ベクシンさんの小屋こやを出発してから、もう3日がっていた。本当なら、もうとっくに死者の町を抜けている頃だという。僕が昼過ひるすぎまで寝ているのと、ミュートの体調たいちょう気遣きづかって、日がかたむいたら歩くのを切り上げているからだろう。僕があやまるとベクシンさんは、「むしろ役得やくとくです」と言ってくれたけど、ミュートはともかく、僕は単純たんじゅん寝坊ねぼうだから、すごく申し訳なかった。


 魔石の海は、相変あいかわらずどこまでも続いている。本当にずっと同じ光景こうけいだ。光の海に、たくさんの分岐ぶんき天候てんこうも変化はなく、ただ時間だけがぎていく。青い空が赤くまり、それがすぐに黒につぶされる。それの繰り返しだ。まるで納得なっとくのいく絵がけなくて、何度もつぶしているみたいだ。宝石ほうせきも時間に合わせて姿を淡々たんたんと変えていく。宝石ほうせきが血にけ、血の海から真っ黒なたまごき出て、それがかえり、また宝石ほうせきになる。前の一生いっしょう満足まんぞくできずに、何度もやり直しているんだ。


「わたくしはときに、こう考えます」


 夕闇ゆうやみなか、ベクシンさんは唐突とうとつに言った。


「こうして、たくさんの分岐ぶんき選択せんたくし、わたくしたちは前に進んでける。それは人生にいても同様です。選ばなかった道には、ありたはずのわたくしたちがいる。そのわたくしたちはたして、きているのでしょうか? それとも死んでいるのでしょうか? 立ち寄らなかった道は、死んだ道なのでしょうか? 死ぬことのなかったつまは、ありたはずのつまは、分岐ぶんきの先にきているのでしょうか? 考えをどんなにめぐらせても堂々巡どうどうめぐりです。おそらく、分岐ぶんきの先にこたえがある。

 しかしそれは、選ばなかった道なのです。けっして辿たどけない。そこへすべはない。死とはけっして知りないものなのではないか、道がそれをしているのではないかと、そう考えてしまうこともあります。知りないということを知るというのは、矛盾むじゅんなのでしょうか? 素直すなおに受け入れていいものなのでしょうか? ここらで妥協だきょうするべきなんじゃないかという誘惑ゆうわくられます。時間とは何故なぜかように残酷ざんこくなのか、わたくしたちに否応いやおうなしに選択せんたくせまる。

 ときにお二方ふたかた。お二方ふたかたはどうです? 人生にいて、どちらにおもきを置きますか。真実しんじつか、それとも安寧あんねいか」


 ベクシンさんは足をめ、身をひるがえすと、僕たちに真剣な眼差まなざしを向けた。殺気さっきすら感じるほどに切実せつじつな目だ。まるで答えなければ、ここをとおさないとでも言わんばかりだ。


「僕なら、真実しんじつです」


「……あたしも」


 僕たちの返答へんとうを聞くと、ベクシンさんはなんだか悲しそうな顔をした。


今日きょうはこのへんにして置きましょう」


 僕たちは前日までと同じように、死者の海に浮かぶ小さな浮島うきしま焚火たきびかこんだ。その日は満月まんげつで、天上てんじょう煌々こうこうかがやいていた。月のうつり込んだ宝石ほうせきたちは、まるで、白目しろめ黒目くろめ反転はんてんした眼球がんきゅうのように見えた。眼球がんきゅうの海だ。視線しせんうずだ。おびただしい眼球がんきゅうがすべてこちらを向いている。ミュートは朝も昼もべていなかった。だから、空腹くうふくねて夕食ゆうしょくべたけど、少しもしないうちにすべていてしまった。それからは毛布もうふを肩に掛け、両腕りょううでひざかかえながら、ひたすらぼうっと焚火たきびながめていた。


「あなたはおそらく、もなく死ぬことになる」


 突然とつぜんの声に顔を上げると、焚火たきびの向こうのベクシンさんは、思いめたような顔で、僕たちをにらむように見据みすえていた。その鬼気ききせまる様子に、僕はしばらく声が出せなかった。それでもベクシンさんは、ただだまって僕たちの返答へんとうを待った。ようやくはっした僕の声は、吐息といきのようにかすれていた。


「……え? あ、あの……今なんて言いました?」


「わたくしは占星術師せんせいじゅつしなのです。うらないの真似事まねごといきを出ないようなものなのですが……。残念ざんねんながら、この予言よげんかんしては、間違いがないと思います。あなたの命は近いうちきる」


「……なに言ってるんですか……! た、たしかに、ぐ、具合ぐあいは悪いけど、そんなはず……!」


「違います」


「……え?」


「おじょうさんではなく。あなたのことを言っているのです」


「……僕? ……僕がなんで?」


「……そうよ……ふざけないで…………」


 ミュートはまだがするのか、くるしそうに小さくうめいた。


「ミュート、大丈夫?」


「……い、いいから……。サンデーが死ぬって……? あんた、なに、いい加減かげんなことを……」


「……謝罪しゃざいします。本来であれば、もっと早くにお伝えするべきでした。それこそ、一番いちばん最初に。わたくしの勇気ゆうきのなさのためです。躊躇ちゅうちょするうちに、旅もわり掛けになってしまった。まったく不甲斐ふがいない。本当に申し訳ございません」


「あ、あ、あたしは……そんなこと聞いてるんじゃない……でたらめ言わないでよ……やめてよ……なんでそんなこと、わかるのよ……」


「こればかりは説明せつめい仕様しようがありません。ただ、星に出ているとしか。しかし絶対ぜったいというわけではない。絶対ぜったい運命うんめいなどありはしない」


「……どういうこと……?」


 そう言って、ミュートは泣き始めてしまう。


「早く身体を取り戻した方がいい。ものたましいうつすなど土台無理どだいむりな話なのです。自然のことわりはんしたものは、いつか必ずける。あなたのその状態はかろうじてり立っていると考えた方がいい。無理むりかたちたもっていたものがくずれ始めているのです」


「……う、うそよ……」


しんずるはおまかせします。しかしこれはまず間違いない。今すぐというわけではありません。がしかし、遠い未来というわけでもない。正確せいかく日時にちじまでは、わたくしにもり出せません」


「……うそでしょ……うそよ……じゃあなんで、あたしは……気持ち悪いなんて理由りゆうで……やすんでたのよ……うそって言ってよ……これで……サンデーが死んじゃったら……あたしのせいだ……う、うう……」


 ミュートはひざに顔をめて、嗚咽おえつらし、奥歯おくばめる音までさせていた。本当は泣きたくなんてないんだ。


「……本当に申し訳ないと思っています」


「い、いや……でも、僕、最近、どうしても朝に起きられなくて……もしかして……そのせいなんでしょうか……?」


「分かりません。ですが……今日は早くねむりましょう。早く起きて、なるべく早く町を抜けましょう」

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