「本当に申し訳ありません。突然お邪魔じゃましてこんな……」


かまいません。それよりも、おじょうさんは大丈夫ですか?」


 そう返す老人の表情は本当に優しげで、身内みうちに向けるような親密しんみつさすら感じた。だけど、少しだけその眼差まなざしに、うれいみたいなものも感じられた。まるで死者をいたむようというか、同情どうじょうせるようというか、そんな、不思議な表情だった。


「すいません……。まだ少し掛かりそうでして……」


「こういうときは、すべていてしまうに限ります」


「すいません……」


「それで、あなた方はなぜこちらに? 死者の魔石をおさめに?」


「あ、いえ、僕たち砂漠さばくの方から来たんですけど……」


道案内みちあんないですな?」


 老人は嬉しそうな顔を浮かべて言った。


「は、はい」


丁度ちょうどよかった。煮詰につまっていたのですよ。ぜひともご案内あんないさせてください」


 言って老人は、思ったよりも身軽みがる椅子いすから立ち上がった。


「わたくし、この霊園れいえん墓主長ぼしゅちょうまかされております、ベクシン・ステープルトンと申します。ベクシンとおびください」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうはかなりの長身ちょうしんだった。僕よりもずっと大きい。ふくは先ほどの青年と同じように乳白色にゅうはくしょくのものを着ていた。ほほからあごに掛けて真っ白なひげおおわれていて、あごひげは長く伸び、面長おもながな顔をさら際立きわだたせていた。ベクシン墓主長ぼしゅちょう深々ふかぶかとお辞儀じぎをすると柔和にゅうわみを浮かべてくれた。


「……こ、これはご丁寧ていねいに。僕はサンデーといいます。ご迷惑めいわくかと思いますが、よろしくお願いいたします」


「いえ、大歓迎だいかんげいですよ。申し訳ありません、お客様きゃくさま椅子いすもなく……こちらすわられます?」


 そう言ってベクシン墓主長ぼしゅちょうは、自身がすわっていた椅子いすしめした。


「……いえ、そんな。どうぞすわられてください」


「そうですか。……なんでしたら、あちらにちょっとしただいがありますが」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょう視線しせんの先には、たしかにだいが置いてあった。でも、丁度ちょうどその真上まうえには、先ほどのひもがあった。首吊くびつりのためのだいなんだ。

 また、かべ文字もじはいり、それがあたまなかに飛び込んでくる。


  ――24の時、お前は死のうと決めて

  それをしないで、そこにすわってなにをしているんだ?

  わすれたのなら今すぐに――

  ――おまえつまは、くびを長くして待っているぞ――

  ――今すぐにでも、会える――

  ――その気がないなら今すぐに――


「あの、この文字もじは……?」


見苦みぐるしくて申し訳ない。……これはそうですな、個人的こじんてき探求たんきゅうを進めるためのものです。言わば促進剤そくしんざいですな」


 距離きょりを置いたまま話し続けるのも失礼しつれいなので、僕はベクシン墓主長ぼしゅちょうに近付いた。


探求たんきゅう……?」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょう椅子いす腰掛こしかけると、ゆっくりと僕を見上げた。


「死とはなんなのかということです」


「し? 死んでしまうの、死ですか?」


「はい。その死です。その正体しょうたいを知るために、わたくしはひまさえあれば、こうしてものをしております」


 見るとつくえうえには紙が何枚もかさねられていた。どれも文字もじでびっしりだ。


「おずかしながら、わたくしはこうして書き出さなくては、おのれの考えを上手うまくまとめられないのですよ」


 広いつくえうえ文字もじくされている。そのうえにいくつか小物こものが置いてあった。

 あきらかに毒物どくぶつと分かるラベルがられたびんのそばには、こうある。


  ――少し休憩きゅうけいしたらどうだ?――


 鋭利えいりなナイフのそばには、こう。


  ――おまえさやだ、おまえのどさやなんだ、刃物はものあぶないぞ、さやにちゃんと仕舞しまって置けよ――


 度数どすうの高そうな酒瓶さかびんのそばには。


  ――数十年振すうじゅうねんぶりにあおってみないか? 格別かくべつなのは分かるだろ? すごくらくになる――


 僕の視線に気付いたのか、ベクシン墓主長ぼしゅちょう酒瓶さかびん一瞥いちべつした。


「今はまったくやりません。……むかしさけとソーセージが死ぬほど好きだったのですが、やはりとしを取るとしょくほそくなります。今は野菜やさい一番いちばんのごちそうです」


 ベクシン墓主長ぼしゅちょうの、なんでもないほがらかな顔が、ここでは無性むしょう異質いしつなものに見えてしまう。まるで臓物ぞうもつなかきらめくしろなダイヤモンドみたいに。


