僕たちはそれから、さらにいくつかの工場を見学けんがくさせてもらった。深夜しんやだというのに稼働かどうしている工場もあって、一瞬いっしゅんおどろくけど、すぐにその必要がないことに思いたった。ここには昼も夜もないんだ。

 工場から引き上げ、螺旋らせん廊下ろうかもどり、僕たちは散歩さんぽ再開さいかいした。

 王様が先頭せんどうで、うしろにみの2人、そしてそのうしろに、僕とミュートとならんでいた。


「どうだい? もうねむいかい」


 王様は、前を向いたまま声をはっした。


「僕はまだ、全然ぜんぜん


 視界しかいすみさわがしくて横を向くと、ミュートは手でバツを作って、いかがおかべていた。口裏くちうらを合わせてほしかったみたいだ……。でも、もう返事へんじをしてあとの祭りだ。


「それじゃあ今度こんど美術びじゅつ鑑賞かんしょうだ」


 王様の案内あんないおとずれた部屋はかなり広さがあり、かべにはたくさんの絵画かいがが掛けられていた。大小だいしょう様々さまざま風景画ふうけいが人物画じんぶつがは、どれも精密せいみつで、まるで実物じつぶつのようだ。おそらく、廊下ろうかならんでいる女性の絵と作者さくしゃが同じなんじゃないかと思う。絵に見惚みとれる僕に、王様は悪戯いたずらっぽい声を掛けてきた。


素晴すばらしいだろう?」


「は、はい。本物ほんものみたいです」


 僕たちは各々おのおの、好きな絵を鑑賞かんしょうした。絵をじっと見ていると変な感覚かんかくになる。まった世界に、こっちの心までめられてしまうような。こちらを見詰みつめるかわいたひとみに、自分の目の水分をうばわれていくような。そんな感覚かんかく

 突然とつぜん、王様のやさしげな声が聞こえた。ミュートに話し掛けたようだ。


「ミュートくん、その、あやまらせてくれないか」


なにをです?」


 ミュートはツンとしている。


「今日おとずれたばかりのきみ突然とつぜん、それもかなり強くせまってしまった。本当にもうわけない」


「そ、そんなべつに……。いえ、分かっていただけたならうれしいです」


 ミュートは表情をゆるめた。


「どうにもね、僕は昔かられっぽくて……。それに、跡継あとつぎのことでここのところ、みんなに色々と言われていてね。あせりもあったものだから……」


「いいんですよ。気にしないでください」


「その、ゆるしてもらったばかりで、なんだ、その、こんなお願いするのは失礼かもしれないんだが……」


「お願いですか?」


きみの絵をかせてもらえないだろうか」


「……」


 王様の言葉を受けたミュートは、それこそ絵のようにかたまっていた。


「だめだろうか?」


「……いや、でも、王様、き、綺麗きれいな絵がたくさんあるし、あ、あたしなんか、ほら、キレイじゃないし、だから、あの……」


「いや、僕はきみ一目惚ひとめぼれをしたんだ。きみうつくしいよ」


 ミュートは一歩いっぽ後退あとずさりする。


たのむ、せめて絵だけでもかせてもらえないだろうか」


「……うーん。……でも、うーん。分かりました。……少しだけなら」


「本当かい!」


 王様は、子供のような笑顔を浮かべよろこんだ。ミュートの手を取り、上下じょうげっている。よっぽどうれしいんだろう……ホントに子供みたいだ……。


「今からでもかまわないかい。もうねむいかな?」


「い、いや、ねむくないです、でも、絵なんて、そんなにすぐできないんじゃあ? べつ明日あしたでも……」


「そのてん心配しんぱいない。絵の天才てんさいがいるからね」


天才てんさい?」


「ああ、このおくで、おそらく今も絵をいているだろう。さっそく行こう」


 そう言って王様はミュートの手を取り、部屋のおくとびらけて、なかに入っていく。僕と双子ふたごの2人もそれに続いた。

 小さな部屋のなかでは女の人が絵をいていた。僕たちに気付いて、不機嫌ふきげんそうな顔を向けた。絵の邪魔じゃまをされておこったのかもしれない。

 女の人は真っ白な白衣はくいを着ていて、所々ところどころよごれていた。真っ白なベレーぼうを被り、かみはそれにすべて入れ込んでいた。


「ああ、ごめんね。レイビー。絵をいていたのかい?」


「ええ、まあ」


 女の人はあきがおを浮かべている。王様にすごい態度たいどだ……。


「すまんね。きゅうもうわけないんだが、このかたの絵をえがいてくれないだろうか」


 女の人は椅子いすから立ち上がり、こちらに近寄ちかよってきた。


「どうも、レイビーです」


「あ、ミュートです。すいません、突然とつぜん……」


「そっちは?」


「僕はサンデーです」


「ハスコムと」「レムコムです」


「それは知ってる」


「もっと」「知ってー」


「はいはい、あとでね」


「それで、とのめるかい?」


 レイビーさんは王様に顔を向けることもせず、ミュートの顔をじっと見ていた。


「……いいですよ。おもしろそう。おもしろい顔してる」


「……な」


「ああ、ごめんね。ごたえがありそうってこと。あごのラインがいい感じだ」


「……はぁ」


「それじゃあ、すわって」


「……は、はい」


 ミュートは、さっきまでレイビーさんがすわっていた椅子いすすわらされた。レイビーさんはそのまわりをゆっくりと歩きながら、まわすようにミュートを観察かんさつし始めた。ミュートはをよじりモジモジしている。


