僕が料理りょうりを食べないのを聞いているのか、王様は何も言わないでくれた。そればかりか、給仕きゅうじの人に言って、小さな画集がしゅうを用意してくれた。それには、どうやってえがいたのか想像そうぞうできないような、緻密ちみつ綺麗きれいな絵がたくさんじられていた。


「これなら、目であじわえるだろう?」


「す、すみません。気をつかわせてしまって」


「いいんだよ」


 ものを食べられないとこういう時、手持てもち無沙汰ぶさたになってしまうことがあるから、ありがたかったし、何よりも、その気遣きづかいが素直すなおに嬉しかった。

 僕はみんなと話しながら、時折ときおり画集がしゅうをパラパラとながめた。どれもすごい絵だった。どんなほそふでを使えば、こんなものがけるのかと僕は感心かんしんしっぱなしだった。


「ホントに食べなくていいのー。おいしいのにー」


 とハスコムは幸せそうな顔を僕に向けた。


「うん。ごめんね。じゃあさ、どんなふうにおいしいか教えてよ」


「そうねえ。これはしょっぱいし。こっちのはちょっと、っぱい」


 ハスコムは、おにくやおさかなをパクパク食べながら解説かいせつしてくれた。


「はは。そっか」


「いいおあじ


 ハスコムは付け合わせの香味野菜こうみやさいも口にはこんだ。


「これは複雑ふくざつね。私のしたじゃ、手にえない」


「そ、そう……」


 その時、王様がミュートに声を掛けた。


「ミュートくん、おさけはいいのかい?」


「あ、いえ、遠慮えんりょしておきます」


「こんな時間だ。今日はとまっていくだろう?」


「え、でも……」


「なんだったら、何日なんにちとまって色々いろいろと勉強していくといい」


「よ、よろしいんですか?」


「ああ、かまわないよ。だから遠慮えんりょせずに」


「あー、えーと、それが……」


 ミュートは、メローさんにも話していた自分のおさけの話をして、王様をおおいに笑わせた。スラスラと口から出るあたり、話慣はなしなれているのだろう。


「ふふふふ! おさけの飲み始めはそんなものだよ。気にしなくていい。まあしかし、自覚じかくがあるのはいいことだよ」


「そ、そうですか?」


「ああ、そうさ。でなければ自制じせいなんてできないからね。そして何よりも、自分のしてしまいそうなこと、やってしまいそうなこと、そういうのはつねに考えて置くべきさ。すのを見越みこして置かなくては」


「はあ……」


「それでなくても、おさけは時間をうばう」


「時間?」


「ああ。飲みぎれば健康けんこうそこない、人生の最大時間がってしまう」


「まあ、飲みぎたなら、そうですね」


「それだけじゃない。気が付くと、翌朝よくあさなんてこともある」


「ああ、身におぼえが……。でもそれも、飲みぎでは?」


「ああ、そうだね。こっちは時間をスキップしてる。持ち時間をてたわけだ。神様か夢かが、時間を食べてしまったわけだ。ああ、時間はさぞ美味おいしいんだろうね」


「……。そうですね。フルコースのあじがしそう」


「ふふふ。まさにそうだよ。時間はすべてにひとしいのさ。命そのものといっていい。おさけというのは極限きょくげんまでうすくした、自害薬じがいやくなんだよ。ロマンティックに言えば、未来への片道切符かたみちきっぷ。未来への時間旅行じかんりょこうさ。おさけを共にわすのは、その相手と少しだけ心中しんじゅうすること。少しだけ、未来にたびをすること」


「でも、それだって飲みぎなければ……」


「同じだよ。どんなに少量しょうりょうだろうと、さけは、思考しこういてゆるめてしまう。わずかだろうと、時を進めていることに相違そういない。そしてその自覚じかくが、さけあじを引き立てるのさ。おさけを楽しむコツは、自虐的じぎゃくてきになることなんだ。時間のしたたるのをあじわうのさ。さけを飲むというのは、自分の意思いしで時を進める行為こういだ。その自覚じかくを持つことは本当に大切なことだと思うよ」


「勉強になるわ、王様。でも、あたしには早いみたい。おさけも、恋も」


「そんなことはないよ。そういったものはね、ためしてみないと分からないものだよ」


「そうかしら?」


 なんだか少し、ミュートがピリピリし出した。失礼なこと言わなきゃいいけど……。


「そうさ。苦手にがてな食べ物と一緒いっしょさ。どんな食べ物も、何度も口にするたび抵抗ていこうがなくなっていく、一口ひとくち、また一口ひとくち。そうするうちに、いつのにか好物こうぶつに変わる」


