ベクシン墓主長ぼしゅちょうの話を聞くあいだ、僕は横目でミュートの様子をうかがっていたけど、ミュートがなにを考えているかは、まったく分からなかった。ミュートは顔に出やすいから、いつもなら、なんとなく分かるんだけど。なんだかまるで別人のようだ。

 ベクシン墓主長ぼしゅちょうはおしゃべきらしく、ほとんどしゃべりっぱなしだ。


「ですからわたくしは、本来の死の姿に近付けるため、少しでもこの場所を醜悪しゅうあくにしようと、長年にわたはげんでおるのです」


醜悪しゅうあくですか?」


「はい。地上からでは分からんでしょうが、わたくしは、……いえ、わたくしだけの力ではありませんな、ここの墓主ぼしゅたちの力もり、死者の魔石で地獄じごくえがいているのです。うつくしいだけの死などありません。少しでもバランスを取ろうと、魔石の配置はいちととのえ、地獄絵図じごくえずえがいているのです。地獄じごく地上絵ちじょうえですな」


「でも、誰にも分からないんですよね? それじゃあ……」


「これは生者せいじゃのためではないのですよ。死者のためです。うつくしいだけの死後しごなど、あまりにも残酷ざんこくぎます。それはある意味にいてひとしい。……しかし、そうですな、メッセージというなら魔女へのメッセージですかな」


「魔女?」


「ええ。魔女であれば空を飛べるでしょうから、地上絵ちじょうえも見れましょう。この地獄絵図じごくえずを見ることができるのは、このに魔女とわたくしだけです」


「ベクシン墓主長ぼしゅちょうも見れないのでは? ……でもそうなら……。そもそもどうやっていているんですか?」


「……なんと説明しましょう。わたくしにはそういう力。いえ、さいがあるようなのです。頭のなかでの想像や、星の位置関係などから、上からの構図こうずを思いえがくことができます」


「星ですか……?」


「ええ、このあたりは星が多いですからな、様々なことが知れます」


「はあ」


「まあ、ですからわたくしはあんに、……いえ、こんなのは露骨ろこつですな。露骨ろこつに魔女に伝えているのです。このような死は本当に正しいのかとね。小粒こつぶうつくしい今のはかが、本当に正しいのかと。魔女とて、魔石が死者をいたむのに使われるとは、考えていなかったやも知れません。ですが、はかに限らず、魔女のおこないは本当に正しいのでしょうか?

 魔石は確かに便利なものです。その利便性りべんせい世界せかいを大きく変えました。魔石はあらゆるものをコンパクトにしてしまう。あつかいやすく、手軽てがるに。運搬うんぱんらくで、保存もできる。人類じんるいの目覚ましい発展はってんは魔石の賜物たまものです。魔石は世界せかいを加速させています。しかも、とんでもない速さでです。そして、魔石は世界せかいをもコンパクトにしている。物質ぶっしつはもちろん、わたくしたちの認識にんしきすらもです。それが正しいのかは誰にも分かりません。もしもの世界せかい、別の世界せかい、あり世界せかいのことなど誰にも知りないのですから。

 しかし一つだけ言えるのは、この世界せかいは1人の少女が背負せおえるほど軽くはないということです。たとえ、魔女がどんなに強大きょうだいな力を持っていたとしてもです。世界せかいそのもののかじ取りを一手いってになうなど、正気しょうき沙汰さたではできない。人の命は星より重い。であるなら、万人ばんにんの命の重さははかり知れない。いくらそれが善行ぜんこうであろうと、その重圧じゅうあつ相当そうとうのものでしょう。これをしなければ大勢おおぜいが死ぬのだと、自身にしかそれはできないのだと、自身にはその義務ぎむがあるのだと。そればかりではない。大きすぎる力は善性ぜんせいすらみだすのです。慢心まんしん優越感ゆうえつかん独善性どくぜんせい、ありもしない権利けんり、様々なものが頭をもたげ始めるのです。それをおさえるのは簡単なことではありません。

 もっとも、権利けんりや、それにともな責任せきにんというのは、本来は人間が作り出した、まやかしです。わたくしたちの想像力そうぞうりょくみ出したものです。だからといってわたくしたちは、それを考えずにいることはできない。それは魔女とて同じことでしょう。して、認識にんしきかべやぶることはできません。たけ以上のいは、いつか必ず破綻はたんきたす。荷物にもつ背負せおい過ぎで、その場にくずれるように。認識にんしき増加ぞうかにより心をこわし、その場にくずおれるように」


 そこで、ベクシン墓主長ぼしゅちょうは振り返って、僕たちにチラリと目線めせんを向けた。


「つまり、何事なにごと背負せおい込みすぎるのは良くないということです」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうはまたすぐに前を向く。


ぎと一緒です。欲張よくばってぎれば気分も悪くなる。そのりょうが多すぎれば、もはや自分では消化しょうかし切れなくなる。き出すよりほかになくなってしまう。それでも我慢がまんを続けるのなら、ずっとと付き合うことになる。あるいはそのうちに、内臓ないぞう破裂はれつしてしまうでしょう。

 それは言葉や思いでも同様です。言葉も思いもめ込みぎればどくになる。ぎれば内臓ないぞうと同様に、心もいつか破裂はれつしてしまうでしょう。しかも心の方が厄介やっかいだ。心は内臓ないぞうのようにやわらかくはないのです。閾値いきちえた途端とたん前触まえぶれもなくれてしまう。心は硝子がらすのようなものです。身体のように元通もとどおりにきずえない。れた心はもうもとにはもどせません。地面に落ち粉々こなごなになった水晶玉すいしょうだまも、時間さえ掛ければもと球体きゅうたいむこともできましょう。しかし、そのひびれまではもどせない。かたちはたとえ球体きゅうたいでも、それは粉々こなごなになった心なのです。ころがる力も、未来への展望てんぼうも、なくなってしまう。

