僕たちは町の外壁がいへきのそばを歩いていた。さすがに町の外れは人の数が少なくて、落ち着いている。日はかたむき、もう夕方だった。


 団長の話を聞いたあとのミュートの機嫌きげんは最悪だった。なにを言ってもニコリともしてくれなくて、ずっとふてくされていた。機嫌きげんを取ろうと、ミュートの得意そうな輪投げにさそったらミュートの逆鱗げきりんに触れてしまったのか、「いてる」と激怒げきどされてしまった。なのにいつの間にかケロッと機嫌きげんを直してるから分からない。


 でもどうしてあんなに怒ってたんだろう? 町の異常さを目の当たりにしたあとだったからしょうがないとは思うし、ミュートの団長への言葉ももっともだとは思う。でもなんだか他に理由があるような気がした。団長は軽く受け流してくれていたからよかったけど、さすがにあんな態度たいどは失礼だと思った。機嫌きげんの直った頃に、そこら辺をそれとなく聞いたり注意してみたりしたけど、「ただ、イケメンだったから恥ずかしかっただけよ」と聞く耳持たずのミュートだった。

 城壁じょうへきから頭だけをのぞかせている夕日は少しかすんで見えた。


「そろそろ宿やど、取らないとね」


 立ち止まって、ぼんやりとした口調でミュートは言った。


「うん。そうだね。お腹減った?」


「……。減ったけど、なんかなー」


「なに?」


「食欲がかないよね」


 ミュートに顔を向けると、松を見上げて苦虫にがむしつぶしたような顔をしていた。


「なるほどね。でも……」


「まあ、気持ち的にね」


 あの松の花粉かふんの入った料理が出回っているなんて考えたら、そりゃ食欲もなくなるよね……、いくら観光者かんこうしゃの食事とは分けられているといっても。まあ、僕は魔石しか食べられないから、関係ないけど。


「大変だねー」


「あっ」


「どうしたの?」


「食料の魔石なくなったんだった。買わなきゃ」


「え……? なんかやだな。魔石はちゃんと分けられてるのかな……?」


「ふふ、同じ苦しみを味わえ」


 ミュートは意地いじの悪そうな表情を浮かべると、リュックを降ろし「財布財布さいふさいふー」と言いながら中をがさごそとあさり始めた。


「うわ!」


 その時突然、人影がすごい速さでけ寄ってきて、ミュートにぶつかると、そのまま走り去っていった。


「大丈夫?」


「ひ、ひったくり!!」


 見るとミュートはリュックをすられていた。ミュートはすぐにけ出す。僕もそれに続いた。


「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」


 ミュートがそう叫ぶけど、大声なんてこの町じゃ日常茶飯事にちじょうさはんじだから、ほとんど誰も気が付かない。気付いても、「やってるね!」「がんばれよ!」なんて声が掛けられるだけだった……。

 ミュートは更に加速する。僕はそれに離されないようにするだけで精一杯せいいっぱいだ。ひったくりはすごい速さで逃げていく。でもミュートの方が少し速いようで、距離を少しずつめていく。追い着くという瞬間、ひったくりは急に方向転換ほうこうてんかんし、路地裏ろじうらに飛び込んだ。ミュートも路地裏ろじうらに消えていく。


 路地裏ろじうらは入り組んでいて、僕は2人を見失ってしまう。大声でミュートを呼ぼうとした時、すぐ近くから物音が聞こえて来たから、僕は慌てて音のする方に走った。


「放せ、コラア!」


「君がね! あたしの……リュックを返せ!」


 ミュートとひったくりは地面に倒れ込んでいた。ひったくりの声は甲高かんだかく、どうやら男の子のようだ。灰色のローブを着ていて、フードを被っているから顔はよく見えなかった。男の子はうつ伏せで、ミュートはそれに抱き付いておおい被さっていた。男の子は必死にもがいている。絵面えづらだけみるとミュートが男の子をおそっているみたいだ。


「この悪ガキ! 返せ、こら!」


「やめろ! どこさわってんだ! このエロババア!」


「……! あ、あたしはそんなにエロくない!」


 ババアはいいんだ……。

 僕は2人に近付いていき、しゃがみ込んで男の子と目を合わせた。


「俺は殺されるのか……?」


「……そんなことしない」


 甲冑姿かっちゅうすがただから怖いんだろうけど、僕は少しだけ傷付いた。


「安心して、このおねえさんのリュックさえ返してくれたら、何もしないからさ」


「おねえさん? おばさんじゃなくて?」


「オイ」


 ミュートはおじさんのような野太のぶとい声をはっした。


「とりあえず、この女性のリュックを返して」


「オイ!」


 ミュートは僕をにらみ上げた。人殺しの目って感じ……。


「……分かったよ。まず、どいてよ。重すぎでしょ」


 ミュートはこめかみに青筋あおすじを走らせゆがんだ笑顔を浮かべた。


「……逃げたら、承知しょうちしないからね」


 言ってミュートは、ゆっくりと男の子から身体を引きはががした。男の子は逃げたりはせずに、その場に座り込んで被っていたフードを脱いだ。口は布でおおってありマスクの代わりにしているようだ。利発りはつそうな目をしてるけど、全体で見るとどこか可愛らしい感じがした。としは、10さいすぎ辺りだろうか。


 男の子はかかえ込んでいたリュックを、僕の方に差し出した。ミュートはそれを見て、片方の目蓋まぶたをピクピクとさせていた。リュックを受け取ろうと手を伸ばした時、が外れたのかリュックの中身がこぼれ出てしまった。ゴロゴロと転がる赤い宝石。