「そんな簡単かしらね」


「ああ、そうだよ。人間はね、その気になれば、何だって、食べられるようになる。考えてもみるんだ。たとえば、目の前の、このにく粘土ねんどをこねて作ったわけもあるまい? これは動物どうぶつにくだ。考えてみると何て残酷ざんこくなんだって思うだろ?」


「そ、そんなこと言ったら……」


「そうだね。僕たちは生きていけない。命を維持いじするには命をらうしかない。だけどね。このにく寿命じゅみょうまっとうした動物どうぶつなんかじゃない。ごろになったからと、収穫しゅうかくされたんだよ。ブドウのように、くるっと一捻ひとひねりされてね。このにくの『美味おいしい』はね? 生きられるはずだった命のあじなんだよ。これもまた時間だ。この肉汁にくじると、やわらかいにくり取った時間のあじなんだ」


 そう言って、王様はにく一切ひときれ口にはこび、うまそうにみながら、口の前に手を持っていき、口の前の虚空こくうを軽くにぎ動作どうさを、数回すうかい繰り返した。


「本当に意義いぎぶかあじわいだよ。そう思ってあじわえば、格別かくべつだろう?」


 その時、ハスコムが耳打みみうちしてきた。


「……おにいさん。どういうこと?」


「……う、う、うーん。ゆっくりんで、あじを楽しもう、ってことかな……?」


「なるほど、ふかいわね」


 ハスコムは、また香味野菜こうみやさいを口にはこび、目をじてしぶい顔を浮かべた……。


「だけど、大概たいがいの人はそんなこと忘れているよ。にくのことを、あじの出る板切いたきれか何かだと思っている。美味おいしくらうために、そう思い込んでいるのさ。忘れるのもひとつの調理法ちょうりほうだ、罪悪感ざいあくかんくんだ。そうして、少し薄味うすあじにするわけさ。まあ、僕なんかは味付あじつけが好きだけどね。

 つまり人間は、あの手この手で、食べられるものをやしてきたんだ。それは今だって続いている。美味うまいものをうために。自分たちの趣味しゅみのためにね。生きるためじゃない、趣味しゅみのためさ。分かるかい? 同じあじではつまらないから、僕たちは動物どうぶつたちをあやめているのさ。その自覚じかくは持つべきだよ。たまにでもいいからね」


「それは……はい」


「そう、しょげないでくれ。僕は倫理的りんりてきにどうこう言ってるわけじゃないんだ。どうしたら、意義深いぎぶかく生きられるかと、それだけなんだよ。人生を楽しむにはね、うやまいの心が一番いちばん大切なんだよ。それさえあれば、大概たいがいのことは楽しくなる。うやまいは最高のスパイスなんだ。うやまいの心さえあれば、どんなこともゆるされる。人に優しくできる。いろいろなものに目を向けられる。

 そしてね、そんなことができるのは、人間だけなんだ。うやまいと趣味しゅみこそが、人間を、人間たらしめるものだよ。魔石のおかげゆたかになり、人間はこれから益々ますます趣味しゅみに走っていくよ。今にこの趣味しゅみあふれるだろう。本当にあふれるのさ。これから人はどんどん増えていく、それにれて、趣味しゅみの数も加速度的かそくどてきに増えていく。美味うまいものを作るために土地とちを使い、時間潰じかんつぶしのおもちゃを作るための工場に土地とちを使い、あそ土地とちを使い、どんどん手狭てぜまになって、私たちの居場所いばしょはなくなっていく。私たちはいずれ、趣味しゅみいやられるだろう。

 そしていつしか、む場所さえも、趣味しゅみわたすに違いない。そしたなら、家をみ上げるか、ここのようにあなってらすしかなくなる。そんなのって、おわらぐさだろ? そう思うだろ?」


 なんとも返答へんとうのしづらい投げ掛けだ。ここはまさに、そのあななかなんだから。


見晴みはらしがよくて、悪くないかも」


「ここはきらいかな?」


「まさか、素敵すてきなところだわ。機会きかいがあったらぜひ、また来たいわ」


 ミュートの言葉に、とげが出始める。空気を変えようと、僕はハスコムに声を掛けた。


「ねえ、ハスコム」


「なーに?」


「デザートはなんなの? 料理りょうりと同じで豪華ごうかなのかな?」


「そうよ。おっきなケーキよ。ウエディングケーキまではいかないけど」


 ミュートの方を向くのがこわくて、僕はしばらくのあいだ、ハスコムとしゃべり続けた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る