日が完全に落ち、あたりがやみしずむと、死者の魔石たちはかがやきをうしない、死者らしくしずかにねむっているように感じられた。黒くつやめく宝石ほうせきは、まるでなにかの魚のたまごのようだ。あた一面いちめん魚卵ぎょらんの海のようで薄気味うすきみが悪かった。そんななかだからか、星空さえ不気味ぶきみに見えてしまう。星ひとつひとつが、たまごのひとつひとつに対応たいおうしているような、そんな気がしてくる。


 おびただしい数の星とたまご圧倒あっとうされてしまう。焚火たきびらめくのに合わせ、近くの宝石ほうせきがうごめいているように見える。まるでたまごから孵化うかしようとしているようだ。だとしたらなにまれるんだろう。やっぱり死者がまれてくるんだろうか。僕が死者だというなら、僕はここでまれたのだろうか……。おどり続ける宝石ほうせきながめていると気が変になりそうになる。


 ミュートは気分がすぐれないのか、ごはんべずにすぐに横になってしまった。でもねむってはいないようだった。時折ときおりせつなそうに息をいてはじろぎをしていた。死者の魔石が気になってねむれないんだろう。目をじたところでその気配けはいまでは消せない。こんな光景こうけいじゃあ、むしろ目をじた方が恐怖きょうふしそうな気さえする。


「本当にたくさんの星ですね」


 僕は焚火たきびの向こうにすわるベクシンさんに言葉を投げ掛けた。


「ええ、かぞえるのに一晩ひとばんではとてもりない」


 言ってベクシンさんは星空を見上げた。


「僕たちの星も、このなかの1つなんですよね。こんなに世界せかいの中心みたいな光景こうけいなのに」


「時に、昔の考えに立ちもどってみるのも面白おもしろいですよ」


「というと?」


「この星を中心に、太陽たいようも月も星もまわっているとね」


「こんな光景こうけいじゃあ、昔の人もそう思いますよね」


たしかにそうでしょうなあ。……そうですな、さら飛躍ひやくして、たとえば、あなたを中心に世界せかいまわっていると考えてみるのです」


「はは、そんなはず」


「いえ、これはある意味、真実しんじつです。あなたの目、あなたの命がなければ、あなたの世界せかいは消えるのですから。尊大そんだいに聞こえるかも知れません。ですがこの論法ろんほう他者たしゃに広げて考えることができれば、ひとつひとつの命の重さが理解りかいできます。命は星よりも重いのだとね。あるいはこの宇宙うちゅうよりも重いのかもしれない。……死後しごにそれらはいったいどこへ消えるのでしょうね」


 ベクシンさんは視線しせんもどし、僕を見た。


大昔おおむかしの人間はみな、魔法が使えたのですよ」


「魔法?」


 なんの話か分からず、うわずった声が出てしまう。


「ええ。昔の人間は、自然をあやつることができる、命を自在じざいにできると信じていたのです。つまり世界せかいと自身を同一視どういつししていたのですね」


「……でもそれは信じていただけでは?」


「そうですね。無知むち経験けいけんのなさが、そうさせたのかもしれない。ですが分かりませんよ。なにせ大昔おおむかしのことです。あるいは本当に魔法が使えたかも知れません。昔は人の数も、言葉の数も少なかったはずです。人1人、言葉1つの純度じゅんどは高かったでしょう。

 特に言葉です。それは、枝分えだわかれをし世界せかい隅々すみずみっていく前の、純粋じゅんすいいのりとしての言葉です。それは力をたかもしれない。もと辿たどれば、魔法も呪詛じゅそも、人の思いにきます。みずからのことをかみと信じる人間がいて、それを純粋じゅんすいに信じる人間がいる。そんな世界観せかいかんであれば、奇跡きせきこりるかもしれない」


「……もしそうなら、今の魔女はなんなんでしょう? 僕たちが信じるのをやめたら……そうじゃなくなる?」


「分かりません。ですが思いであるのはたしかだと思います。意図いとがなければあのような力はまれない。魔女の思いなのか、べつの誰かの思いなのかまでは分かりませんが」


「……べつの誰か?」


「思いというのは、引き受けることも、……し付けることさえもできますからね。どうも、魔女のおこないは人間くさいように思います。かみのような力を持ちながら、そう振舞ふるまおうとしない。それはつまり、魔女が人間だからではないでしょうか? なにか魔女にも思うところがあるのだと思います。それはおそらく想像そうぞうもできないようなものではなく、わたくしたちの想像そうぞうおよ範囲はんい事柄ことがらなのだと思いますよ」


