ミュートはぼんやりとしたねむりから覚醒かくせいした。二日酔ふつかよいの朝のような目覚めの悪さだった。視界しかい段々だんだんとはっきりとしてくる。目の前には暗闇くらやみが広がるばかりで何もない。そして、どうやら自分は立っているらしいということに、気付く。立ったまま寝るなんて、動物みたいなことできたっけ、とミュートはぼんやりした頭で考えた。しかし、どうにも考えがまとまらない。


 水でも飲もうと身体に力を込める。しかし身体はまったく動かなかった。ミュートの意識いしきはそこで一気いっき覚醒かくせいする。さいわい、くびから上だけは動くようだ。ミュートは自分の身体に目をとした。

 ミュートの身体は、地面からき出た十字じゅうじ器具きぐ固定こていされていた。手首てくび足首あしくび胴体どうたいひもできつくしばられている。力を込めてもピクリとも動かない。


 目をじて、意識いしきうしな直前ちょくぜん記憶きおくます。よる散歩さんぽに出掛け。工場に行き。絵を見て。セラメントに絵をかせてくれと懇願こんがんされ。絵描えかきのレイビーに全身ぜんしんをジロジロと見られ。部屋にもどり。サンデーと少し話し。しばらくすると、ハスコムが部屋におとずれ、おちゃを持って来てくれた。ハスコムがかえり。おちゃを飲み。寝支度ねじたくをしようと、ドレスから寝巻ねまきに着替きがえようとして。そこからさき記憶きおくがない。実際じっさいにミュートはドレス姿すがたのままだった。ハスコムの持って来てくれたおちゃに、何か入っていたのだろうか。


 その時、突然とつぜん、遠くから足音が聞こえてきた。暗闇くらやみおくに目をらすと、金色きんいろの何かがれていた。それはさかさまになった王冠おうかんだった。


「やあ、きたかい。おはよう」


 ゆっくりとした足取あしどりで歩いてくるのは、セラメントだった。いつもの柔和にゅうわみを浮かべている。


「これはなんの真似まね


 ミュートは精一杯せいいっぱいつよがったが、声はふるえていた。


追々おいおい話していくよ」


「ここは?」


「僕の部屋からそう遠くはないよ」


「サンデーはどこ?」


今頃いまごろ睡眠薬すいみんやくを飲んで、ぐっすりだろうね。彼のはとくくして置いたから。朝まで起きないだろう。すまないね、おわかれもさせないで。残念ざんねんだけど、もう彼には会えないよ」


「あのうわさは本当だったのね」


うわさ?」


ひとさらいよ」


「よろしくね」


安楽死あんらくしもね」


「ん? それの何がいけない? そちらをめられるとは思わなかった。本人ほんにんたちからちゃんと同意どういている。死にたいと思うのは個人こじん自由じゆうだ。個人こじんの思いは尊重そんちょうしてしかるべきだろ?」


「魔石をネコババしてるとか」


「……ああ、それはたしかにいけないことだと思っているよ」


「何のためにそんなこと」


「魔女にあげているんだよ」


「なぜ、そんなものしがるの?」


「それは知らない。父親ちちおやも知らないそうだったからね」


父親ちちおや? それってどういう……」


「魔女への協力きょうりょく大昔おおむかしからだ。ロシ代々だいだいね」


「あんたたちはなに? 魔女の手下てしたなにかなの?」


「いいや、違うよ。協力きょうりょくするわりに見返みかえりをているのさ」


見返みかえり?」


「ああ、ここの建築けんちく協力きょうりょくしてもらっている。いくら僕たちの一族いちぞく建築けんちく天才てんさいといっても、さすがにここまでの地下空間ちかくうかんつくれないよ。現代げんだい科学力かがくりょくじゃ不可能ふかのうだ。それにね、魔女のおかげなかゆたかになって、人類じんるい趣味しゅみうつつかすことができるようになったんだ。それはよろこんで協力きょうりょくもするよ。僕はほら、趣味人しゅみじんだから」


 セラメントは、両方りょうほうひらこしの横で広げ、自身をしめした。


「あたしはこれから宝石ほうせきえられるわけね」


「いや、違うよ」


「え?」


「僕は今から、きみう」


 セラメントはりのある声で言った。その表情ひょうじょう真剣しんけんで、まるで誰かに愛をちかうかのようだった。


「……うそでしょ? なに言ってんの……」


うそじゃない。僕はべるばかりじゃないんだ。たまに料理りょうりもするんだよ」


 セラメントは世間話せけんばなしでもするように平然へいぜんとした口調くちょうで言った。


「ここはね。下処理場したしょりじょうなんだよ」


「……じょ、冗談じょうだんでしょ」


「本当だよ。しんじてくれ」


 けられる真剣しんけん眼差まなざしに、ミュートは奥歯おくばんだ。しかしそれはなかなかわず、カタカタと音を立てた。


ひとさらいと魔女への協力きょうりょくべつだよ。魔女への協力きょうりょくは、この町を維持いじするためにやっているんだ、まあ言わば仕事しごとだよ。だけど、ひとさらいは、今のこれはね? 僕の趣味しゅみなんだ」


