祭の町 怠惰勤勉

 空には雨雲はおろか、わずかばかりの白色さえない。なのに遠くから小さな雷鳴らいめいが聞こえてきた。ころころと軽いその音は、まるでうがいの音みたいだ。


「雷だ……。やだなぁ」


「もしかして、怖いの?」


「うん。普通に怖いよ」


「なんでほこらしげなの? 女々めめしいんだか、男らしいんだか……」


「さすがの僕も、あれに打たれたら端微塵ぱみじんだしね。近付いてこないといいけど……」


「この辺りは多いらしいよ。標高ひょうこうが高いだけあってね。宿屋のおじさんが言ってた」


「そうなんだ……。少し様子見ようか?」


「雷くらいでビビりすぎ。大丈夫よ。それにほら、……」


 そう言ってミュートはリュックを開けて、いくつかの紫色の魔石を僕に見せ付けた。


「いや、ほらって言われても……、なんの魔石?」


避雷針ひらいしんの魔石よ。危ないからって、おじさんが持たせてくれたんだ」


「ああ、それなら安心……」


「これで、あいつに勝てる!」


 秘策ひさくってこれのことか……。


「なるべく、穏便おんびんに……」


「ふふふふ……」


 避雷針ひらいしんの魔石をもてあそびながらミュートは低く笑っていた。なんだかさわらぬ神にたたりなしって感じ……。

 ちなみにミュートはそよ風の町で自分の服を端微塵ぱみじんにしてしまい、かわわりに明らかにサイズの合わないダボダボの服を着ていたけど、さすがに動きづらいのか、途中でった小さな町で前と同じような服を調達ちょうたつしてそれに着替えた。

 さいわい、それから祭の町に着くまで晴天せいてん続きだった。祭の町では雷雨らいう土砂降どしゃぶりだろうと祭りは続行ぞっこうらしいけど、やっぱりお祭りは晴れがいい。


 祭の町。

 この町で常に感じたのは音だった。

 大勢の掛け声、誰かの歌声、すずの音、ふえの音、調子のいい手拍子てびょうし。それらの音はてんでバラバラなようでいて、音に身をまかせてみると、何か大きなうねりに合わせていることがよく分かった。町はまるで鼓動こどうするように動き続けていた。祝福しゅくふくかねは自らの心音しんおんだけで充分だというように。

 僕たちを最初に出迎でむかえてくれたのは、祭囃子まつりばやしでも花火でもなく、肩透かたすかしだった。


「お祭りやってないじゃん!」


「いや、僕に言われたって……」


 けわしい道をやっと乗り越えて町に着いたのはいいけれど、わずかながらのお祭りへの期待感は一瞬で土砂崩どしゃくずれ。

 町に立ち入りしばらく歩いてみても、祭りなんてやっている様子はなかった。人影はまばらで、見掛ける人は、お祭りとはほど遠いような暗い顔をしていた。


「ははーん。分かっちゃった。こういうお祭りなんだわ」


「そんなわけ……」


「きっとそうよ。二百年もやってるからだんだん難易度があがったのよ。多分、上級者向けの祭りなんだわ。だって……」


 僕はうわ言を続けるミュートを置いて、近くの人に声を掛けてみた。


「あの、すいません。ちょっとお聞きしたいんですが……」


「はい……なんでしょう……」


 声を掛けた女の人は、声からさっするに若そうだけど顔はみょうにやつれて生気せいきがなかった。


「お祭りをやっているって聞いたんですが……」


「えぇ……やってますよ……きもせずにね……」


「えーっと……」


「あぁ、ごめんなさい……ここじゃなくて、……町の外……いいえ、町の内側うちがわで、やっているのよ……」


内側うちがわ? それって、どういう……?」


「……ここはね、祭の町じゃないのよ」


「え?」


「ここは……おりの町……」


「え……? じゃあ、祭の町は……? この辺りに、町はここしかないって聞きましたけど……」


「ごめんなさいね……。はぐらかすつもりはないのよ。……外から見るとここは大きな町に見えるでしょ? でも実際の面積めんせきはそれほどでもなくて。どうしてかって言うと中身がぽっかりいててね……丁度、……指輪ゆびわみたいな形をしているのよ。……町の内側うちがわに行くと、どちらの町にもぞくさない荒野こうやがあって、その荒野こうやの真ん中に、祭の町があるの……」


