 僕たちは部屋の外に出た。そしてとびらじた瞬間、開口一番かいこういちばんミュートは言った。


「なに、おっぱいジロジロ見てんのよ。いくら大きいからって」


「……とんでもないかりだよ!」


「まったく男ってものは」


「いや、ミュートはなにも分かってない」


「けっ」


「けって……」


 ミュートはかべにもたれて腕組うでぐみをし、ご立腹りっぷくの様子だ。まあ多分、半分はんぶん冗談じょうだんなんだろうけど。

 少しもしないうち、グリエさんは部屋から出てきた。


「お待たせ、それじゃあ行きましょうか。しばらく歩くわよ。30もぎると、すぐには頭に血がかなくなるのよ」


 グリエさんはゆっくりと歩き始めた。僕たちはその少しうしろを付いていく。グリエさんの歩き方はなんだか独特どくとくだった。あまりうでを振らず、足もほとんど上げず、まったく足音がしない。こうしてみるとミュートの足音はすごく目立つ。カツカツとうらみでもあるかのように地面をっている。姿勢しせいよく手足を振って、キレイな歩き方だ。


「なによ? なんか文句もんくあんのか?」


「いや、まだ、なにも言ってないじゃん」


「まだー?」


なかがいいのね。いいわね、わかいって」


「グリエさんは結婚けっこんしてないの?」


 ミュートは遠慮えんりょなく、そう質問しつもんした。


残念ざんねんながらね。ほとんどあきらめてるわ。こんな辺鄙へんぴなところでもってらしているからね。でもね、それもいいかなって思っているわ。ここの子は、みんな私の子供みたいなものだから。神様かみさまへの義理ぎりたしていると思うし」


「グリエさんはどうして、こういったことをしてるの?」


「え? そうね……。私ももと孤児こじでね、親にてられたの」


「ごめんなさい、あたし……」


「いいのよ、気にしないで。それにここの子たちのことも、可哀想かわいそうだなんて思わないであげて。あわれんだりしないで、優しくしてあげて。そうすれば、どんなに傷付きずついたって、親がいなくても、人は立派りっぱになれるんだから」


「……はい、そうします」


「ありがとう。でも、やっぱりガクッとるわよ、親にてられるなんて。子供の頃は親が神様かみさまみたいなものなんだから。そのガクッでつまづいて、人生を台無だいなしにしてしまう子だっている。そうでなくても、才能さいのう可能性かのうせい無駄むだにしてしまう子がいる。だから思う。せめて大人おとなになってって、大人おとなになるまできてって、大人おとなになるまで希望きぼうてないでって。

 私はね、希望きぼうが消えてしまうのを、すごくもったいないと思ってしまうの。欲張よくばりなのね。こんなにほんや人をあつめてるくらいだし。私はあれなのよ、ただの、欲張よくばりなもったいないおけなのよ」


 グリエさんは話しながら本棚ほんだなながめ、ゆっくりのんびりと歩いた。すれ違う書生しょせいは、こころなしか背筋せすじが伸びているように感じた。相変あいかわらず、僕を見てクスクス笑う子もいるけど……。


「ごめんなさいね。わかい子たちばかりだから。……ここでのらしもわかい子にはらくじゃないわ。ここを維持いじするために働かなきゃいけないからね。ここはね、ただほんだけをあつめているわけじゃないの。研究けんきゅうをしたり、口伝くでんつたえをあつめたりと色々いろいろなことをしてる。いろんな仕事をしながら、日々ひび様々さまざま分野ぶんや勉強べんきょうをしなくてはならない。げ出してしまう子もたまにいる。正直しょうじきつらいと思うわ、ここのらしは。自分の過去をてて、世界せかいの過去の整理せいりをしながら、過去をむさぼわなきゃならない」


 僕たちが話にっていると、グリエさんはおもむろに首筋くびすじに手をて、頭をかたむけ、ガコッと首の骨を鳴らした。……骨がはずれたみたいなすごい音で、僕は思わず短い悲鳴ひめいを上げそうになった……。


「あのグリエさん。ずっと気になってたんだけど、どうして、ここはこんな迷路めいろで、ほんもバラバラに置いてるの? ほんが見つけづらいんじゃ……?」


 ミュートのいに答えるグリエさんの口調くちょうには、すごく感情かんじょうもっていて、言葉の端々はしばしから切実せつじつさを感じた。


「ああ、それはね……知識ちしきはばを広げてほしいからよ。人ってどうしても、自分の好きなほんばかりに手がびてしまうから。好きなほんを読む、それも大切なことだけど。ここにる子には……いろいろな価値観かちかんれてほしいのよ。なかにはいろんな人がいるってことを知ってほしい。……子供を愛する親もいれば、子供をてる親もいる。だけど、なか、そんなにてたもんじゃないってことを知ってほしい。面白おもしろいこと、たのしいこと、素敵すてきなこと、しあわせなこと、そんなのがたくさんあって、自分の悲しいのなんて本当にちっぽけなことなんだって。

 ……私はすべてのことをほんからまなんだわ。……私の母と父は、ほんなかにいた。とんでもなく偉大いだい尊敬そんけいできる人たちが、私にたくさんのことを教えてくれた。……なかには本当にいろんな人がいる。少し考えたら分かるわよね。自分の親が尊敬そんけいあたいする人である可能性かのうせいなんて、そんなに高くない。どんなに素晴すばらしい親でも、世界せかいに目を向ければ、うえにはうえがいる。もちろん自分をんでくれたこと、そだててくれたこと、してくれたことには感謝かんしゃしなければいけない。

 でも、親だからと無条件むじょうけんに、親のすべてを尊敬そんけいすることは間違っているわ。尊敬そんけいできるところ、できないところ、その分別ふんべつを付けなきゃいけない。そして尊敬そんけいできるところだけならえばいい。私たちは自分の意志いしまなび取ったものしか、血肉ちにくにできない。近くにあるからと、なんでもかんでも口にしてはいけない。親の悪いところを真似まねるのは腐肉ふにくを口にするのと一緒よ。そんなことをしていたら、いつか人間にんげんかわがれてしまう。

 だからね、親を全肯定ぜんこうていすることは自分の人生をドブにてるようなものなの。子供のうちはそれでいいかもしれない。でも大人おとなになってそんなんじゃあ、それは親にたいする侮辱ぶじょくも同じだわ。それに自分の心もくさっていく。その人は親以下の人間にんげんになってしまう。……だから、たくさんの価値観かちかんれるのは大切なことなの。親がいようといまいと、ほんなかかなら見出みいだせるはず、偉大いだいな父を、おおいなる母を」

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