泣きやんだあと、ミュートはまともに口が聞けない状態じょうたいだった。ベクシン墓主長ぼしゅちょうに自己紹介はおろか、感謝かんしゃの言葉さえ口にできなかった。それを見てベクシン墓主長ぼしゅちょうは、「向かいの小屋こやはわたくしが寝泊ねとまりに使っています。むさくるしいとは思いますが、よろしければお使いください」と言ってくれた。ベクシン墓主長ぼしゅちょう毛布もうふかぶって仕事部屋しごとべやで寝るという。ホントならベクシン墓主長ぼしゅちょうに申し訳ないからことわるべきなんだろうけど、ミュートのことを思うと、あたたかいところでゆっくりねむってほしかった。だからその言葉にあまえることにした。僕は小屋こやから出ようと、ふらつくミュートをささえながらとびらに手を掛けた。


  ――この部屋へや片時かたときわすれるな――


 とびらに書かれたその文字もじは、ほんの小さなものだったけど、まるで不意打ふいうちをらわせるように僕のに飛び込んできた。

 向かいの小屋こや文字もじだらけなのかと身構みがまえたけど、そちらはいたって普通だった。家財道具かざいどうぐがたくさん置かれているけど、整理整頓せいりせいとんされたきれいな部屋へやだった。窓辺まどべやテーブルの上には、はちえた小さな可愛らしい花まで置いてある。ミュートをベットに寝かせ、僕は毛布もうふくるまりゆかで寝ることにした。ミュートはベットに入るとすぐにねむってしまった。一方いっぽう、僕はなかなか寝付ねつけなかった。


 泣いてるミュートは今まで何度か見たけど、あんなミュートは初めて見た。死者の町や、あの部屋へやの様子に、ショックを受けたのはもちろんそうだろうけど、それだけであんなふうにはならないはずだ。なにか理由があるはずだ。あの時のミュートの様子は、どうこじつけても、いつものミュートとはつながらなかった。僕の知らないなにかがあるんだ。僕の知らない過去。僕の知らないミュート。僕とミュートはただの道連みちづれなんだから、知らないことがあるのは当たり前だ。だけど、きゅうにミュートが遠くに行ってしまったような気がして、なんだか少しだけせつなくなった。


 そんなことばかりがぐるぐると頭をぎり、ねむろうとする僕をり起こした。あれこれ考えて不安ふあんあせりをまぎらわそうとするけど、少しの甲斐かいもなく、それは目減めべりどころかますますつのっていき、ただ夜がけていくばかりだった。やっとねむれたと思っても、いやな夢を見て何度も起きた。ミュートが、あの部屋へやの、あのだいっている夢だ。ミュートはひもを手にしたまま、あの時の死人しびとみたいな顔でじっとこちらを見ていて、僕はそれをめようとするんだけど、まわりの文字もじにそそのかされて、……僕はあろうことかミュートをうながして……。そして、ミュートはそのまま――


「ねぇ、ほら、さきっちゃうよ」


 僕はそう声を掛けられ、ねむりからめざめた。いつのにかねむっていたらしい。ミュートを見ると、もう身支度みじたくませているようだった。もう平気へいきなのかとたずねるもなく、ミュートは小屋こやから出て行ってしまった。僕もあわてて準備をしてあとった。外にはベクシン墓主長ぼしゅちょうも出てきていた。どうやら、ミュートはすでに一度いちど、ベクシン墓主長ぼしゅちょう挨拶あいさつに行っていたようだ。


「す、すいません……寝過ねすごしてしまいました」


「いいえ。おわか証拠しょうこですよ。ではさっそくまいりましょう」


 そう言って歩き始めたベクシン墓主長ぼしゅちょうは、老人とは思えないほど健脚けんきゃくだった。おそらく普段からかなり歩いているんだろう。

 空を見ると太陽は高くのぼっていて、もう昼過ひるすぎだった。寝付ねつけなかったとはいえ、寝過ねすぎにもほどがある。

 すたすた先を行くベクシン墓主長ぼしゅちょうに、僕たちは付いていく。ミュートは元気がなさそうだったけど、顔色かおいろはよくなっていた。時折ときおりあたりを見渡みわたしたりしているから、ここの光景こうけいにもれたのかもしれない。ここは思い一つで、死者の海にも見えるし、宝石ほうせきの海にも見える。