「なんだこれ?」


 男の子は首をかしげた。

 ミュートは男の子の背後はいごにそっとしゃがみ込んで、耳に口を寄せた。


「爆弾の魔石」


 突然耳元でささやかれて相当そうとう驚いたのか、男の子はカエルのように横に大きく飛び退いた。


気色悪きしょくわるいことすんなよ! ていうかお前、爆弾魔ばくだんまだったのかよ……!」


「違うわ! 護身用ごしんようよ」


「おっかねえ女……!」


「うるさいな!」


 持ちぬしちららかした本人があらそあいだ、僕はらばった魔石や荷物にもつを集めた。


「ていうか、なんでスリなんかしてんのよ?」


「あんたが、ぬすんでくださいみたいに、財布さいふ財布さいふぅ~って言ってたからさ」


「そんなアホっぽく言ってない!」


「君はこの町の人?」


 僕は男の子に問い掛けた。


「違うよ。俺はおりの町に住んでる」


「どうして、こんなことしてるの?」


「な、なんだよ?」


「ほら僕たち見ての通り観光かんこうだから、どっかにき出したりなんてしないからさ。よかったら話して?」


「……食ってくためだよ。おりの町は子供のはたらくところなんてないし」


 確かにおりの町は閑散かんさんとしていたっけ。


「ここでははたらけないの?」


はたらけるけど、マスクなんてしてちゃ周りからめられるし。この町は祭りでり立ってるだろ。観光かんこうでもないのに、マスク着けてちゃ祭りに水差みずさすって白い目で見られんのさ。そんな思いしてほんの少しの金をもらうよりも、スリの方がよっぽどわりに合うんだよ。この町の連中はスリにったって気にしない、狂ってるからな。観光かんこうやつらはそのまんま観光気分かんこうきぶんだし、スリ放題ほうだいってわけさ」


「捕まってんじゃん」


 とミュートが水をす。


「うるさいな。馬だと知ってたらちょっかいなんて掛けなかった」


「馬ですって?」


「じゃじゃ馬」


「このガキィ……」


「まあまあミュート……。話が進まないよ。それでえっと、君のご両親は?」


親父おやじは死んだよ。ふえの吹きすぎでな。当たり前だよ、こんなところで吹いてれば。親父はふえの天才だったんだ。『メロディーのサークス』。知らない?」


「ごめんね。僕、世間知せけんしらずだから」


騎士道きしどう一筋ひとすじなんだね」


「いや、そういうわけじゃ……。というかごめんね」


「ん? いや、親父おやじの話ができるのは嬉しいから」


「そっか」


「マ、……おふくろは生きてるけど、親父おやじが死んだショックでまいっちゃって」


「大変なんだ」


「でも、昔はカッコよかったんだよ。おふくろ笛吹ふえふきでさ、親父おやじと一緒に吹いてたんだ。『リズムのキャンディー』なんて言われて。旅をしながら世界のあちこちで吹いてたんだ。でも……」


 男の子は忌々いまいましそうに空を見上げた。視線の先では、夕日をびた大松おおまつがこちらを見下ろしていた。この町にいる限り、あの松からは路地裏ろじうらに入ったってのがれられない。


「……パパがさ……。この町に……あの木に、お祭りに……魅入みいられちゃったんだ……。ほんの数日、ふえを吹いて、旅立つはずだったのに。あの団長とかいう男に会いに行ってからだよ、パパがおかしくなったのは……。ママや僕の言うのも聞かずに、この町にびたって……いつの間にか、祭りの中心人物になっちゃってた。祭りを終わらせるとかなんと言って。

 あ、あんなところで、ふえなんて吹いたら、し、死んじゃうに決まってるよ……空気をさ、いっぱい吸わなきゃ、ふえは吹けないんだ……昔は、よくさ、練習だって言ってさ、2人してさ、真面目まじめな顔してさ、真っ赤な顔してさ、吸ったり吐いたりしてさ……。……パパはこの町に殺されたんだ……なのに……みんな知らん顔して……楽しそうにさ……誰も話を聞いてくれない……なんであんなに楽しそうに笑ってんだよ……僕のパパが死んだのに……」


 男の子は、大粒おおつぶの涙をこぼしながら泣き出してしまった。

 こ、こんなとき、なんて声を掛けたらいいんだろう……。はげませば……? でもでも、気休きやすめしか言えないし……。どうしたら……!

 僕が何もできないでいると、ミュートは男の子の正面にしゃがみ込み、優しくめた。


「…………なんだよ……はなせよ……あんたに関係ないだろ……」


「……いいから。あたしは君のおばあちゃんでしょ? ……泣いたらいいよ好きなだけ」


 それからしばらくの間、男の子は泣き続けた。そんなわけはないけど、まるで生まれて初めて泣いたみたいに、次から次に、ポロポロと涙をこぼした。見ているとなんだか僕まで泣きたくなりそうで、僕は少し離れたところで、泣きやむのを待つことにした。


 こんなに大声で泣いている子がいるのに路地裏ろじうらを静かに感じた。遠くから聞こえるお囃子はやし無粋ぶすいに感じてしまう。僕はそこでふと思い出した。僕は泣けないんだった。泣きたくたって泣けないんだ。もしかして僕は今、本当だったら泣いているんだろうか。この泣き声を聞いていると、泣けないことをどう思ったらいいか、分からなくなってくる。

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