テーブルの上はお皿でくされていた。これが1人分なんて信じられない。

 ミュートはそれを幸せそうに次々と片付けていく。オススメのサラダに、肉料理、パスタに、パンケーキに、エトセトラ……。

 僕はお腹が痛いって言って誤魔化ごまかしたけど、店員さんは腹痛に効くからと生姜しょうがの入ったお茶をサービスしてくれて、なんだか申し訳なかった。まあそれもミュートに飲んでもらったわけだけど。

 人は優しくていい町だとは思うけど……。


「この町おかしいよ」


「うん、おいしい」


「おかしい、ね」


「そう? こんなにいい町ほかにないよ」


「でも、マスクとか、食べ物とか……」


「まあねぇ」


「聞いても教えてくれないし……食べ物のこともミュートが気付いたから知ったわけで……その決まりもなんだかゆるいみたいだし、わけがわからないよ」


規制きせいゆるいってことは、あまり気にすることないからかもよ」


「だから安心……?」


「もしくはあたしたちが危険な目にっても、別に構わないと思ってるとか」


「え?」


「まあ、気を付けるにしたことはないよね。外ではマスクを着けて、食べ物は事前に食べられるか確認する。それだけでしょ?」


「うん、まあ……」


ごうりてはごうしたがえって言うでしょ?」


「言うね」


「ふぅーお腹いっぱい。さあお祭りを楽しまなくちゃ。ごうりてはゴーゴーゴーって言うでしょ?」


「言わないね。というかまずは情報を集めなきゃ」


「えー、今日はお祭りの日なのにー」


「明日もそうだよ?」


「まあまあ、同時進行ってことで一つ」


 ってことで一つって……。

 店を出た僕たちは町の中央を目指した。代金を支払う時に、僕は店員さんに人探しのためにこの町におとずれたことを話した。すると店員さんは、それならお祭りの事務所をたずねるといいと教えてくれた。そこにはこの町の代表の『団長』がいるらしい。その人に話を聞いてみるといいとのことだった。事務所は町の中央の大木たいぼくの近くにあるらしい。


「それにしても大きい木だねえ」


 町の建物とは比較ひかくにならないくらい木は巨大だった。おそらく樹齢じゅれい何千年とかなんだろう。


「大きい木なんて町中にあっても邪魔なだけよ。方向音痴ほうこうおんちにはありがたいでしょうけど」


「ロマンがあると思うけどなぁ。んーあれって松、かなぁ?」


「松の木があんな大きくなるわけないでしょ……」


 ミュートは心底しんそこどうでもいいというようにそう言った。

 大木を目指す道すがら、つないだ手をミュートに引かれて出店に立ち寄ったけど、どのお店も観光者かんこうしゃには物を売ってくれなかった。住民用の食べ物しか置いていないらしい。ミュートはしょんぼりしていたけど、すぐに機嫌きげんを直した。大道芸人だいどうげいにんがジャグリングをしているのに目を引かれ、2人でそれを見ていたらミュートが大道芸人だいどうげいにんに「やってみるかい?」と声を掛けられた。ミュートは嫌そうな顔をしながらもジャグリングに挑戦した。するとミュートはプロ顔負けのジャグリングをしてみせて、自分でも驚いていた。拍手喝采はくしゅかっさいびたミュートはすっかり機嫌きげんを戻していた。一応いちおうジャグリングも『投げる』からなのかな……?


 道行く人たちはみんな目のやり場にこまるような恰好かっこうだった。でも町の人は気にする様子もなく、互いに肌をれ合わせている。建物のあいだでキスをする恋人たち。時折ときおり掛けられる、この町にようこそ、という声。暑さにえかねて衣服を脱ぎ去る踊り子。この町にようこそ。美しい女の人は踊りの相手を次々変えていた。小さい男の子は、みょうに大人びた目で僕たちを見送った。この町にようこそ。酒臭い呼気こき。肉の焼ける匂い。笑いながら胸を殴り合う2人の男。天に伸びるたくさんの腕。腕のなみに流されていく若い女の身体は、ぼうのように硬直こうちょくしていた。首に腕を回されて、この町にようこそ。狂ったように踊る踊り子をかこむ観客は、怒号どごうの合いの手に入れていた。耳元でささやかれる中性的でセクシーな、この町にようこそ。大音量の音楽を切り裂く奇声。


 大木たいぼくに近付くにれ、場の熱狂ねっきょうが増していく。その変わりざまは本当に怖かった。異世界にでも迷い込んだような気さえする。ここに来るのに扉なんてなかったから、もう戻れないんじゃないかなんて想像して背筋が震えた。


 ミュートもさぞ怖い思いをしてるに違いないと思って、横目でミュートを見た。ミュートはものすごく冷たくて怖い目をしていた。僕はそれを見てちょっとだけ血の気が引いた。ミュートは僕の視線に気が付いたのか、こっちを向いて笑ってくれた。でもその笑顔は少しだけぎこちなかった。やっぱりミュートも怖いんだ。僕たちはいつの間にか、少し痛いくらいの強さで手をつないでいた。