 歩くうちに、あの青年が言っていたように、道は次第しだい分岐ぶんきえていった。次々つぎつぎおとずれる分岐ぶんきを、ベクシン墓主長ぼしゅちょうよどみなく進んでいく。そうするうちにちらほらと人影ひとかげを見掛けるようになり、次第しだいに数もえていった。みんな、ベクシン墓主長ぼしゅちょうと同じ格好かっこうをしていて、紙を片手に地面じめんに魔石をべている。


「あの、どうしてこんなふうべるようになったんですか?」


 ふと気になり、僕はベクシン墓主長ぼしゅちょうたずねた。

 今はいいかもしれないけど、こんなふうべていったら、いつか土地とちりなくなるだろう。いつかはやめなくちゃいけない。でなければ死者に星をわたすことになる。


実際じっさいのところは誰にも分かりません。ある時、誰かがここに死者の魔石をべ始めた。またある時、別の誰かがここに死者の魔石を置けば、その死者は天国てんごくに行けると言い始めた。そしてそれが口伝くでん各地かくちに広まっていった。分かるのはただそれだけです」


天国てんごくですか……」


「あるとお思いですか?」


「え? どうだろ……。考えたこともないです。でもあった方がいいなって思います」


何故なぜです?」


「……その方が優しいと思います。誰にとっても」


「なるほど、では地獄じごくなんのために?」


「……うーん……。……その方が、きるり合いがあるからですかね? その、みんな一緒いっしょ天国てんごくでは、がんばる気がなくなるような……?」


「つまりきる動機どうきけだと?」


「だと思います」


「であれば、地獄じごくではなく、まったくのでもよいような気がしませんか? 天国てんごくに行けないものは跡形あとかたもなく消えてしまう」


「それじゃあ、あんまりさびしい気がします。どんなに悪い人でも……。なんだかうしろめたい気がしますし……」


死後しご世界せかいとは、生者せいじゃの死者へのおもいが作り出しているものだと、あなたは考えるわけですね?」


「……。うーん。まあそうですね。なんだか、現実的げんじつてきな話ですけど……」


死後しご世界せかい追憶ついおくんだとすると、ここはまさに追憶ついおく集積所しゅうせきじょということになりますね。思い出は大概たいがいいて、美化びかされますからな。ここの光景こうけいはあるいは、本来ほんらいの死のかたちなのかも知れませんね」


 たしかに死者の魔石と思わなければ、こんなに綺麗きれい光景こうけいほかじゃまず見られないだろう。


「ですが、わたくしはこう思います。死とは恐怖きょうふ対象たいしょうでなければならないと。死を過剰かじょううつくしくかざり立てるのは、死者への冒涜ぼうとくだと。わたくしには魔石が死を加速かそくさせているように思えてならないのです。こんなにもうつくしい宝石ほうせきになってねむれるのです。宝石ほうせきは昔、とても高価こうかなものでした。しかし魔石の登場とうじょうで、鉱石こうせきとしての宝石ほうせきは、今ではほとんど価値かちがなくなりました。それでもいまだに財力ざいりょく象徴しょうちょうとして機能きのうし、根強ねづよく愛され、いつくしまれている。うつくしさ、財産ざいりょく、その2つはとても強い羨望せんぼうあつめます。

 魔石は死と羨望せんぼうむすび付けてしまった。死は羨望せんぼう対象たいしょうとして機能きのうするようになってしまった。死とは本来ほんらい、ずっとおそろしくて、がたいものだ。こんなにもうつくしい死は、わたくしたちには早すぎるものなのだと思うのです。わたくしどもは本来ほんらいくらそこに、ねむるべきなのです。

 魔女は古来こらいはかあばいてしまった。そして未来の墓穴はかあなさえも、永遠えいえんててしまった。まばゆい光と永遠性えいえんせいで、本来ほんらいの死をけがしたのです。死とは本来ほんらいくらやみ不在性ふざいせいたされていなければならない。

