「お前らあ! 今すぐ逃げろ!」


 団長の号令ごうれいで広場に集まっていた人たちはわれに帰り、蜘蛛くもの子をちららすように一斉いっせいに逃げ始めた。でも、ダメだ……! こんなに人が集まってるんだ、到底とうていに合わない……! 多分、少しもしないうちに、町は花粉かふんみ込まれる。


 僕たちをおさえていたやつらも、あわてて逃げていった。僕とミュートも、ダリ君をれて逃げようとしたけど、どの道も、路地裏ろじうらさえもが人であふれ返っていた。僕たちはマスクをしているから花粉かふんを吸う心配はない。でも、すぐ目の前にいる人たち全員が暴徒ぼうとになるんだ。こんなにたくさんのおおかみかこまれて、無事ぶじむはずがない。


「なにしてるの!? 団長さんも早く逃げて!!」


 突然、ミュートがさけんだ。見ると団長は松に近寄り、呑気のんきに空を見上げていた。


「はははは! どうやら、祭りは仕舞しまいらしいな! そのガキの言う通りな! 畜生ちくしょォ! いけると思ったんだがよお! はははは! 呆気あっけねえぜ、まったくよお!」


「いいから、逃げて!」


「お前らは行けよ! 俺はのこらせてもらう! 俺は、俺の祭りをぶち上げる! 団長のりたんだ、好きにするさ! これもいいかもしれねえ! 死ぬ前に本当の自分に戻れるんだからよ! 俺はもとは踊り子だったんだ! 役目やくめだからと太鼓たいこ必死ひっしおぼえて叩いちゃいたが、自分で叩く太鼓たいこに俺は、踊りたくてうずうずしてたんだ! それも終わりだ! ははははははは! 悪くねえ! これも悪くねえよ! ははははは! 俺はなんて幸せ者なんだ! 踊りながら死ねるなんて! ははははははは!」 


 団長は空を見上げながら踊り始めた。楽しそうに笑いながら。太鼓たいこを叩く姿とはって変わり、無邪気むじゃきな表情で、繊細せんさいかろやかなステップを踏みながら。

 もう花粉かふんはすぐそこまでせまっていた。なのに少しも前に進めない。みんなパニックを起こしていて、道は完全に人でまってしまっていた。


 あたりでかれている炎を受けて、花粉かふんは赤くまっていた。それが音もなんにもさせないで、ゆっくりと近付てくるのは本当におそろしかった。さけび声でも上げてくれていた方がまだいい。少し目を離すと、予想よそうよりもずっとそばに近付いている。もう本当の空はすっかり消えてしまった。もう赤しか見えない。


 そして、いよいよ町が花粉かふんまれるという時、一陣いちじんの風が吹いた。


 突風とっぷうなんてもんじゃない。突風とっぷうがずっと続いているような、すさまじい風だ。花粉かふんは風に運ばれ、あっという間に消えてしまった。もとからただよっていた花粉かふんすらきれいさっぱり消えていた。松の花粉かふんは、今の風であらかた飛ばされたのか、新たに落ちる様子もない。だから広場の空気はきれいにんでいた。僕たちをふくめ、辺りの人たちはしばらくのあいだ放心ほうしんしていた。町の喧騒けんそうはやみ、とても静かだった。この町をこんなに静かだと感じたのは、初めてだった。


「これって……」


 自然現象しぜんげんしょうでこんな風が吹くとは思えない。僕たちは少し前に、こんな風に吹かれたことがあったはずだ。


「あいつだわ……」


 そよ風の町で僕たちをおそった、黒鎧の男だ。


「どうなってやがんだ……」


 団長は地面に腰を下ろし、空を見上げていた。


「おいガキ、これもお前の仕業しわざか?」


「違う、僕だって、なにがなんだか……」


 その時、僕たちは町の住人に取りかこまれた。さっきまで僕たちのことをつかまえていた連中だ。じりじりと距離をめてくる。また、僕たちをつかまえる気だ。


「やめろ!」


 それを、団長は声を上げてせいした。


「んなことより、さわぎをおさめてこい!」


 その声を受けて、周りの人たちはっていった。


「いいんですか?」


 僕は団長に問い掛けた。


「ああ。それよりお前ら、ちっとこっち来いや」


 僕たちは顔を見合みあわせて、一瞬いっしゅん戸惑とまどいながらも、団長に近寄って行った。すると団長は右手を伸ばし僕たちに向けると、人差し指を立て、手首を素早すばやげて、下に2回振った。座れということらしい。僕たちはそれにしたがった。


「おいガキ。なんでこんなこと、仕出しでかしたんだ?」


「ガキじゃない。僕はダリだ。ダリ・ブラスだ」


「ああ。悪かっ……ああ? 今、ブラスつったか?」


 団長はダリ君の顔をまじまじと見詰みつめた。


「……ああ、そうだよ。な、なんだよ?」


「サックを、いや、サークス・ブラスを知ってるか」


「そりゃあ知ってるよ。親父おやじだもの」


「ははは! そうか、サックのガキか。あいつにガキがいたとはな! ははは!」


「だから、ガキじゃない」


「ああ、悪い。そうかよ、あいつに息子がなあ。んなことひとつも知らなかったぜ」


「僕たちのことなんて、きっと、どうでもよかったんだ……お祭りに夢中むちゅうで……どうでもよかったんだ……」


 団長は少しの沈黙ちんもくあとまゆを寄せて、思いのほか優しい声で言った。


「……そうか? どうでもいいんなら、べらべら喋るんじゃねえか? 人はよ、どうでもいいことほど、簡単にべらべら喋るもんだ。かたくなに言わねえってことは、強く思ってるってことさ。うしろめたさがあったんだろうよ」