 大木たいぼく間近まぢかせまってきて、急に辺りの空気が悪くなった。最初は砂かと思ったけど、砂よりももっと細かいものが舞っているみたいだ。


「なんだろうね、これ?」


 ミュートが首に巻いている赤いスカーフには、黄色いこながたくさん付いていた。ミュートはそれを手に取り、人差し指と親指でこすり合わせた。


「たぶんこれ……花粉かふんだと思う」


花粉かふん?」


 僕とミュートは同時に大木たいぼくを見上げた。はるか頭上にしげる葉っぱから、おびただしい量の花粉かふん放出ほうしゅつされていた。中で火でもいているんじゃないかと思うくらい、あとからあとから花粉かふんがもうもうとれ出てくる。


「このためのマスクだったのね」


「うん。でも……」


 辺りの人は誰もマスクを着けていなかった。いつのにか観光者かんこうしゃは僕たちだけになっていた。……こんなさわぎを見せられたら当然だ。


「さっさと話を聞いて戻ろう」


 そう言ってミュートはマスクをしっかりと着け直した。

 木に近付くほど花粉かふん密度みつどが増し視界が悪くなっていく。反対に人の数は少なくなっていった。人の喧騒けんそうの代わりに身体を震わせるような太鼓たいこの音が台頭たいとうし始める。この町に来てから鑑賞かんしょうしたたくさんの音楽や踊りは、それぞれがバラバラなのに、どこかしんが通っているように感じた。おそらくみんなこの太鼓たいこのリズムに乗っていたんだ。この太鼓たいこが町をうねらせているんだ。


 やがて開けた場所に出た。大木たいぼくの周りには建物がなく、広場のようになっていた。

 視界はいよいよ悪くなり、辺りを舞う花粉かふんは風のらめきに合わせて、時折ときおり僕たちの視界を完全にうばった。

 大木たいぼくのすぐそばには10個ほどの太鼓たいこが並べられていて、若い男たちがそれを打ち鳴らしている。その中で一際ひときわ目の引く大太鼓おおだいこの音は花火のように僕の身体を震わせた。大太鼓おおだいこが鳴るたびに身体が震えるから、まるでバチで直接身体を叩かれているように感じてしまう。大太鼓おおだいこを叩いているのは、引き締まった身体の長身の男で、日焼けをしてるのか肌は褐色かっしょくだった。まさにこの人が町を動かしているんだ。


 周りでは踊り子が踊っている。およそ人間の動きとは思えない動きで。息を切らし、息を大きく吸い込みながら。こんな空気の中マスクもなしに。

 あんな動きをしていたらいつか倒れるんじゃないかと思った矢先やさき、1人の踊り子が倒れ、すぐに続けて2人倒れた。倒れた踊り子は周りの人たちに引きずられていき、すぐに代わりの新しい踊り子が現れ、踊りをいだ。倒れては補充ほじゅうされの、繰り返し。それは太鼓たいこの打ち手も同様だった。でも真ん中の大太鼓おおだいこの男はずっと叩き続けていた。他の打ち手よりも長くて太いバチを持って、誰よりも激しく。


「こんなの、正気しょうきじゃない」


 ミュートは乾いた声で言った。


「この花粉かふんのせいだわ」


 どんなに祭りの熱にかされたって、こうはならない。この花粉かふんがみんなをおかしくしてるんだ。

 この町に来てから掛けられた言葉が脳裏のうりぎる。


 ――町にいる間中はこのマスクを着けてもらいたいんだ――

 ――この町では、住民の食事と、観光者かんこうしゃの食事は、別々なんですよ――

 ――この町から出られなくなるかもね――


 思い浮かべた人々はみんな親切そうに笑っていた。

 踊り子が笑ってる。気持ち良さそうに。そのまま倒れて、そのまま引きずられて。代わりの踊り子は意気込いきごんで大きく大きく胸をふくらませた。送られるしたしげな、目。いつの間にか僕の身体は花粉かふんだらけ。そういえばもう、この町にようこそって言われなくなった。気が付かない内に、僕はこの町の一員になっていた?


 心臓の鼓動こどうが早くなる。ないはずの心臓が痛む。なんで中は空っぽなのに、感覚だけはあるんだろう。本当嫌になる。こんな感覚なんて要らない……。

 つないでいた手をギュッとにぎられた。あったかくて強い感覚。


「大丈夫?」


 ミュートは心配そうに僕を見上げていた。ミュートは更に手を強くにぎって、少し背伸びして僕の顔をのぞき込み、ニッコリ笑った。

 感覚が要らないなんて、そんなの嘘だ。


「……うん、平気。は、恥ずかしいから、そんなに見ないで……。でも、ありがと」


「よかった」


 そう言ってミュートは手の力をゆるめた。僕には顔色なんてないのに、ミュートはどうやって僕の動揺どうようを感じたんだろう。女の子は不思議だ。


 太鼓たいこの音は段々と速く、大きくなっていった。踊りも更に加速していく。咆哮ほうこうが聞こえてくる、すべての方向から力強く震えながら。町全体が叫び声を上げている。連打される太鼓たいこ。地面を踏み抜くようなステップ。声帯せいたいは熱をび、悲鳴を上げる。大太鼓おおだいこが爆発するような音を立てた。

 一瞬、すべての音がやみ、

 大太鼓おおだいこが、一発、打ち鳴らされた。

 いきなり頭上から爆発音が聞こえた。驚いて空を見上げると、花火が打ち上げられていて、更に何発も続けざまに花火が上げられる。そして町は、再度咆哮ほうこうを上げる。

 高くそびえる大木たいぼくはただ黙って、息継いきつぎもなしに花粉かふんを吐き出し続けていた。

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