「あくまでも別々の町なんですね?」


「ええ。荒野こうやはさんでいるからおとなりさんでもないしね」


「町の中に町があるってことですか。でも、おりっていうのは……? もしかして、祭の町の人たちって……」


「犯罪者……?」


 僕の言いたかったことを先回りすると、女の人は短く嘲笑ちょうしょうらした。話し掛けてからずっとせていた顔を上げ、引きつった薄笑いを浮かべ、真っ直ぐこちらに目を向けて。

 おされてしまい、僕はすぐに返事ができなかった。


「……あの人たちはそんなんじゃないわ。……ただの引きこもりよ。自らの意思であそこにいるの、人のことなんか何にも考えずにね。……多分、あの人たちは世界がほろぶまでああしてるわよ……あそこに行くなら気を付けた方がいいわ。下手すると……」


「な、何です?」


「戻って来られなくなるかもね」


 僕の相槌あいづちを待たずに、女の人は低い声で呟き始めた。


「……何人も見てきた……あの町は年々人が増えていくんだから……あんなに人が死ぬのに……。は……? ……? ……へ? 私の主人はね、あの町に殺されたようなものなのよ? 分かる? 分かってる? は……? え……?」


「え、え? だだ、大丈夫ですか? なんだか顔色が……」


 女の人の顔は真っ青で、口を少し震わせていた。


「ごめんなさい……平気よ。それより本当に気を付けて……」


「……分かりました」


「いい? あの町では、心から笑わないこと。戻って来たいのならね」


 そう言い残すと、女の人はふらふらとした足取りで近くの建物に入っていった。表札ひょうさつが掛かっているから女の人の自宅なんだろう。表札ひょうさつの文字は消え掛かっていたけど辛うじて『ブラス』という文字が見て取れた。女の人がドアに手を付いた時、そでがめくれて手首が見えた。そこにはブレスレットがはめられていた。初めて見るような、とっても綺麗きれい琥珀色こはくいろ琥珀色こはくいろかぶが少し上がるくらい、あざやかで上品な色合いだった。


「なに、ナンパなんかしちゃって! 祭りだからってはしゃぎすぎよ!」


 突然、後ろから声を掛けられた。誰だろうなんて考えるまでもなく、それはミュートだった。


「違うよ……どうしたらそう見えるの……」


「で? やっぱりこういうお祭りだったわけ?」


「まだ言ってる……。違うよ、えっとね、ここは祭の町じゃなくて……」


 僕はたった今聞いた話を簡単に話した。


「そんなことだろうとは思ったわ」


「……」


「なによ?」


「いや、さすがミュートだと思って……。なんかきな臭いよね」


「いいじゃん! 祭りならスリルはあっていいよ! 早く行こう!」


 僕たちは祭の町に行こうと、おりの町をぐるりと回った。でもそれらしい入口も看板かんばんも見当たらなかった。ミュートはごうやして路地裏ろじうらに分け入っていった。何やってるんだ……なんて思ったけど、これが正解だった。路地裏ろじうらを抜けるとそこには広大こうだい荒野こうやが広がっていて、その先に町のようなものがかすかに見て取れた。


 荒野こうやに足を踏み入れ、歩を進める内に、僕たちは口数が少なくなっていった。それくらい、荒野こうやは寂しい空気に沈んでいた。目に付くのは点在てんざいする建物の残骸ざんがいてているけれど、元ははなやかだったことが何となく分かって余計に心が沈んだ。この光景を見ているとどうしてかあせりを感じる。僕たちは自然早足になった。


 町は高い城壁じょうへきかこまれているようだった。そこから一本の樹木じゅもくだけが顔をのぞかせていた。まだこんなに遠いのになんだか樹木じゅもくに見下ろされているように感じた。

 近付く内にかすかな音が聞こえてきた。更に近付くとそれが音楽だと分かった。楽器が鳴って、人が歌っていた。お祭りの音色ねいろだ。お祭りの歌だ。祭囃子まつりばやし城壁じょうへきを飛び越えているんだ。音楽に聴き入る内、気が付くと僕は樹木じゅもくをじっと見詰めながら歩いていた。やはり無味乾燥むみかんそう城壁じょうへきよりも、青々とした樹木じゅもくの方に目が行ってしまう。


 軽快だけど何処か独特なリズムの音楽は、聴いていると不思議な気持ちになる。そのせいなのか、まるで樹木じゅもくが歌っているような錯覚さっかくを受けた。生まれたばかりでまだ小さな僕たちを見下ろして、風を感じながら、太陽を意識しながら、そして広く伸ばした根で僕たちの足音を感じながら。

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