趣味しゅみなに言って……」


うつくしいご婦人ふじんしょくするのさ」


「ど、どうしてそんなこと」


「だから、趣味しゅみだよ、趣味しゅみ。まあこのみのタイプでなければ、宝石ほうせきえることもあるがね。宝石ほうせきえてしまえば一緒いっしょだから。そうであればあいえる」


あいえる?」


「こうしてめるんだ。口寂くちさみしいときに」


 そう言ってセラメントは、ふところから宝石ほうせきを取り出し、くちほうんだ。じ、わずかにあごらし、くちなか宝石ほうせきころがしている。ミュートは一瞬いっしゅんき気をおぼえたが、かろうじてそれをおさえた。


「……なんで人間にんげんなんかべるわけ。そんなにうまいの」


 セラメントはふところから真っ白なハンカチを取り出すと、それで口から取り出した宝石ほうせき丁寧ていねいいた。よごれ、くもりがないのを顔に近付け点検てんけんすると、ハンカチと一緒いっしょふところもどした。なにわるさでも見付かった子供のような、れた表情ひょうじょうを浮かべたかと思うと、セラメントはすぐに表情ひょうじょうもどした。


人間にんげんはそもそも、食用しょくようとしてそだてられていない。味付あじつけは精一杯せいいっぱいするけれども、あじ家畜かちくくらべれば数段すうだんおとる」


「……だったらなんで」


「これはねフェティッシュの接種せっしゅなんだよ」


「は、はあ?」


乙女おとめしょくする「ぼく」の意義いぎぶかさをあじわうのさ。うつくしい乙女おとめむさぼる「ぼく」。その状況じょうきょうあじわうのさ。全体ぜんたいをイメージして、俯瞰ふかんで見る。ほら、雰囲気ふんいきって大事だいじだろ?」


 口調くちょうだけなら本当に優雅ゆうがで、まるでお茶会ちゃかい段取だんどりでもかたっているようだ。


あたま、おかしいんじゃないの」


「ほら、価値観かちかんは人それぞれだから」


「なにが価値観かちかんよ」


「それでね? その価値観かちかんかたってしいんだ。きみ価値観かちかんを。それも工程こうてい一部いちぶなんだ。きみの人生をかたってみせてくれ」


「なんでそんなことを」


「じゃないと、きみ苦悶くもん表情ひょうじょうをよくあじわえないからさ。きみなにを考え、なんのために生きているのか。何によろこびを感じ、何にくるしみを感じるのか。それを教えてくれ。いのちについて。人について。世界について。なんでもいい、かたって聞かせてくれ。いいかい、命乞いのちごいはそのあとだ」


「どうせ、殺すんでしょ。ずいぶんらすのね。くだらない」


「うーん。どう説明せつめいしたもんかな。……かるかな、きみはフルコースなんだ。やはり料理りょうり基本きほんはフルコースだろ? 最大限さいだいげん食材しょくざいあじわいを引き出さなくては、食材しょくざいに失礼だ」


「じゃあ、しゃべらなきゃ、あたしは殺されないわけだ」


 ミュートは、片目かためゆがめ、べろを出し、セラメントを挑発ちょうはつした。セラメントは一歩いっぽ前に踏み出し、身をかがめ、ミュートの顔をのぞき込んだ。


「僕はグルメだけれどね、そんなに上品じょうひんじゃないんだ。あくのいたスープだって、たまにべると美味うまいものさ。えぐみだって味覚みかくの1つだからね。ぶた丸焼まるやきだって大好きだ。……きみみたいな子はたくさんいたよ。料理りょうりのし甲斐がいがある。そういうのってあるだろ? たとえばエビなんかは、やはり自分でかなきゃ物足ものたりないよ。赤いからを自分のゆびよごしてぐ。なんだか今のきみみたいだ。赤いドレスを着て、本当にきがいい。だけどね、どんなエビもいたら一緒いっしょさ。のエビは真っ白け」


「おーこわこわい」


なんならおどいだってためしたことがある」


「え?」


「まるで初恋はつこいみたいなあじがするんだ。たまには悪くないよ、初恋はつこいあじを思い出すのも。きみは、どんなふうに、べられたい?」


 セラメントの真っ赤なひとみが、さらに赤みをびたように、ミュートは感じた。どこか半信半疑はんしんはんぎだったミュートはそこで、さとる。自分はこいつにわれるのだと。自然しぜんなみだこぼれ、身体がふるえた。しかしそれは、おそればかりのためではなかった。

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