「……それは、なんなんでしょう」


「……わたくしにもそれは分かりません。……人の思いを知るのは本当にむずかしいことです。神々かみがみはその脈絡みゃくらくのなさで我々われわれ理解りかいはらいますが、人は思惑おもわくの数でわたくしたちをまどわせます。それ以上に、わたくしたち自身の共感きょうかん邪魔じゃまをするのです。唯一ゆいつの道具が邪魔じゃまをするのですから、厄介やっかいこのうえない。都合つごうのいい解釈かいしゃく、ありふれた講釈こうしゃく深読ふかよみ、なにもかもが理解りかいを遠ざけます。

 人の心は森のようなものです。おくればるほど、森にまれてしまう。木立こだちが感覚をくるわせ、獣道けものみちさそい、自身がのこした道標みちしるべすら自身をわどわす。なにもかもが意味をさなくなっていく。次第しだいに時間や方角ほうがくすらどうでもよくなっていく。森を知るために森にはいったはずなのに。ついには、えとかわきをいやす、イチゴといずみのみが重要になっていく。森の奥地おくちで見付けられるのは、せいぜいもう1人の自分だけです。

 それは、まった森であっても同じことです。はるかに容易よういに思えても、それは見掛けだけなのです。森はささやくことをしてやめません。風がなかろうと小鳥ことりえていようとも、わたくしたちの足音あしおと鼓動こどうを使ってまでささやくのです。死はあるしゅ神秘性しんぴせいでもって、わたくしたちの邪魔じゃまをする。些細ささい美談びだん醜聞しゅうぶんが、人を天使てんし悪魔あくまに見せ掛ける。ただ死んでいるというだけでです。

 わかくして死んだ者の、かぎりある言葉やしぐさ。それらをもとに、意図いとや思いを知ろうと数十年すうじゅうねん考えましたが、本当のところはさっぱり分かりません。必死ひっしになってられたのは、自分自身のやまびこ、そればかりでした。寝言ねごとの一つでも返してくれればと、何度も思いました。死者たちは夢さえ見ずにねむっている。

 ここでのわたくしたちは、寝室しんしつの外でれる木立こだちぎません。わたくしたちのささやきは、たんなる葉擦はすれの音。わたくしたちは歩く木立こだちです。ねむる彼らにしてみれば、木立こだちが歩こうと知ったことではない。それは、リンゴのをたわわにみのらせた大木たいぼくだろうと同じことです。たとえ、死者たちのねむるベットが、その大木たいぼくえだまれて作られていたとしても。それほどまでに死とせいへだてられています。こんなに近くで、同じほのおられているというのに。

 一度死んでしまえば、もうこちらにもどることはできない。先ほどは幽霊ゆうれいなどともうしましたが、やはりそんなものはありないのです。よみがりはもちろん、降霊術こうれいじゅつさえもありはしない。魔女にもそれは不可能ふかのうなのですから」


「どうして、そう言い切れるんです?」


「魔女がどのような人物なのか、わたくしには分かりません。ですがどんなに性根しょうねくさっていようとも、人が死なずにらせる世界せかい実現じつげんできるなら、間違いなくそうするはずですから。そんな素晴すばらしい世界せかいを、誰しもねがうはずです」


「……でもなんだか、つまらないような気もします。ずっときていたら……愛情あいじょうなんかもなくなっちゃうんじゃないか、なんて……」


「そんなことはないですよ。人のいつくしみには限度げんどはありません。人を永遠えいえんに愛することなど容易たやすい。そればかりではありません。世界中せかいじゅうの人を愛することだってできます。時間は無限むげんにあるのですから。人は時間さえ掛ければ、どんな価値観かちかん理解りかいすることができます。誰とでもかり合える。どんなあらそいも解決かいけつできます。

 人は時間がないからと、心地ここちよい価値観かちかんしたしんだ価値観かちかん固執こしつするのです。ゆえに異質いしつ他者たしゃと距離を置くのです。時間がわたくしたちに、取捨選択しゅしゃせんたくせまるのです。そのかせはずれれば、人はこの星を、愛の星に変えることができるはずです」

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