「僕は、ダリ。ダリ・ブラス」


 男の子あらため、ダリ君はそう自己紹介してくれた。場所は僕たちが取った宿やどの1階にある飲食店。僕の向かいには、ミュートとダリ君が並んで座っている。マスクわりの布を外したダリ君の顔はすごくととのっていて、まるで女の子みたいだった。あの路地裏ろじうらでたくさん泣いてすっきりしたのか、表情はほがらかだった。


 店内はやっぱりんでいて、店員さんはなかなか注文を取りに来てくれない。

ダリ君が泣きやんだ頃にはあたりは暗くなってしまっていた。ダリ君にこのあとはどうするのかと聞くと、今日は祭の町に泊まるとのことだった。なんでも秘密のアジトがあるらしい。お母さんのところに帰ってあげないでいいのかと聞くと、少し後ろめたそうに、夜にスリをすることもあるから、よくあることだと答えてくれた。それで、ダリ君をご飯にさそって、今にいたる。

 というか、ブラス……? どこかで聞いたか見たかしたような……?


「あ」


「え?」


「なによ?」


 思い出した。おりの町で祭の町の場所を教えてくれた女の人、あの人の家の表札ひょうさつに確か『ブラス』って書いてあったような気がする。琥珀色こはくいろのブレスレットをしていたのが何故だか印象に残っていた。


「ちょっと、なに固まってんのよ?」


「あーごめん。ダリ君、えっと……」


 僕はその女の人のことを話した。


「そりゃ多分、おふくろだな。……これだろ?」


 そう言ってダリ君は左肘をテーブルに乗せて、ローブのそでをまくった。手首には琥珀色こはくいろのブレスレットがはめられていた。


「ああ、うん。間違いないと思う」


「なに~ダリ~。さっきはママって言ってたのに~。ちゃんと呼びなよ~」


「うん。ごめんね。『おばあちゃん』」


 そう言って、ダリ君はミュートに寄り掛かり、ミュートの肩にっぺたをくっつけた。


「……ぐぐ」


 ミュートは何とも言えない微妙びみょうな表情をしていた……。


「分かるだろ?」


 ミュートからっぺたを離し、ダリ君は真面目な声で言った。


「おふくろを見たんならな。おふくろ以外にも、おふくろみたいな人はたくさんいる。この町に家族を殺された人、家族の帰りを待ってる人。なのにこの町のやつらは祭りしか目にうつってない。みんな松ばかり見てる。そしてさみんなで中央に寄っていくんだ、松に引かれて。

 この町はおかしいんだよ。おりの町の人ことなんて見向きもしない。傷付けた人を見もしないで、なにが祭りだよ。好き勝手やる本人はいいかもしれないよ。でも、きずなしばられてるおりの町の人たちは、どこにも行けずにえるしかないんだ。

 この町の人たちは、お祭りのいいところしか見てない。中のいいところだけ食べて笑ってる。かわは僕たちに掃除そうじさせて。……それをあの人たちは、お祭りって言ってるんだ。おりの町の人たちはかげでこの町のことを、松の町って言ってる。昔はさ、ふたつの町は元々一つの町だったらしいんだ」


「え、そうなの?」


 とミュートは小首こくびかしげた。


おりの町からここまでの荒野こうやで、建物の残骸ざんがいを見なかった?」


「ああ、あったわね。そんなの」


「うん、それが名残なごり。今みたいに建物も密集みっしゅうしてなくて、さかえていたわけじゃないらしいけど。ここの連中れんちゅうのご先祖せんぞは、松に誘惑ゆうわくされて、少しでも松に近付こうと、こぞって松の近くに家をてた。で、そのれのてが、今のこの町さ。おかしいと思ったろ? こんなせまいところにこんなに大勢で住んで、あげくあんな壁でかこって、年中パンク状態で。でもここの奴らはせまいなんて感じちゃいない。もっと松の近くに行きたがってる。