「あれは何を?」


 僕はこっそりと王様に耳打みみうちした。


「ああ、記憶きおくしているんだよ」


記憶きおく?」


「言ったろう? 彼女は天才てんさいなんだ。一度いちど見たものは忘れないんだよ。彼女は対象たいしょうを見ずに、記憶きおくだけでえがくんだ」


「す、すごいですね」


しんじられん話だが、その方がうつくしい絵がえがけるんだ」


 レイビーさんはミュートに近寄り、顔まで寄せて、目を見開みひら凝視ぎょうしし始める。ミュートは顔を真っ赤にしていた……。


「……いい耳の形をしてるね……。……目も見せて、ほらずかしがらないで……」


「は、ずかしいことはない……」


「いいから、こっち向いて」


「う、うん……」


 レイビーさんは、ミュートの肩に両手を乗せて、キス一歩いっぽ手前てまえというくらいまで顔を寄せた。


「よし、いいよ。おぼえた」


 そう言ってレイビーさんは、ミュートから手を離し、姿勢しせいただした。


「え? おぼえた?」


 ミュートはなんのことか分からず困惑こんわくしていた。


「もう、いいよ。ほら、邪魔じゃまだよ。そこで絵をくんだから」


「え? えぇ?」


 首をかしげるミュートに僕は、王様から聞いた話を聞かせた。するとミュートも僕と同じようにおどろいていた。


「それじゃあ、明日あすの朝には、出来上できあがると思うから」


明日あすの朝?」


 ミュートが声を上げる。


「彼女は速筆そくひつ天才てんさいでもあるんだ」


才能さいのうあふれすぎ!」


 僕たちはその散歩さんぽえて、部屋に引き上げた。王様とはわかぎわに、出来上できあがった絵を朝食ちょうしょくあと一緒いっしょに見に行こうと約束やくそくをしていた。


「絵だけでんでよかったね」


 僕はまたミュートの部屋に来ていた。


「うううーん」


 ミュートはうでみ、首をこれでもかとかたむけ、目をじ、まゆを寄せ、むずかしい顔をしていた。


「どうしたの?」


「あたしの絵が毎日まいにち誰かに見られるなんて、なんというか、うーん」


ずかしい?」


「いや、ずかしいことはない」


「そうなの?」


「うーん。なんだろう、この気持ち……」


「それより、どうする?」


「……もう、どうしようもないわよ」


「……じゃなくて、部屋だよ。ホントに別々べつべつの部屋でねむる?」


「なにー? こわくてねむれないのー?」


 ミュートは満面まんめんの笑みを浮かべた。


「……違うよ。用心ようじんしなくていいかってこと」


「大丈夫じゃない? なんだかさ、あの王様も変わってるけど、そんなに悪い人じゃなさそうだし。うわさひれが付いただけなんじゃないかって気がしてきた」


「そう? でもなにかあったら……」


「まあ、そのときは大声おおごえ出すからさ。隣部屋となりべやだし聞こえるでしょ」


「んー。分かった。じゃあ、僕はもどるよ。おやすみ」


「おやすみー」


 自分の部屋にもどり、しばらくするとノックの音が聞こえた。とびらけると、そとには双子ふたご片方かたほうの子が立っていた。配膳はいぜんのトレイに湯気ゆげの立つカップをせている。


「えっときみは……」


 2人ともみになってしまったから、どちらだか分からなかった。


「レムコムだよー。ミルクティーをお持ちしましたー」


 そう言ってレムコムは部屋のなかに入ってくる。


「えっ? でも僕、飲めないよ……?」


「あっ……そうだった……寝るときもダメなんだ?」


「うん。ごめんね。せっかくれてもらったのに。そうだレムコム、飲んじゃいなよ」


「……でも、お客様きゃくさまのだし、いいのかな?」


「大丈夫だよ。ここで飲んじゃえばバレないよ」


名案めいあん


 レムコムは行儀ぎょうじよく椅子いす腰掛こしかけ、おちゃを飲み始めた。


「あちっ」


「だ、大丈夫?」


平気へいき出来立できたてホヤホヤだわ。あちっ」


「……そんなにあせらなくても。僕にめられたって言えばいいから、ゆっくり飲んで?」


「うん。ありがとう」


「おいしい?」


「うん。なんだか、とってもあまい」


「そっか」


「それに……」


「なに?」


「こっそり飲んでるから、ゾクゾクしたおあじがする」


「……そ、そう」


「……つまみいのおあじ


「ははは。色々いろいろと悪いこともしてるんだ?」


「えへへ。うん」


「よかったら、聞かせてよ。このお城でのこととかさ」


「いいよ。……そうねえ。あれは私が若かった頃のことなんだけど」


「……う、うん」

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