 ダリ君はローブのすそつかんで、強くにぎめていた。


「だからなんだよ! だからって、帰って来なかったらなんの意味もないじゃないか! 僕たちを置いて死ぬなんて……! あんたが、そそのかさなきゃパパは今頃いまごろ……」


 団長をにらんだまま、ダリ君は涙を流し始めた。団長はめずらしく狼狽うろたえていた。


「俺は別に、そそのかしちゃいねえよ。ただ俺は……」


 団長は言葉を切り、長い息を吐き出した。


「……いや、実際じっさい、そうかもしれねえなぁ。あいつは、サックはあつい男だったんだ。最初はよ、いけすかねえ優男やさおとこだって思ったさ。ところがどうだよ? 俺は世界一の笛吹ふえふきだって自負じふをよ、ギラギラさせてやがるんだ。正直しょうじきれたぜ。こいつとなら、やれるかもしれねえ、祭りを終わらせられるかもしれねえ、そう思った。俺は、それを顔に出しちまったんだろうな。それは、そそのかしたと同じかもしれねえ」


 たしかにこの人には、独特どくとくのオーラがある。付いて行きたくなるような。くしたくなるような。賛同さんどうしたくなるような。そんなオーラだ。カリスマせいってやつなのかもしれない。そして自分ではコントロールできないのがさがでもあるんだ。


「……僕が我慢がまんならないのは、パパをき込んでおいて、この町の連中には祭りを終わらせる気がないってことさ!」


「そんなことねえ」


「あるよ! これならいける、終わらせられるって時に決まって、きたない大人たちが邪魔じゃまするじゃないか!」


「どういうことですか?」


 僕の問い掛けに、団長は頭のうしろをきながら視線しせんを下げた。


「あー、いるんだよ、そういう手合てあいが。祭りを終わらせたくねぇって連中がな。この祭りでもうけてるやつらさ。だいたいが外様とざまだがよ。こそこそと俺たちの邪魔じゃまをすんのよ」


「だから絶対にパパのねがいはかなわない。だからこんな祭りぶっこわしてやろうって、松をいつかぶった切ってやろうって思ってた。でも、ひらめいたんだ。爆発させればいいんだって。松も! 祭りも! 人の感情も! これならパパのねがいだってかなう! だから僕は!」


「そんなの祭りじゃねえよ」


「同じでしょ? 松を吸って狂うのと何がどう違うってんだよ!?」


「そういうことじゃねえ。祭りってのはルールにのっとってやんなきゃ、意味ねえんだよ」


「なにがルールだよ……人だって殺してるのに……!」


「自分たちで決めたルールだよ。それからはずれちまったら、満足も成就じょうじゅもなんにもなくなっちまう」


「でも、終わらないんじゃあ!」


「心配すんな」


「え?」


「俺が終わらせてやる」


「……! そんな、できもしない約束なんて……!」


「約束するって言ってんだ」


「いい加減かげんなこと……」


「俺はやるさ。実際じっさいにな。俺んなかじゃ、もう算段さんだんは付いてる。俺のだいで終わらせる。それをお前に見せてやる」


「できなかったら……?」


「俺はそんな約束しねえよ」


「な、なんだよ、くそっ……。僕はそれでも信じない。でも、もしできたなら……おいわいくらいなら、してもいい」


「ああ。そりゃあいいな」


 少しの沈黙ちんもくのち、ダリ君は涙をいて言った。


「絶対だぞ」


「ああ」


 団長の笑顔は優しげだった。意外と、子供好きなのかな、なんて思った。多分、カッコ付けな大人はみんなそうなんじゃないかな。僕にもよく分からないけど。


「ところで、お前」


「なんだよ?」


親父おやじ形見かたみ、持ってけよ。ふえ腕輪うでわが俺んにある」


「いいの?」


「お前がいるんだ。俺が持ってたって、しょうがねえさ」


「あ、ありがとう! ……い、いや、そりゃそうだよ。当たり前だよ」


「ははは! そうだな。まあ、明日にでも取りに来いよ。ったやつらが戻って、今に俺は大忙おおいそがしさ。今夜は眠れそうにねえ」


 それを聞いてダリ君は、ばつの悪そうな顔を浮かべた。


「それにお前らもおくってやんねえとな」


「えっ? あたしらは別に……。ねえサンデー?」


「うん。僕たちは……」


「タレコミは町中まちじゅうに広まってるみたいだぜ」


「……ご、ごめん」


 ダリ君は、ますますばつの悪そうな顔になる。


「だからよ、宿やどまでおくってやるよ。店主てんしゅには俺から話を通してやるさ。町のやつらにも伝えなきゃな……そうだな、明日の昼くらいには表に出ても大丈夫だろ。それまでは宿やどでおとなしくしてるんだな。また、勘違かんちがいでおそわれんのはごめんだろ? ……まぁ、こんなさわぎだ。うるさくて寝れねえかもしれねえが、とこがあるだけいいだろ?」


 たしかに、もうあんなに怖い思いはごめんだ……。


「お前はどうする?」


 団長はダリ君に問い掛けた。


「僕は、おりの町に戻るよ」


「そうか、それじゃあいくか、付いてこい」


 そう言って団長はゆっくりと立ち上がった。視線しせんを上げた先では、松の葉がれていた。花火のせいで、少しだけ葉っぱの影はけずれていたけど、全然ビクともしていない。その向こうの空では、星が輝いていた。いつかこの町の祭りが終わって、つたえの通り、花粉かふんが出なくなったなら、きっとこんな空が広がるんだ。それならこの松だって悪くないかもしれない。こんなに大きな松だもの、見上げずにはいられない。星を見るのを忘れる日がなくなるなんて、少し素敵だなって思った。

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