 まあ、そんなわけで、それに賛同さんどうしなかったり、付いていけない人たちは外側そとがわに残って、今の2つの町ができたってわけさ。本当にまるで違う町だよ、流れてる時間すら違う気がする。おりの町は時間がほとんど止まってるよ。死んだ人にとらわれて、誰かを待つために心を死なせてさ。過去ばっかり見てるからときが全然進まない。反対にこの町はどんどん加速していく。どんどん人が増えて、どんどん死んで。おとぎの国みたいだよ。こんなのネズミの国だ。産んだそばから死んでいくんだから。みんな、あの松にせかかされてるんだ」


「お待たせしちゃって、申し訳ありません。ご注文はお決まりですか?」


 いつの間にか僕たちのそばには店員さんが立っていた。僕たちを見下みおろし、愛想あいそうよくニッコリ笑ってた。


「お、きたきた。それじゃあねぇ……。これとこれと、これと、あと……」


「ねえ。あの……!」


 注文をするミュートにダリ君は小声で話し掛けた。


「なによ?」


「あのさ、気をつかってくれるのは、ありがたいけどさ……こんなにえねえよ」


「なに言ってんの。あたしの分よ」


うそだろ……おおかみかよ」


「ワオーン」


 ミュートは小声でそう言って、両手をかぎづめの形にして、猫みたいなポーズを取って見せた。ダリ君はそれを見て、口をへの字にしていた。


「あの、お、お客様……」


「ご、ごめんなさい。ほらあんたも好きな物、頼みなよ」


「うん。分かった。それじゃあ……」


 それでも遠慮えんりょするダリ君だったけど、ミュートになかば強引にいろいろと注文させられていた……。


「お兄さんは、頼まなくてよかったの?」


 店員さんが立ち去ったあと、ダリ君はそう言って首をかしげた。僕の身体のことを話してもよかったけど、小さい子には刺激しげきが強いかもしれないと思って、僕だけ先にませてしまったと誤魔化ごまかした。するとダリ君はミュートを一瞬いっしゅん見て、「なるほど、別で食べなきゃテーブルにお皿が置けなくなるのか。お店の人に気遣きづかってんだ。お兄さんも大変だね」と深く納得なっとくしていた……。横のミュートは苦笑いを固めている。


「でも、かぶとぐらい取ったら?」


 僕はぎくりとした。でも……。


「あ、分かった。いかなる時も油断しないんだね」


 ダリ君はなんだか僕のことを良いようにとってくれるから、助かるは助かるんだけど、なんだか少し罪悪感ざいあくかんがあった。もしかすると、騎士きしとかよろいに憧れがあるのかも。


「いっぱい、食べなきゃ大きくなれないよ?」


 と言ってミュートは頬杖ほおづえを突きながらダリ君をながめた。ダリ君は思うところがあるようだったけど、素直に「まあ、それはそうだね」と返した。

 こうして2人並んで座っているのを見ると、身長はそこまで変わらないように感じた。「ワオーン?」「はいはい、ワオン」とじゃれる姿は、まるで姉弟きょうだいみたいだった。


「にしても綺麗きれい腕輪うでわね。いい趣味しゅみしてる」


「だろ?」


 言ってダリ君はそでをまくった。


親父おやじが買ってくれたんだ。家族でおそろいだって言ってな」


「いい『パパ』だったのね」


「ああ、いい『親父おやじ』だった。優しくて。あいつらはそれに付け込んだんだ。僕は絶対にこの町のやつらをゆるさない。どんな手を使っても復讐ふくしゅうしてやるんだ。この町の全員にな」


復讐ふくしゅうって……なにをする気?」


 錯覚さっかくだろうけど、ダリ君のひとみ輪郭りんかくがドロリと溶けたような気がした。


「僕は必ず、あの大松おおまつを切り倒す」


「本気?」


 ミュートの顔は真剣だ。


「どういうことか、分かってるの?」


「もちろん」


 ミュートはダリ君の両肩をつかんで、自分の方に振り向かせた。


「殺されちゃうかもしれないんだよ」


「知ってる。この目で見たことあるよ。……旅の宣教師せんきょうしが、こんなのは間違っている、木を切り倒すべきだって、ご高説こうせつれ始めたんだ。べんの立つやつでさ、賛同さんどうするやつがぽつぽつ出るくらいには、健闘けんとうしたけど……。結局、大勢にかこまれて、殺されたよ。その大勢の中の1人が、……僕の親父おやじだった」