 ですから心は大切にしなければならない。誰かの心も、自身の心も。心は一番のこわものなのです。そして、こわれ掛けている、こわれているなら、尚更なおさらです。かよわきものは、指先ゆびさきひとつ、風一ひとつが命取いのちとりになることもある。優しくせっしなければなりません。

 ……わたくしは今でも考えます。つまに死の宣告せんこくをしたのは正しかったのかと。これから死ぬという人間に、わたくしは死ぬような思いをさせたのです。あの時のわたくしはなんのためらいもありませんでした。残された時間を知り、息子むすことの時間をごすことは、つまにとって一番の幸せだと。ですが、悪戯いたずら真実しんじつを伝えることが、本当に正しかったのか、分からない。なにも知らずにいた方がかえって幸せだったのではないかと。

 ……こうして口に出すだけでらくになるものです。どうです? お二方ふたかたにもありませんか? つらいこと、心にめていること」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうは、また一瞬いっしゅん、振り返った。今回、その視線しせんはミュートだけに向いていた。


「あたしは特にありません。でもどうなんでしょう。本当に話すだけでらくになりますか? それもきずりの人に。なやみは大切な人に話すのが、一番じゃないですか? 自分のことをよく知っている人に」


「そうですな。そうできるなら、それが一番ですな。誰しも自分のなやみなど、他人たにんに話したくないものだ。しかし、大事だいじな人であればあるほど、長い付き合いになる公算こうさんが大きい。それはそれで気負きおいがまれます。気負きおってしまえば出る言葉も出なくなります。一方いっぽうきずりの人間にはそれがありません。きずりの人間は風のようなものだ。ただの風に言葉を乗せるのでは少し味気あじけないですが、風のような人になら、意味を見出みいだせるかもしれない。そう思えば、心も少しは軽くなるでしょう。

 言葉はそれだけで重みのあるものです。語れば語るほど、心は整理せいりされ健康けんこうになっていく。ずかしがることはないのです。内臓ないぞうき出すわけではないのですから。部屋へや掃除そうじしたり、気晴きばらしに家具かぐ位置いちを変えたりするようなものです。そうすれば、部屋へやいたみに気が付いたり、部屋へやに花をかざったりする余裕よゆうまれてくるものです。

 部屋へやは、人の心そのものです。たがいの姿すがたうつし合い、そして、たがいに影響えいきょうあたえ合う。語ることは、部屋へやまどけて風をとおすことです。換気かんきは大切です。風をとおさねば、建物たてものはすぐにいたみますからな」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうの言葉に、ミュートは返事を返さなかった。まるで自分がい掛けたということをわすれてしまったように、ただ下を向いて黙々もくもくと歩いていた。それにかまわずベクシン墓主長ぼしゅちょうは言葉をかさねていく。


「わたくしも語ることで随分ずいぶんすくわれました。2人が死んだ当初とうしょは、みずからの命をとうと何度なんども考えました。何故なぜわたくしだけがのこされたのかとなげきました。くら感情かんじょうさいなまれました。息子むすこれてったのはつまなのだと。息子むすこはわたくしではなく死んだつまえらんだのだと。

 2人をうらみました。様々さまざま感情かんじょうみだれました。2人のもときたい。うらやましい。もうわけなく思いながら、うらみました。すまなかった、どうしてわたくしだけ。本当に誰よりもうらみました。のろいました、死者を、家族かぞくを、つまを、息子むすこを。そのたびに、自分自身に嫌気いやけしました。こんなのは自分じゃない。はげしい自己嫌悪じこけんおに、現実げんじつからしたくなりました。これは自分の本当の姿すがたではないのだと。

 かがみを見るたび反吐へどが出る思いでした。かがみには、息子むすこごろしの人間がうつり、こちらをながめています。わたくしはかがみりたくて仕方しかたがなかった。しかし、かがみなかのわたくしが、わたくしをののしりそれをめるのです。かがみうつおのれ認識にんしきできるのは人間だけだ、それができないおまえは人間以下の存在そんざいだと。おまえこそ虚像きょぞうだ、まやかしの人間なのだと。

 わたくしはたしかにそうだと思いました。つまいたむこともせず、うらむようなわたくしです。いつくしみもなにもない、もはや動物どうぶつですらない、ただの物質ぶっしつなのだと。

 そこで思いいたりました。死ではなん解決かいけつにもなりはしないと。わたくしは人をのろわら人形にんぎょうなのだと、気が付いたのです。わたくしが死んだとて誰もよろこびはしない。ただ、のろいが達成たっせいされるだけなのだと。わたくしがつのらせたのろいをはらわねば、それはつまもとくのだと。

 わたくしは思いました。寿命じゅみょうきるまでに、のろいを落とさなければと。語り続け、書き続け、心を軽くしなければと。そして、人間の心を知らねばと思いました。いたすべを知らねばと思いました。いつくしみを今からでも身に付けなくてはと思いました。わたくしは死ぬまでに人間にならなくてはならないのです。わたくしはかがみすくわれました。かがみおしえてもらいました。この一番いちばんおろものを。

 間違いがありません、やはりかがみ真実しんじつうつすのです。かがみとは、片面かためんつぶされた硝子がらすです。真実しんじつうつかがみは、黒と透明とうめいが合わさることで作られます。つまり暗闇くらやみ不在性ふざいせい構成こうせいされている。まるで死のようだ。死とは真実しんじつ同義どうぎなのでしょうね。いやはや、しかし、暗闇くらやみ不在性ふざいせいとは、まるで、あなたのようだ」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうは立ちまり振り返ると、僕の目をじっと見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る