12

 それから僕たちはこれからの旅について話し合った。お互い手掛かりはほとんどなくて、僕が耳にした、祭の町で魔女を見掛けたという噂だけが唯一ゆいつのものだった。だから、祭の町で何も進展しんてんがなければ、そのあとは人の多い町を回って情報を集めるということに決まった。ミュートは僕よりはずっと地理ちりに明るいみたいだから、旅のルート決めはミュートにお願いすることにした。

 ミュートはリュックから地図を取り出すとそれを広げて、どう進めば効率こうりつよく町を回れるか、ああでもないこうでもないと頭をひねっていた。


「うーん、まず、祭の町でしょ、砂の町かぁ……、まぁ硝子がらすの町は外せないか……」


硝子がらすの町?」


「ん? ああ、なんでも魔女の出身地らしいよ。と言っても何百年も前の話だから、なにがあるってわけでもないんだけどね。誰も住んでないらしいし」


「誰も住んでない? 町なのに?」


「確かに……まあ、多分、行けば分かるよ。……行かない内に旅が終わるかもだけど」


「うん?」


「とっても遠いから」


「そうなんだ」


万策ばんさくきたらって感じかな」


「じゃあそこで残念会だね」


縁起えんぎでもないこと言わないで。祝勝会しゅくしょうかいをそこでやろうよ」


「そうだね」


「美味しいものでも食べながらさ」


「うん」


 その時、突然、かねの音がやんだ。たちまち訪れたのはかねの音の圧倒的な存在感。どんなものも、どんなことも、その存在感が本当に増すのはそれがなくなった時だ。

 だから、本当は安心していいはずなのに、実際に鳴っていた警鐘けいしょうよりも頭の中の物の方がうるさいくらいで、僕はかえって不安にられた。ミュートは地図に目を落としたまま、「かねやんだみたいだね」と何でもないように言った。僕が何も言わないでいると、ミュートは地図から顔を上げてきょとんとした顔をした。


「どうしたの?」


「ううん、ただ、急に収まったから、びっくりしちゃって」


「ビビりだなぁ、もしかしてサンデーは少しうるさくないと、眠れないタイプ?」


「案外そうかも」


子守唄こもりうたでも歌ってあげようか?」


「えーっと……」


やすらかに眠りたまえ、その御霊みたま……」


「あれ……? 成仏じょうぶつしにかかってない……?」


「これって、もう外に出ていいってことなのかな?」


「えっ、どうなんだろう……」


「それとも、とりあえず風は出るようになっただけで、まだ毒ガスは消えてないのかな? どれくらいで押し戻してくれるんだろ」


「もしかして今から外に出るつもり? ……飲食店は閉まってると思……痛っ!」


 いきなりテーブルの下で、すねを蹴られた。その瞬間、ミュートは机の上に顔をして、頭をわずかに数回、左右に転がした。何をしているのだろうと思っていると、ミュートは声にならない声を出し始めた。裸足で僕を蹴ったものだから足を痛めたらしい。


「くくうぅ……あんたのかたすぎよ!!」


「大丈夫?」


「大丈夫じゃないわよ……。ていうかあたしはそこまで食い意地張ってない。そりゃあクッキーじゃ物足りないけど」


 あんなに食べたのに……?