 魔女は永遠えいえんきる心積こころづもりでいる。そして魔女は、みずからの死の価値観かちかんを、みずからの哲学てつがくを、わたくしどもにし付けているのです。哲学てつがくし付けるものではなく、かたり掛けるものです。受け入れ方、それ自体じたいは、相手にゆだねなければなりません。わたくしどもは永遠えいえんにはきられない。永遠性えいえんせいはわたくしどもにはまぶしすぎる。わたくしは思うのです、こんな光景こうけいまがものだと。ここはいつわりの霊園れいえんだと」


「だから墓主長ぼしゅちょうは死について考えているんですか?」


 僕の問い掛けに、ベクシン墓主長ぼしゅちょうは少しだけ歩く速度そくどゆるめた。


「そうです。わたくしにはむかしつまがありましたが、2人とも病気びょうきいのちとしました」


「……す、すいません。その……」


「お気になさらず。何十年なんじゅうねんむかしのことですから。わたくしが24の時でした。つまとはおない年で、幼馴染おさななじみだったのです。物心ものごころが付く前にはすでに出会っていて、そこにいるのが当たり前の存在そんざいでした。息子むすこは4つでした。活発かっぱつ利発りはつでした。親馬鹿おやばかとお思いでしょ? なんでもやりたがり、そして知りたがりました。不出来ふできなわたくしとは大違おおちがいでしたよ。

 わたくしはなにひとつ、不満ふまんなく、疑問ぎもんもなく、しあわせの只中ただなかにおりました。

 ですが、ある突然とつぜんつま流行はややまいかかりました。そしてもなく死にました。おなとし息子むすこあとうように死にました。わたくしはつまにも息子むすこにも、すべてを正直しょうじきに話しました。今になってもそれがただしかったのかどうか分からない。

 ですが、これだけは知れました。この一番いちばんつらいことというのは、死の宣告せんこく、あるいは死の報告ほうこくなのだと。

 今から死ぬのだと、大切たいせつなあの人はもう死んだのだと。

 おまえはこれから死ぬのだと、おまえおさなのこして死ななければならないのだと。おまえ母親ははおやは死んだのだと、おまえ母親ははおやはもう何処どこにもいないのだと。そのつらさは、その相手が、かよわいほど、おさないほどしていく。ちいさきもの、よわきものこそが、この最上さいじょうかなしみの根源こんげんなのです。死をつたえる決心けっしんは、どんなに修行しゅぎょうもうと、そう容易たやすられるものではありません。

 わたくしは息子むすこ何度なんどわれました。死とはなんなのかと。はははどこにいるのかと。わたくしはそれに満足まんぞくえられず、……あろうことか、わたくしは息子むすこしかり付け、怒鳴どなり付けたのです……。そんなものは、大人おとなになってから自分で考えろ、と。ですが、息子むすこ大人おとなになることはありませんでした。死とはなんなのか。それを知るのが息子むすこねがいでした。でも、わたくしはそんなこと一度いちども考えたことがなかった。わたくしはつまともきることにしか考えていませんでした。わたくしが20の頃、父親ちちおやくなった時でさえ、そうでした。わたくしはあさはかな人間にんげんなのです。おやが死ぬのは当たり前と、死について考えることすらしなかった。

 わたくしは考えました。わたくしがつま居場所いばしょこたえられなかったから、死とはなんなのかこたえられなかったから、息子むすこつまもとに向かったのではないかと、わたくしが息子むすこを殺したも同然どうぜんなのではないかと。まわりのもの論理ろんり飛躍ひやくだとわたくしをなぐさめましたが、わたくしには、それが本当らしく思えた。わたくしはその観念かんねんかれてしまったのです。わたくしが息子むすこを殺したと。本当に納得なっとくできました。得心とくしんきわみでした。わたくしが息子むすこを殺した。

 そんなわたくしにも一つだけ納得なっとくできないことがありました。それが今の死のかたちについてです。宝石ほうせきとなったつま。その姿すがたたりにしても、わたくしは納得なっとくすることができなかった。2人が死んだことにたいしてではありません。その死のかたちたいしてです。これは本当に、本来ほんらいの死なのかと疑問ぎもんに思ったのです。わたくしはそれ以来、ずっとここではたらいています。無理むりを言ってやとってもらったのです。それが今や墓主長ぼしゅちょうなどやっているのですから、なか分からないものです。本当に、なにひとつ分からない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る