「……だけど、どうしてこんな……いくら死を知りたいからって……」


「……もちろん、実際じっさいにはやりません。あのだいは、一度いちどまれたことのないだいです。このナイフも、毒薬どくやくも、同様どうようです。まぁ当然とうぜんですな。でなければ、わたくしは、ここに、こうして存在そんざいないのですから」


「……それは……、でも、なら何故なぜ……?」


「自身をかすためです。自身をい込むためです。わたくしは愚鈍ぐどんな人間です。わかい頃は勉強もせず、何も考えておりませんでした。怠惰たいだな人生を送ってきました。こうして書いて置かなければ、わたくしはわすれてしまうのです。なまけてしまうのです。そんなわたくしでも、無限むげんの時間があたえられたのなら、こたえをられるかもしれない。しかし、私のせい有限ゆうげんだ。いえ、たと無限むげんの時間をもってしても、無能むのうなわたくしには辿たどけるかも分からない。そんなわたくしにはこんな方法しかありません。

 わたくしはどうしても知りたい。死とはなんなのか。死とは無限むげんのものなのか? 死とは完全かんぜんなるなのか? 死んだ者はどうなるのか? 思いだけでも残るのか? 分かりません。分からないからうています。死とはなんなのか。かなうならわたくしは死を明文化めいぶんかしたい。これが死なのだ、と。でなければ死んでも死に切れない。いえ、わたくしは死んで当然とうぜんの人間です。たとえ自死じししようとも、わたくしのような人間には、神様かみさままるくださるでしょう。

 しかし、わたくしはあわよくば花丸はなまるを手にしたい。かなうなら、もしかなうなら、最上さいじょうかたちで死をむかえたい。この部屋へやの言葉は、そんなわたくしの思いと、そして不甲斐ふがいなさのためなのです。この部屋へやはそのまま、わたくしのこころなかなのです。

 つまり要約ようやくいたしますと、わたくしのようにあたま出来できも悪く、教養きょうようもない人間が、死とはなんなのかという大きな議題ぎだいに取りみ、こたえをようと思うなら、人様ひとさまがそれを見てもよおすほどの、気持ちの悪い方法で、何度なんど何度なんどかえかえし、おのれめ続けることでしか、それはないのです」


 僕が言葉を返せずにいると、ベクシン墓主長ぼしゅちょうは、はてという顔をした。


「……おじょうさん、もどられませんね」


 たしかに、そろそろもどってもいい頃だ。


「す、すいません……。ちょっと見てきます」


「それがよろしいでしょう」


 僕は洗面所せんめんじょに向かい、トイレのなかのミュートに声を掛けた。でもまったく反応はんのうがなかった。なんの音もしない。なんだかいや予感よかんがした。


「ミュート、はいるよ」


 とびらけると、ミュートは両方りょうほうひざひじを付いて、真っ暗なトイレのゆかにうずくまっていた。


「ミ、ミュート……! 大丈夫……!」


 僕はあわててミュートのそばにしゃがみ込んで、顔をのぞき込んだ。ミュートは声も出さずに、なみだを流していた。


「……ど、どうしたの? ……大丈夫? ……くるしいの?」


 ミュートはい掛けにまったくの無反応むはんのうで、ただ、じた目蓋まぶたはしからなみだこぼし続けた。


「……いったい……どうしたんだよ……?」


 見てるだけでむねくるしくなる。僕まで泣きたくなるほどミュートの様子ようすつらそうだった。だけど、どうしようもなくて泣いているみたいで、無理むりに泣きやませちゃいけないのかなって思った。このままそっとして、好きなだけ泣かせた方がいいんじゃないかって。

 だけど、ミュートは突然とつぜんけて、感情かんじょうの消えた表情で、それでもなみだこぼしながら、こう言った。


「……もう……死んじゃい……たい……」


 僕はミュートのかたつかんで、無理矢理むりやり身体を起こした。少しくずれた正座せいざで、ミュートはまるで死んだようなで僕を見た。なみだが流れてなかったら、本当に死体したいそのものみたいだ。それくらいミュートからは生気せいきけていた。


「……ミュート……なに言ってんだよ……死にたいなんて……」


 僕はミュートを正気しょうきもどしたくて、またそのかたつかもうとした。するとミュートは表情をゆがめ、僕にり掛かってき付くと、身体をふるわせながら泣き続けた。こんなとき、どうしたらいいのか、どんな言葉を掛けたらいいか分からなくて、ただ僕はミュートのあたまひらせた。僕のうでじゃとがっていて、うでまわしただけでいたいだろうから。


 僕には分からなかった。なんでこんなにミュートが泣くのか。なにがそんなにかなしいのか。でも、僕が一番いちばん不思議に思って、そしてなによりかなしくなったのは、どうしてこんなに、声をし殺して泣くんだろうってことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る