 ミュートの指に力が込められるのが分かった。


親父おやじはあんなことする人じゃなかったのに。ゆるせない。親父おやじを人殺しにしたあいつらを僕は絶対に……」


「だからって……君が死んだら元も子もないでしょ?」


「死ぬつもりはないよ。何か方法があるはず……」


混乱こんらんで大勢が死ぬよ。おりの町で待ってる人だって悲しむ。そうでしょ?」


「俺は人殺しの息子だぜ?」


 ミュートはダリ君がじろぐほど、両手に力を込めた。


「そんなこと言っちゃダメだよ。さっきと言ってること違うじゃない……。優しいお父さんだったんでしょ?」


「……痛いよ」


「あ、ごめん……」


 ミュートはパッと両手を放した。


「もう限界なんだ、仕返しかえししてやらないと、どうにかなっちゃいそうなんだ」


復讐ふくしゅうしたって、多分その気持ちはおさまらないよ」


「なんでだよ?」


「確かに、その場ではスカッとするかもしれないよ。でも多分、すぐにむなしくなるよ。だってなにも嬉しいことがないんだもの。苦しむ顔なんて見ても、少しも笑えないよ。それがどんなににくい相手でもね。でも復讐ふくしゅうした人はね、そんなのみとめたくないから、これで良かったんだって自分に言い聞かせるの。むなしさを無理に笑ってたら、本当には笑えなくなっちゃう。復讐ふくしゅう正当化せいとうかしたら、もう誰もゆるせなくなるよ。些細ささいなことにも復讐ふくしゅうしなきゃ気がまなくなる。君はもう、誰にも優しくなれなくなる。たとえそれが、お母さんでもね」


「なんだよそれ、意味分かんねぇよ。それでもやるよ俺は」


「ダメだよ。それに……こんなこと言うのは卑怯ひきょうかもしれないけど。松のせいで普通じゃなかったとはいえ、祭りの終わりは、君のお父さんの最後の願いでしょ?」


「あんたも、ここの連中みたいなのこと言うんだな」


 ダリ君は乾いた笑みを浮かべた。


「あたしはただ……」


 ダリ君を止めたい一心いっしんなんだ。ミュートだって内心ないしんはあんな木、切ってしまった方がいいと思ってるはずだ。団長のところで実際にそう言っていたし。だけどそう簡単にはいかないし、それと同じくらい人の気持ちだって簡単には割り切れない。何百年も続いた矛盾むじゅんを、そう簡単に解決できるはずがないんだ。


「ダリ君ごめんね。ミュートは……」


「そう。あたしはもう、君の将来しょうらいのことしか考えてない」


 そこまでか……。


「……なんだよそれ、だったら手伝ってくれよ」


「だから……話、聞いてた?」


「この町の連中じゃ終わらせられないよ。終わらせる気がないんだ」


「え?」


 終わらせる気がない……?


「お待たせ致しましたぁ」


 料理が来て、話はそこで中断になった。気まずくなった雰囲気は、ミュートの食べっぷりで少しやわらいだけど、空気はどこか固いままだった。

 なんとかダリ君を説得せっとくしたかったけど、それはかなわなかった。食事のあとも少し話したけど、ダリ君はどこかうわそらで、もう真面目に話を聞こうとはしなくなった。浮かべる笑顔は、一緒に笑うのを一瞬いっしゅんためらってしまうほど違和感があった。


「ありがとう。なんだか、昔みたいで楽しかったよ」


 入口で見送る僕たちに、ダリ君はそんなことを言った。この時に浮かべてくれた笑顔は本物だと思った。それで少し安心したけど、ぎわのダリ君の、「ごめんね」って言葉が気になった。フードを深く被ったダリ君の顔には、夜の影が掛かっていた。

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