「ただ、こんなにどろだらけだし、そのまま寝るのは気持ち悪いから、できたならお風呂に入りたいだけよ」


「あー……そのまま来ちゃったもんね」


「ベット汚しちゃったら悪いしさ」


「おじさんに聞いてきてあげるよ」


「ホント?」


「うん。任せて。あっ、ちなみに夜食もお願いし……っ痛!」


「うくくぅぅ……。もう! あんたのかたすぎーー!」


「あ、あの、お、お客様……?」


 突然、ドアのノックと一緒におじさんの声が聞こえてきた。


「夜中ですので、お静かにお願い致します」


 僕は慌てて立ち上がってドアを開けた。


「ごめんなさい……!」


ほかのお客様もいらっしゃいますので……」


「本当に申し訳ありません……。あっあの……」


「どうされました?」


かねがやんだみたいですけど……これはもう外に出てもいいということなんですか?」


「はい、大丈夫ですよ。丁度それをお伝えしにまいったのです」


「あっそうだったんですね。よかったぁ」


「ですので、ご安心して就寝しゅうしんされてください」


「あー……」


「はいっ? どうされました?」


「今からお風呂入ることって……できたりします?」


「今からですか? ええ、まぁ、構いませんが……?」


どろだらけになっちゃって、そのまま寝るのはしのびなくて……」


「そういうことでしたか。こんな時ですからよろしいのに。ですが、まぁ、構いませんよ。しかし……」


「はい……?」


「なるべくなら、ご一緒に行かれた方がいいでしょう」


「ぇ……?」



 僕たちは追い風を背中に受けながら温泉への道を歩いていた。

 ミュートはいきなり道端みちばたの小石を蹴り上げようとした。でもそれは空振りに終わった。蹴るのはあんまり得意じゃないみたいだ。


「別に付いてこなくてよかったのに。今から戻ってもいいよ?」


「でもなぁ、あんな話聞かされたらなぁ」


「あんなのただの怪談かいだんでしょ?」


 おじさんが部屋にたずねて来てくれた時、おじさんの言葉に僕が戸惑とまどっていると、「歩きながら話しましょう」と言っておじさんは歩き始めた。


「着替えなどもすぐにご用意いたします」


「ありがとうございます。あっ、僕の分は結構です。僕はいだけにしようと思いますから。それにしても、本当になにからなにまで、すいません」


「いえ。こんな辺鄙へんぴな所ですから、カップルでのお客様は珍しいもので、接客せっきゃくにも力が入ろうというものです」


「えっ!?」


「お客様、お静かに……」


「すす、すいません……でも僕たちはそういう関係じゃ……」


「おや、そうでしたか、私はてっきり……」


「違います違います!」


「ちょっと否定しすぎでしょ! 何かムカつくんだけどお!」


 ミュートは廊下に反響するんじゃないかってほど大きな声を出した。


「お客様……」


「ご、ごめんなさい……」


 僕は何だか嫌な予感がした。


「あの……もしかして、だから一緒に行った方がいいなんて言ったんですか?」


「あ、いえ、そういうわけでは」


「え、なら、どうして……」


「昔からこの町では、こんな風にいいます。……なぎかねがやんだあとには、しばらく、独り切りで外を出歩くな、と」


「なんです、それ?」


 ミュートは可笑おかしそうに言った。


「ふふ、怪談かいだん、昔話のたぐいですがね……」


 おじさんは更に面白そう。


「……その昔、かねがやむと、忽然こつぜんと人が消えたのだとか」


「消えた?」


 建物が細長く作られているせいもあって廊下も長く、くわえて廊下は薄暗いから、何だか進んでいる気がしない。終わりが見えないと人はどうしたって落ち着かないものだ。


「それってただ毒ガスにまれて死んだんじゃないですか?」


 ミュートはいかにも眉唾まゆつばというように言う。


「まぁ、その線が妥当だとうだとは思いますが……消えるのは決まっていつも、毒ガスがやんでからだというのです。それも昼夜問わずにね。朝早くから捜索そうさくしている記録が残っていたりしますし」


「え、記録? これって、実際に起こっていることなんですか?」 


「と言いましても大昔の記録ですがね」


「なんだ……」


「ですが、残っている記録の中の被害者はみな女性だったりします」


「え」


「それも年若としわかいものばかり」


「やめてくださいよ」


「はは、失礼しました。町の若い者はこういう話に乗ってくれないもので、つい面白おかしく。まぁご安心ください。もっとも直近ちょっきんのもので50年以上前のことになりますから」


「50年って……意外と最近じゃないですか、何百年も前かと思ってましたよ」


「おや、そうですか? 町の若い者に10年そこら前の話をするたびに、大昔の話をするなとどやされるもので」


 うーん、多分だけど、おじさん昔話とか好きそうだから、若い人たちは何度も聞かされてきしているのかも……。


伝承でんしょうや伝説など今の方たちはあまり興味もないのでしょう。そういった、おとぎ話や神秘的な話などはすっかりすたれてしまいました。そしておそらく、それが急激に進んだのは、ここ百年のことでしょう」


「百年?」


「はい。文献ぶんけんなどに目を通すと、目に見えてそういったものが消えている、百年前ぐらいから加速度的かそくどてきに。神話や伝統的な祭事さいじなども含めて、実生活じっせいかつかかわらないものすべてにそれは言えます。同じく、失踪しっそう間隔かんかくも百年ほど前くらいから極端きょくたんに大きくなっていったようですね」


「まぁ、いいことじゃないですか」


「そうですね。町の者がすこやかに暮らせるに越したことはありません。ですがこういう良からぬ話だけではなく、オカルトや怪談かいだんなどの娯楽的ごらくてきな文化も、時が経つにれ次第に消えていきます。それもこの町に限った話ではありません。世界中から伝説や言い伝えが目に見えるように消えていっています。……魔石がすべての神秘を消していくのです」


「え? ……ああ、確かに百年くらい前ですよね、魔石が本格的に一般に普及ふきゅうしたのは。でもそのおかげで……」


 魔石は二百年前に生まれたけど、最初の百年はまだまだ数も少なかったし、技術も進歩していなかったから、一部のお金持ちしか持てない代物しろものだったらしい。


「そうですね、私たちの生活はもはや魔石なしでは成り立たないでしょう。しかし魔石はこの世界の余白よはくを切り取ってしまいました」


余白よはくですか?」


「ええ、世界はますますせまくなっていくでしょう。本当の大きさを知ると言った方がいいのかもしれませんね」


「それはいけないことなんでしょうか」


 ミュートの口調はなんだか自問じもんするようだった。


「どうなのでしょうね。私にも分かりませんよ。良いことも悪いこともたくさんあるのでしょうね。ただ、私は何となく寂しいと思ってしまうのです」


「寂しい、ですか?」


いぼれである何よりの証拠しょうこですな。いぼれには便利さよりも、何もなくならないことの方が大事なものですから」


「そんなこと……寂しくないっていうのは大事だと思います」


「ありがとう。しかしまぁようするに変わっていく世間せけんに付いていけないのですよ」


「あれ?」


 僕はずっと2人の話を黙って聞いていたけど、ふと疑問が頭をよぎって思わず声がもれれた。


「どうされました?」


「すいません。いや、ただ、そんなに昔のことならあまり気にしなくてもいいんじゃないかと思って……みんな忘れ掛けて、50年起こっていないなら……」


「私もまさか本当に失踪しっそうされるとは思ってはおりませんが……」


「え、じゃあどうして?」


世間体せけんていというものですな」


「よく意味が……」


かねのやんだ後は1人で出歩かないという、暗黙あんもくの了解のようなものは、確かに今でも残っているのですよ。後ろ指を差されたりはしないでしょうがね。若い者はあまり気にしませんが、年寄りの中には気にするものも一定数いっていすういるのですよ。ただ……」


「何ですか?」


「若者の中ではこんなうわさが出回っているようです。『かねのやんだあとに1人で外を出歩くと、その人は早死にする』とね」

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